他校の氷姫を助けたら、お友達から始める事になりました side.瑛二
第五話 西沢霧香は引きこもる
分からない。今日が何日なのか、今が何時なのかすら。
カーテンはここしばらく開けていない。スマホもほとんど開いていなくて、通知がうるさくて電源を切った。
それでも……家族は家族だった。朝昼夜、ご飯が部屋の前に置かれている。お母さんとお父さんはもちろん、お姉ちゃんと……瑛二も来てくれている。
ご飯だけじゃない。毎日瑛二もお姉ちゃんも、瑛二達のお母さんとお父さんも……お仕事が忙しいはずのお母さんとお父さんも声を掛けてくれた。だけど、私は何を言えばいいのか分からなくてただ部屋の隅でうずくまっていた。
ここしばらくベッドも使っていない。眠るとあの日の夢を見てしまうから。
あの日の夢を見ると気持ち悪くなって吐いてしまう。お腹の底が痛くなって、自分を殴りつけたくなる。
瑛二に会いたい。
日に何百回も思った。
瑛二を見たい。
瑛二に触れたい。
瑛二と話したい。
瑛二の笑顔が見たい。
その気持ちを押し潰して、歯を食いしばる。
引きこもるのが一番いい。数日ならともかく、これが一週間、二週間、一ヶ月、二ヶ月になれば……今は心配してくれている瑛二もきっと、私のことを忘れるはずだから。
最初からこうすれば良かった。こうでもしないと……優しい瑛二は私を助けようとしてしまう。私を守ろうとしてしまうから。
瑛二が私のことを忘れたくらいの頃に……私も部屋から出ればいい。一人で居ることに慣れればいい。瑛二は学校にたくさん友達が居るのだから。私が居なければきっとすぐに彼女くらい出来るはず。
出来ればその相手が新谷さんじゃなければいいけど……その新谷さんだって、私なんかよりずっと綺麗な人なのだ。私がどうこう言える立場じゃない。
お姉ちゃんも友達は多いから、きっと大丈夫。
部屋の隅でうずくまりながらそんなことを考える。……これを考えるのも何十回目だろう。
自分に言い聞かせる。これが正解なんだって。何度も何度も、起きている間はずっと。
そして、眠気が襲いかかってくるとそれに従ってうずくまったまま目を閉じる。毎回眠る時間は長くないけど、時間は把握してないから分からない。
暗い部屋。意識は覚醒と睡眠を繰り返して、段々自分の体が自分のものじゃなくなっていくみたいに感じる。
やがて耐えきれなくなって、うずくまったまま床の上で横になる。そのまま意識を手放せば――夢を見た。
それは夢。酷くリアリティのある夢だ。
内容はシンプルなものだった。しばらく前まで彼の家で過ごしていた時の思い出。
瑛二と二人でソファに座って、瑛二の話をただ聞く。この前誰とどこに遊びに行って、こんなことがあった。ボウリングで良いスコアを取れた。カラオケで良い点数が取れた。この漫画が面白かった。映画が面白かった。
そして、それを聞いたお姉ちゃんが怒るのだ。もっと霧香とも遊びに行けーって。なんなら三人で遊びに行こうって。
それで、瑛二達と映画を観に行く約束をして――暗い部屋で目が覚める。鳥の声に、今が早朝だと知る。
喉が渇いて隣に置いていたペットボトルから水を飲めば、空っぽの胃に染み渡っていく。
「……映画、行けなかったな」
それは無意識のうちに出た言葉だった。
しばらく前に瑛二とした約束。二人で映画に行こうという約束は、結局果たせなかった。
その未練を忘れるようにぶんぶんと頭を振る。だけど勢い余って壁にぶつけてしまって、ごつんと鈍い音がした。
「――すげえ音したけど大丈夫か!?」
一瞬、また眠ってしまったのかと思った。けれど、続く言葉と頭に生じる痛みに夢じゃないと悟った。
「霧香!? 大丈夫か!? 無事なら返事してくれ!」
毎日聞いている声。私を心配してくれる声。
それが嬉しくて、苦しい。
「……だいじょうぶ。ちょっとぶつけただけ」
久しぶりに発した声は掠れていて、風邪を引いた後みたいだった。
扉の奥からほっと息を吐く音が聞こえる。それで居なくなるかというと――そんなことはなかった。
「霧香、ご飯食べてないのか? 一緒に食べるか?」
その言葉を聞いて、昨日の夜は食べていなかったことに今更ながら気づいた。
返事をしかけた口を閉じると、彼が続けた。
「そうそう、霧香。今日はちょっと相談があるんだ」
なんだろう、と思いながらも言葉は返さない。早く居なくなってくれと願いながら、また部屋の隅でうずくまる。
「実はな。今日姉貴達に相談して、学校休んでいいことになったんだ。だから……映画観に行かね? ほら、この前話したろ?」
ドクン、と寝起きの心臓が強く脈を打ち出した。
思い出したのは先程までの夢の内容――そして、先程まで思い出していた約束の記憶。
落ち着けと胸の上から押さえても心臓は止まってくれない。それどころかどんどん早く、大きくなっていく。
そして、心に暖かいものがにじみ出していって――
「ま、俺も成績悪い訳じゃねえしな! 一日くらいならって言われたんだ。だから――」
「帰って」
――私はその心ごと肺を押し潰すように、声を絞り出した。
「迷惑だから、早く帰って。もう来ないで」
自分の脚をぎゅっと抓る。そうしないと声が震えそうだったから。
「……」
「……」
少しの間、部屋に沈黙が訪れる。吐き気がしたけど、今だけは飲み込んだ。
心に染み渡っていたものが急速に乾いていき、代わりにどす黒いものが染め上げていく。
「……また来るよ」
「もう来ないで」
瑛二の優しげな声にそう返す。部屋の前から人の気配がなくなって、今度こそ私は吐いた。
――ああ、やってしまった。
そう思っても、吐いた言葉は飲み込めない。吐いた事実は消せない。この吐瀉物と一緒で。
――これで瑛二に嫌われる。最初からこうすれば良かったんだ。
そう無理矢理自分に言い聞かせる。何度も何度も言い聞かせる。
言い聞かせているのに、どうしてだろう。どうして涙は止まってくれないんだろう。
後悔が心を満たして感情が膨れ上がり、嗚咽が漏れる。
心がぐちゃぐちゃに引き裂かれる。もうこうなったら泣くだけ泣こう。全部吐き出そう。
それで終わらせよう。私の初恋を。
そう思っているのに――涙は全然止まってくれない。泣けばスッキリするはずなのに、感情は膨れ上がっていくだけ。
そして、思い出してしまう。先程までも夢に見ていた、過去のことを。
瑛二と遊んで、お姉ちゃんといっぱいお話してハグして。たまには三人で出かける。
そんな現実は――もう夢に見ることしか出来ない。
ううん。もう夢に見ることすら許されない。彼にあんなことを言ったのに夢に見るなんて、おこがましいにも程がある。
それに――私が諦めきれなかったら、瑛二が助けにきてしまうはずだから。
今私が出来るのは、瑛二が……彼が幸せになることを祈るだけ。
どうか、可愛くて綺麗で明るくて優しい、そして強い女の子が彼の前に現れますように。
だから、早く諦めろ。私。



