「素直にわ・た・し、でいいでしょ! 帰宅後の旦那に風呂掃除させる鬼嫁か!?」
「ナマケモノも、交尾のときはテンション上がっちゃうのかな?」
「話を飛ばすな!」
「ノリが悪いな〜。あたしとこーはいくんの仲なんだから、ぴったり付いてきてくれないとだめだぞ」
空太を指差し、語尾にハートマークをつけた美咲が、悪戯っ子に注意するように片目を瞑る。
どうしたら、寝起き早々に、これだけハイテンションになれるんだろうか。
「……とにかく、おはようございます。それと何度も言ってますけど、自分の部屋で寝てください」
「おざなりにされたら、メスはたまったもんじゃないよねえ」
「ナマケモノの話は続行かい!」
「欲求不満になったらかわいそうだよ」
「メスもマグロだからお互い様でしょ」
空太は諦めてコメントを返した。
「じゃあ、昨日の続きしよっか」
なのに、美咲は会話の流れを無視して、今度はTVの前に陣取ると、ゲーム機のコントローラーを握ってスイッチを入れた。フォーンという起動音を鳴らしながら、システムが立ち上がり、ぎゅんぎゅん言いながらROMが読み込まれていく。
タイトル画面が出る前に、空太はスイッチに手を伸ばしてオフにした。
「あ〜、なにするのよぉ」
ほっぺたをぱんぱんに膨らませて美咲が抗議してくる。怒った顔もかわいい。ちょっと上目遣いの目線に、思わず顔がにやけそうになる。
だが、これに騙されてはいけないのだ。
「ナマケモノはどこやった!?」
「え〜、そんな話面白くないじゃん」
「あんたが言い出したんだよ!」
「しかし、ゲームしよう」
「接続詞が繋がってないし! てか、昨日、正しくは一昨日から死ぬほどゲームしたでしょ。具体的には三十六時間耐久で! 画面見るだけで、なんか今日吐きそうです! 目が腐ります! 今TVの電磁波浴びたら俺、砂か塩になる自信ありますもん!」
床で目を覚ましたのは、寝落ちをしたからだ。
すかさず、美咲が再びスイッチを入れる。
「よ〜し、だったら、こーはいくんが勝つごとに、あたしが一枚ずつ脱いでいくってルールでどうだ! 目の保養対策も万全だね! 眼福だよ、大興奮だよ! めくるめく青春の性だよ! 大人の階段上っちゃうよ! 愛欲の連鎖だよ!」
「先輩脱がすぐらいなら、たまねぎ剥いている方が海綿体に血液集まりますって」
「『うわっ、なんか白いの出てきた!』って思うもんねえ。やつは侮れんよ。けど、野菜で興奮できるのは中二までって相場が決まってるんだから。草食系男子なんてだめだよ。がっつかないと。高校生になれば、やっぱり肉だよ! 肉! さあ、こーはいくん、肉欲の世界に共に旅立とー! イエーイ!」
と言って、たわわに実った乳を美咲が突き出す。服の下で胸がプリンのように揺れた。悲しいかな、男の性で、ばっちり釘付けになってしまう。
それでも、空太は必死に抵抗を試みる。
「その明け透けで、羞恥心のかけらもないところも含めて、俺、先輩に女を感じるのはもう無理です! 勘弁してください。もう、ほんと、その無駄にかわいいのもいい加減にしてくださいよ。女性不信になりますんで、まじでお願いします」
「あたしたち、ついに男女の壁を乗り越えて、親友になったんだ。おめでとー! 今日はお祝いしようね。朝までゲームだ!」
「めでたくねー! どういう補正かけたらそうなるんですか! つうか、もう宇宙人は宇宙に帰れ!」
この春休み、毎日朝まで美咲に付き合わされては、気絶するように眠る日々が続いているのだ。今日くらいは穏やかで、安らかなときを過ごしたい。
「こーはいくんの言いたいことはそれだけか!」
