あのとき育てていただいた黒猫です。2

第五匹 猫と猫又 ③

「結羅、その辺にしてあげて。レイラ、すごく反省してるから」


 結羅は泣き腫らした顔で振り返る。


「テト、教えてくれ。さっきのは一体なんだったんだ。燃えたと思ったら、全部元通りだし、れいたむと話せるみたいだし──」

「…………うん、ちゃんと話すよ。頑張って説明するって約束だもんね」

「ちなみに、さっきの炎は僕が作り出した幻影だから気にしないで大丈夫だよ」

「幻、影──?」


 テトは自分の手のひらを見て、グーパーと開いたり握ったりする。

 一体、なぜあんな妖術を使うことができたのだろうか?

 ──いや、それは今考えることではない。

 テトは立ち上がると、目を瞑った。

 再び身体の内側を巡る力に意識の焦点を合わせる。

 果たして、テトの頭上から猫耳が、ズボンの隙間から二本の尻尾が現れる。

 瞼をゆっくり持ち上げる。

 結羅は口をぱくぱくして、目を見開いていた。


「テト、お前、それ……っ」

「──結羅は僕がこの姿になって最初に会った時から、ずっと鋭かったね」


 レイラは眩しいものを眺めるようにテトを見上げる。

 結羅の瞳に、逆さのテトが映っていた。


「僕は二年前に死んだ、瑠璃香の飼い猫のテト」


 そして、テトは言う。


「妖力で現界した、猫又なんだ」




 同、逆瀬川家。リビングルーム。

 L字型の巨大ソファーには、結羅とレイラ、テト、そして連絡を受けて帰ってきた瑠璃香の順で並んで座っていた。

 ちなみにレイラは結羅の膝の上に座っている。

 結羅はそのレイラをずっと大切に撫でていた。

 しかしその中で、未だ混乱の最中にいる結羅が、反対側の手で短髪をかき上げてぶつぶつと呟いていた。


「……実はテトはるりぃの親戚の子なんかじゃなくて、あのときるりぃが育てた黒猫のテトで、二年前に死んだ後、紆余曲折あって数週間前に猫又として復活した──? おいおい、待てよ、あたしは夢でも見てんのか?」


 テトは隣の結羅の肩をぽんぽん、と叩く。


「夢じゃないし、幻覚とか幻聴でもないよ」

「つってもよ……」


 結羅は顔を上げると、テトの姿を一瞥する。


「未だに目の前の光景が信じられねえんだが」


 結羅の目線の先にあるのはテトの頭上でぴこぴこと動く猫耳と、背後でゆらゆら動く二本の尻尾である。

 分かりやすいように、猫又の姿のままを維持しているのだ。


「触ってみる?」

「触る」


 純真無垢な少女のように即答で頷いた結羅は、そのまま手をテトの方へ伸ばした。

 それからテトの猫耳の根元をさわさわと触りだす。

 さすが、レイラのご主人である結羅だ。

 撫で方に、瑠璃香とまた違った心地よさを感じる。


「……まじで本物じゃねえか」

「そうだって言ってるじゃん」

「ていうかただでさえ天使のテトにリアル猫耳と尻尾が生えてるの、純粋に考えて可愛さの限界値超えてねえ?」

「ゆらちゃん、鼻血出てるわよ」


 瑠璃香に言われ、ティッシュで鼻を拭う結羅。


「しっかし、るりぃも黙ってたなんてショックだぜ」


 結羅の言葉に瑠璃香がしゅんとする。


「ごめんね、ゆらちゃん……。言おうかとっても悩んだんだけど、ゆらちゃんのことだからテトくんが猫又だなんて言ったら逆に心配させちゃうかと思って……」

「それは間違いなく心配すんな。まずは全部の診療科を巡って、人間ドックに行かせて、毎日あたしとカウンセルするフルコースをやるのは確定だ」

「だから秘密にすることにしたの……」

「まあ、るりぃの判断は賢明だったと認めよう」


 結羅はため息をつく。


「どーりで、この二年間、死んだ魚みてえな目をしていたるりぃが急に元気になったわけだぜ」

「ゆらちゃん……」

「だってそうだろ。あんとき、いい加減心配になって様子を見にいったはいいものの、けろっとしてやがって。……親友として情けねえ」

「そんなことないわ、ゆらちゃんっ。わたし、ゆらちゃんにどれだけ救われたことか……っ」

「……まじ?」

「まじのまじよ」


 そう言って、瑠璃香と結羅はひしっ、と抱きしめ合う。

 それから身体を離した結羅は、テトを振り返った。


「この前、テトがれいたむと会話してるように見えたのは気のせいじゃなかったってことか」

「まあね」

「……猫又のその力が、れいたむは欲しかったのか」

「────」


 テトは思わず口を噤んだ。

 結羅は慈しみに満ちた眼差しでレイラを撫で続ける。


「……猫又になれば、あたしと話せるからって? ……くそ、本当にれいたむは健気で素直で可愛くて……ほんとバカだよ」

『心配かけてごめんなさい……』


 レイラが、にゃお、と鳴く。

 そんなレイラの前足は、結羅の腕をがっしりと抱きしめていた。まるで結羅と離れ離れにならざるをえない選択を取ろうとした自分を悔いるように。

 テトはそんなレイラの想いを汲んで結羅に言う。


「レイラ、〝心配かけてごめんなさい〟って結羅に言ってる」


 結羅は膝上のレイラに視線を戻して、今にも泣き出しそうな笑みを浮かべた。


「……ばか。あんなあ、れいたむが喋れなくたって、あたしはれいたむが何を考えてるかとか、何を感じているのかとか、大体わかるんだからな? あたしを舐めんなよ?」

『ごめんなさい、結羅……』

「いいって、もう謝んなって」

『…………』


 レイラは結羅の手をぺろぺろと舐める。

 こんな殊勝なレイラは初めて見た。

 結羅は、はーっ、と長い息を吐く。


「まだ混乱しちゃいるが──まあ、大体事情と状況はわーった。あたしは現実主義者リアリストなんだ。数字と自分の目で見たものだけを信じる」

「結羅……」

「ってことはだぜ」


 すると、結羅はいつもの悪戯っぽい企み顔を浮かべて、テトと瑠璃香を見やった。


「いくらテトをモフっても、猫又だから全部合法だよな?」

「えっと、それは……」


 コメントに困る発言が来た。

 テトは瑠璃香を見る。


「合法っつーか、脱法ショタ?」

「ゆらちゃん」


 瑠璃香はお馴染みのバッテン印を両手の人差し指で作って、


「瑠璃香法では違法です」


 ニコリと笑みを浮かべる。

 そして追撃するように白猫が顔をもたげたかと思えば、


『……貴女はほんと懲りない愚主人ですわね』


 レイラが結羅の手に牙を突き立てたのだった。


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