あのとき育てていただいた黒猫です。2
第四匹 幼馴染の家 ⑧
自分が結羅の家に来ていることを思い出す。
結羅は瑠璃香が買ってきた食材のショッピングバッグを持ち上げた。
テトは首を傾げた。
「え? 夕飯にって、どういうこと?」
「せっかくだから、今日はゆらちゃんのお家でみんなで一緒に食べようかと思って」
「ほんとっ!?」
テトは嬉しさで、ソファーから飛び上がった。
いつの間にか自分が、結羅の家に遊びに来るというどこか特別なこのイベントが終わってしまうことを、名残惜しく思っていたことに気が付く。
「手伝うぜ、るりぃ」
後を追うようにテトも手を挙げて自分の存在を主張する。
学校だとよくこうして手を上げて発言をさせられる。
「は、はいはい! 僕も手伝うからね!」
「テトはソファーでゴロゴロしててもいいんたぜ?」
「結羅、僕はこれでも毎日、瑠璃香の料理を手伝ってるんだからね」
「お、まじか。まだ続けていたのか。偉いじゃねえか」
そう言って、結羅はテトの頭をわしゃわしゃと撫でた。
気持ちよくて、思わず目を細めてしまう。
「じゃあ、一緒にみんなでお料理しよっか」
瑠璃香はニコニコとご機嫌な様子でキッチンに向かいながら、制服のジャケットを脱いだ。
その中で結羅が「あ」と声を出し、何かを思い立つ。
「てか、るりぃ」
そして振り返り、言った。
「せっかくだしよ、久しぶりに今日はこのままウチに泊まってけよ」
テトは暗闇の中で寝返りを打った。
寝苦しいわけではない。
慣れない寝具に、身体がうまく寝付けていないのだ。
すると、もにゅん、という柔らかい感触が顔面を受け止める。
「……?」
壁ではない。はたまた枕や毛布でもない。
目を開けると、それは結羅の胸元だった。
「……………………」
埋もれたまま、寝ぼけた頭でゆっくりと思考を巡らせる。
あの後、テトは瑠璃香と結羅と一緒に三人で夕食を作った。
相変わらず瑠璃香は料理が上手で、テトたちが洗ったり剥いたりして準備した食材が見事な料理に変身する様は、まさしく妖術そのものであった。
そういえば、新しい発見があった。
なんでも器用にこなす結羅であるが、致命的に料理が苦手だったのだ。料理ができなくても金があればなんとかなるから別にいいんだよっ、とは結羅の言葉だ。多少、悔し混じりの声だったのは愛嬌だろう。
それから──テトと瑠璃香は、結羅に誘われた通り、彼女の家でそのまま寝ることになった。
テトと瑠璃香のパジャマは、瑠璃香が一度家に帰って持って来てくれた。
同じマンションに住んでいると、こうしたことが気軽にできて面白い。思えば、猫時代も瑠璃香と結羅はたまにこうして互いの家を行き来して、寝泊まりを一緒にしていたものだ。
瑠璃香は新しいシャツも持って来てくれたため、明日はそのまま学校に行ける。
今日もまた、新しい経験が山積みの楽しい一日だった。
テトは、今度は反対側に寝返りを打つ。
すると、再びぽよん、と柔らかい感触が顔面を沈めた。
顔を上げると、それは瑠璃香だった。
テトは今、瑠璃香と結羅に挟まれるようにして、川の字になって寝ているのだ。
結羅のベッドはキングサイズというやつで、三人が横並びで寝ても、まだスペースに余りがあるほどの大きなものだった。
テトは仰向けに戻り、天井を見上げる。
頭の中で猫の数を百まで数えれば眠くなるだろうか。今日はなんだか目が冴えてしまってなかなか寝付けそうにない。
「……テト、寝れねえのか?」
すると、そっと囁く声がある。