「この程度で済むと思ったら大間違いだ、このやろう! いつもいつも、先輩は自由すぎるんですよ! ここは、自由の国か!」
「ならば、決着をつけようじゃないか、ゲームで! 血で血を洗う大戦争の幕開けだよ! どちらかが滅ぶまで、この戦いは終わらない!」
「望むところだっ……て今日はやらないって言ってんでしょ!」
むくれた顔で睨みつけてきたかと思うと、美咲はさっさとゲーム機からROMを取り出してしまった。肩透かしを食らった空太をよそに、代わりに白盤のROMを差し込んでいる。
「ふんだっ、ふんだっ。いいよ。いいよ。ゲームが嫌なら仕方がない。ラッシュチェック手伝ってもらうも〜ん」
何事かと思っていると、古い映画の冒頭みたく、五秒前からのカウントダウンがTV画面に映し出された。
「もしかして、新作?」
「一昨日の朝にカッティング済ませた、もぎたて取れたてだよ。さあ召し上がれ」
「微妙に新鮮さに欠ける時間経過ですね……」
そこでラストの一秒が読まれて、TV画面上に美咲がひとりで作ったオリジナルアニメが流れ出す。収録前で、当然ダビングもしていないため、音声、音楽、効果音は入っていない。それでも、動きは滑らかで、躍動感があり、迫力は十二分に伝わってくる。しかも、2Dの人物と3Dで描かれた背景の融合に違和感を抱かせない最先端の映像表現をも実現している。人物も背景も描き込みは細かく丁寧だ。テンポのいいカット割りと独特の構図に加え、カロリーの高い面倒な作画にも真っ向から挑んでいる。とてもひとりで作ったようには見えなかった。素人の作るレベルでもない。超一線級のクオリティだ。
芸大付属の高校だけに、通称スイコーには空太の所属する普通科の他に、定員十名という少数精鋭の教育方針を掲げる音楽科と美術科がある。全国から腕に覚えのある生徒が集まり、途方もない倍率を勝ち抜いた者だけが入学を許されるのだ。
美咲はそのひとりで、美術科の三年生。
しかも、ここ十年で唯一の芸術科特待生と認められた実力者であると同時に、アニメばかりを作ってその権利を剥奪された変人としても有名だった。
「すごいっすね」
誰でも言える空太の感想に美咲の反応はない。空太の隣で、擬音や音楽を自分の口で当てるのに忙しいらしい。
「ズガン! ガスン! ドキュン! ピリリリィ! ちゃ〜ちゃららららんらんらん。『そなたの命運もこれまでだな!』シャキーン。ピカーン。たんたらたんたんたん。『甘いな、てめえの言葉は軽すぎる』『な、なんだと!?』『パンツを下ろしてから出直してこい、乳臭いガキが!』とぅるりら〜らんらんらん……じゃじゃ〜ん!」
ただ、美咲の熱演は、映像とまったく関係がなかった。
一体、どんな不思議ワールドを脳内に展開しているんだろうか。
美咲がクールダウンすると同時に、画面は真っ黒にフェードアウトした。
約五分の映像は、その見応えのためか、倍以上の時間があるように思えた。
「これは予想以上にリテイク三昧だよ」
ROMを取り出しながら、がっくりと音が聞こえてきそうなほどに美咲が両肩を落とした。あれだけ、無茶苦茶言いながらも、やるべきことはやっているから驚きだ。
「俺には直すとこなんて、見当たりませんでしたけど」
「甘いな、こーはいくん。これで完成と思ったところからが本当の戦いなんだよ。敵は己の中にいるんだよ!」
「はあ、そういうもんすかね」
「あ、そだ。また、ななみんにアフレコお願いできないかな?」
ななみんとは一年のとき、空太のクラスメイトだった青山七海のことだ。将来は声優志望で、今は養成所に通っている。大学は演劇学部に行くと、一年最後の進路調査では息巻いていた。ななみんというあだ名はお気に召していない。