あのとき育てていただいた黒猫です。2

幕間 猫の夜会

『──で、学校に行きたいって、ご主人に頼んだのか?』

『そういうこと』

『これまた思い切った行動を取ったもんだな』


 三毛猫のでっぷりとした猫のショウが、感心五割、呆れ四割、興味が一割の割合で鼻から息を吐いた。

 時は深夜。場は猫の夜会サロン・ノクチュルヌ

 どっかの海外かぶれの猫が名付けた、猫の猫による猫のための会合──その場所で、いつもの如く顔を出したテトは、ことの顛末を他の猫たちに説明していた。


『そのススキ様ってのは、あの七旗山の物の怪なんだよな?』


 ショウがテトに念押しのように尋ねてくる。ススキ様のことについては、以前、彼らには話してあった。


『そうだよ。神社に住んでる狐のお姉さん』

『……俺は未だに信じ難いけどな。テトに聞いてから何度かあの山に行ってみたが、神社なぞ一度も見つけられなかったぞ。……不思議なことに、登っているうちに下山しちまうんだ』

『そういう妖術をかけてるって言ってたよ』

『妖術ねえ……。それで、その後、どうなったんだ』


 円座を組んだ猫たちの顔を見る。

 その一角で、興味がなさそうに月を見上げる白猫が目に入った。

 テトは声をかけようとして、しかしやめる。皆がテトの言葉の続きを待っていた。


『その後、僕たちはそのススキ様のところに向かったんだ──』




 テトが瑠璃香に学校へ行きたいと言った翌日、瑠璃香とススキ様に手土産を持ってお願いをしに行ったのだが、これもまた何と二つ返事で了承してくれた。


「ほお、学校とな。面白い選択をしたものじゃの」

「でも……その、学校に行くためには、戸籍とかなんとかっていう色々な書類を準備する必要みたいで……でも、僕ってその猫又だから……」

「必要なのはコレかの?」


 ススキ様はそう言いながら右の手のひらを上に向けると、どこからともなく宙より数枚の髪がふわりと落ちて積み重なっていった。


「へっ」


 目を丸くして驚く瑠璃香。


「こ、これって、まさか」

「戸籍に、某国の修学証明書、住民票とその他、諸々の書類じゃ。ここまで揃える必要はないじゃろうが、念には念を押して損することもあるまい。何せ、海外でホームスクーリングしていた少年が転入してくるのじゃ。想定外にも備えた方が無難といえよう」

「さ……さすがススキ様」


 テトは瑠璃香の隣で感心の声を上げる。


「一応、七旗学院にはわしの知り合いもいる。其奴にも声をかけておこう」

「す、すごいですねススキ様。学院にお知り合いもいらっしゃるんですか。ほ、本当に、なんとお礼を申し上げたらいいか……」

「くふ。褒められるというのはいつの世も嬉しいものじゃの。なあに、こんなもの、いつもうまい稲荷寿司や甘味を持ってきてくれるうぬらへの礼にもならぬ。昨日もテトが持ってきてくれたしの」