振り返ると、横になった結羅がぱっちりと大粒の瞳を開けてテトを見ていた。
結羅はタンクトップにドルフィンパンツという涼しげな格好だ。
メイクをしていない結羅の素顔はより一層研ぎ澄まされた美しさを感じさせる。むしろ、ノーメイクの姿の方が見る者を威圧する鋭さがあった。
「あんまりにも楽しかったから、まだ眠くならないんだ」
テトは結羅に身を少し寄せて、瑠璃香を起こしてしまわないように囁き声で返す。
結羅はテトの言葉に嬉しそうに笑うと、いきなりテトを抱き寄せた。
「あ、ちょ、結羅……っ、むぎゅ」
「んじゃあたしの抱き枕になってくれよ。あたしもあんまこんな早え時間に寝ることねえから、全然眠くねえんだ」
そう言って、テトの顔面が結羅のタンクトップに収まりきらなかった肉塊の狭間に埋まる。
少し汗ばんだ肌が吸い付き、気道を確実に塞ぎにくる。
「ゆ、結羅、い、息できないよ」
「お? じゃあ、鼻だけ出しな、ほれ」
そう言って、顔の下半分は埋まりながら、鼻より上が解放される。
呼吸だけはできるようになる。
しかし、その代わりというように、テトの身体は結羅の腕にぎゅうと抱きしめられ、腰から下は結羅が絡ませてきた片足に絡め取られてしまう。
「あ〜、念願のテトの添い寝だ。今日はよく寝れそうだぜ……」
「ね、寝るときになったら解放してね」
「それは承諾しかねるぜ」
「僕これじゃ寝返りも打てないよ〜」
「あたしがテトごと寝返りうってやるから安心しな」
「じゃあ、ゆらちゃんはわたしの抱き枕になってもらおうかしら?」
「いやいや、あたしはもう抱き枕を獲得したかっただけであって、誰かの抱き枕になるつもりはさらさらねえっつーか……あ」
結羅がテトの背後に視線を向けて、冷や汗を浮かべる。
その声の主は、瑠璃香だった。
「ちょーっと、ゆらちゃん〜? テトくんの教育に悪いことしちゃダメでしょ〜?」
「わ、悪くねえって、ただ一緒に寝てるだけだってっ」
「テトくんのお顔、埋まっちゃってるじゃないっ」
「ちゃんと気道は確保したぜ?」
「そうじゃなくて……もうっ、テトくんはうちの子ですっ」
すると、ぐい、と腕を引っ張られ結羅の拘束から解放された。
……かと思えば、すぐに後ろから横になった体勢のまま抱きしめられる。
この背中のつっかえる感触は間違いない、瑠璃香である。
「ちょ、ちょっと瑠璃香? 僕、これじゃまた寝返りが打てな……」
「わたしが一緒に寝返りを打ってあげるから大丈夫だからね、テトくん?」
「……うん、そうだね」
「おいおいおい、ずるいぜるりぃ、あたしにもぎゅっとさせろっ」
「ゆらちゃんはだめ、さっきテトくんのことギュッてしてたじゃない」
「まだ数秒しかしてねえってっ」
「今はわたしの番だからだめよ」
わあわあきゃあきゃあ言いながら、前後で瑠璃香と結羅に挟まれて抱きしめられる。
……これはしばらく、解放されなさそうだぞ。
そんなことをしている間に身体がポカポカとあったまって来て、眠気がやってくる。
テトは深呼吸をして、瞼を閉じる。
明日もまた早い。
早く眠って、体力を回復しよう──
「ゆらちゃんは露出しすぎなのでその格好でテトくんにぎゅってするのは禁止です」
「そういうるりぃだっていっつも朝にはほとんど脱げてるじゃねえかっ」
「そ、そこまでじゃない、わよ……? 最近はちゃんと羽織ってるもの」
「るりぃ、ボタンが全部外れてる状態は、脱げてる、っていうんだぜ」
そうしてテトは、ぎゅうぎゅうと二人の色々なものに挟まれながら眠りについたのだった。