 ……という具合で簡単に学校へ行くための準備は整ってしまった。

 ちょうどいいと言うべきか、それから数日後、世間はゴールデンウィークなる連休に突入し、学校は休みに入った。

 今日はそのゴールデンウィーク前日の夜だった。

 瑠璃香は今頃、連休前の疲れを癒すために深い眠りを楽しんでいることだろう。

 テトはそのタイミングを見計らって、最近顔を出せていなかった夜会サロンで報告を兼ねて訪れたというわけだった。




『なるほど。んじゃ、学校に行くには万事、準備が整ったってわけか』

『全然だよ。これから揃えなきゃいけないものがたくさんあるし、何よりも、人間のことについて勉強する必要があるし』

『それを学校で学ぶんだから今、気張る必要はないだろ』

んだ。──ほら、僕たちって文字とか読めないじゃん』

『『『『『『あああああ〜〜〜〜、たしかに』』』』』』


 猫たちが一斉に頷いた。

 ある猫たちが囁き合う。


『人間って何だかんだで頭いいよね』

『そう? この前、〝すまほ〟ってやつを見ながら歩いている人間が、電柱に正面衝突してるの見たけど』

『ドジと頭の良し悪しって別じゃない? その〝すまほ〟を作ったのも人間なわけだし』

『四六時中、眺めてるけど、あれって何してるんだろうね』

『なんかずっと動画見てるよ』

『何のために? 別にそれでご飯が食べられるわけじゃないんでしょ?』

『さあ? 私に聞かないでよ』

『人間って何考えてるのかわかんないね〜』

『ね〜』


 すると、白猫が一匹、鼻を鳴らす。


『学校などという場所に行かなければ成体になれない人間とは、かくも愚かしいですわね』


 しゃん、と背筋を伸ばして、月を頭上に掲げた美しい猫。

 その白猫──レイラは蒼い瞳でテトを見た。


『でも、僕たち猫よりたくさんのことを知っているよ』

『けれども人間は、夜を歩くための目も、迫る危険を嗅ぎ分ける鼻も、遠くの音を聴く耳も持っていませんわね。わたくしたちは、自分でそれらを獲得しますのに』

『違うことに目くじらを立てても仕方ないよ。むしろ、違うからこそ新しいことを学べて楽しいんじゃないか』


 レイラはムッと眉を立てた。


『正論は聞きたくありませんわ』


 それからレイラは立ち上がると輪を抜ける。


『──違いすぎても、それは時に辛いだけですわ』

『レイラ?』


 レイラはそれっきり口数を減らし、夜会サロンはテトとショウの二匹で執り仕切った。

 夜が更ける。

 あと三十分ほどで夜明けかという頃。

 いよいよ主要な議題も尽きて、本日の夜会サロンは閉会にすることとした。

 猫たちは夜の街へと散り散りになっていく。

 その中でテトは、気配を消して一匹だけ会場を後にする白猫の後ろ姿を見た。


『──んでよう、腹が減ってた俺は、その牛丼屋の店主に言ってやったんだ。バラだけじゃなくて、サーロインも寄越せって』

『ご、ごめんショウ。僕もそろそろ行くね』


 テトは、瓦礫が山と積まれて出来上がった猫専用のマンションに横たわったショウに、謝りながら話を切り上げる。

 ショウはぶすっ、と不満げにひげを揺らした。


『んだよ、レイラだけじゃなくてテトも付き合いわりいじゃねえか。寂しいな、くそ』

『今度埋め合わせするから。──あと、牛丼屋にサーロインは置いてないと思うよ』


 嘘だろ!? というショウの叫び声を背後に、テトは他の猫たちに声をかけながら会場を後にする。


『えっと、レイラは……こっちか』


 瓦礫でできた穴を潜り、マンションの細道を抜け、古い家屋の石塀に飛び乗る。

 果たして、その先には純白の白猫が独り歩いていた。

 その背中は、どこか寂しく見える。


『レイラ!』

『…………テト?』


 呼ぶと、レイラは足を止めてゆっくりと振り返る。

 駆け寄ると、レイラは胡乱げな目を向けてきた。


『何の用ですの? 今夜は独りになりたい気分なのですが』

『いや……なんか様子が変だったから』

『…………』


 レイラはつい、と視線を前に戻し、歩き始める。

 テトもまたその後ろを追うように歩き始めた。

 白と黒の二匹の猫が縦に並んで夜の街を闊歩する。


『人間の言葉で、人の花は赤い、と言うようですが、貴方の花はすり潰したザクロの実で染め上げられた赤さですわね』

『……? 何のこと?』

『疑いようがないほど羨ましい、ということですわ。……あと、ほんの少しずるい、とも』

『……もしかして、猫又のことを言ってる?』

『他に羨むことがありまして?』

『…………』


 相変わらず言葉の圧が強い。

 しかし、今日のレイラのそれには、怯えが混じっているような気配があった。

 テトは前を進むレイラに言葉を投げる。


『猫又になって、どうしたいの?』

『……別に』

『それって、僕が力になれること?』

『……さあ』

『もしかして、ご主人に関係すること?』

『……まさか』


 歩く。歩く。歩く。

 剣山の先を肌に押し付けられているかのような、仄かに痛みを感じる沈黙が続く。

 その静寂を破ったのは、テトだった。


『これ以上の詮索はしないけどさ』


 テトはそう前置きをして。


『レイラがそんなに真っ直ぐに言うってことは、よっぽど本気なんだね』

『……なんですの、その妙な言い回しは』

『だって、レイラって素直じゃないじゃないか。君が素直に言う時は、必ず何かを心に決めている時だ』


 レイラはつい、と蒼の瞳で振り返る。


『……尻尾を三本にしたいというなら、素直にそう言ってくださる? 今ならタダでスタイリングして差し上げますわ』

『ちょっと、僕の尻尾を裂こうとしないでよ!? しかも縦に裂く気!?』

『貴方が変なことを口走るからですわ』

『……本当のことでしょ』

『…………』


 レイラは空を見上げた。

 今日の夜空は生憎翳っている。

 彼女の美しい毛並みに似合う、いつもの白銀の月は見えない。

 レイラは視線を下げて、嘆息した。


『わたくしだって、別に貴方のことを妬みたくなんてありませんわ』


 続ける。


『こんな想い、幼馴染の貴方に対して抱きたくなんてなかった。貴方のことは、ただいつもの憎たらしいテトとして思いたいのに。わたくしのご主人のことは、ままならなさを感じることなくただいつもの気忙しいご主人として思いたいのに。……それさえも、叶わない』

『──レイラ』


 家と家の隙間を抜けて、視界が開ける。

 そこはもう、テトとレイラの棲家であるマンションの正面だった。

 二匹並んで道を渡る。

 否──渡ったのはテトだけだった。


『いえ、叶わないことは、ないのかもしれませんわね』


 テトは振り返る。

 夜闇の中。

 石塀と石塀の隙間。

 その前で立ち止まった白猫は、か細い声で鳴いた。


『──あるいは、わたくしが猫又になれば』

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