さくら荘のペットな彼女

第一章 さくら荘へようこそ ③

 芸大の付属校という少しとくしゆかんきようのせいか、すでに将来の目標を見定め、そこに向けて努力を続ける生徒は少なくない。このさくらそうにも、きやくほん家志望で文芸学部ねらいの三年生と、すでにプログラマーとしてゲーム関連の仕事をこなし、メディア学部に行く予定だとごうする二年生がいる。

 人生設計が明確なかれらとはちがい、空太は進路調査を白紙で提出した。放課後、職員室に呼び出され、春休みの宿題にされたのを思い出した。

 ちなみに、一学年上の美咲は、将来の進路のらんに『まぶしくて見えない』と書いて、これまた職員室に呼び出され、空太の三倍は説教を受けていた。その説教をした教師は、美咲から宇宙語によるはんげきを受け、心に消えない傷を負わされた。現在は休職中だ。復帰のみもない。これで、美咲の担任教師が再起不能になるのは二度目だ。同情したくなる。


たのむだけなら、頼まれますよ」

「じゃ、お願い。収録のときも手伝ってね」

「学食一回おごりですよ」

「お安いようだよ」


 事実、美咲にとっては本当にお安いのだ。たぶん、年間の食費をってもらっても、痛くもかゆくもないだろう。昨年夏に動画サイトにアップした美咲作の三十分アニメは、またたく間に世間で評判となり、再生回数は百万をとつ。すぐにはんばい会社から商品化の話が持ち込まれた。今年の一月にはDVDとして発売され、セールスの低下に悩む業界をあざわらうかのように、十万枚をえる大ヒットとなった。前にちらりと見せてもらった銀行の通帳には、もう遊んで暮らせばいいじゃんと言いたくなるような数字がきざまれていた。

 きやくほんは同じくさくらそうの住人にして、さきの幼なじみであるたかじんが担当している。

 遠い未来の地球に作られた人工島をたいとしたSFで、島で生まれ育った物静かな少年が、本島からやってきた少女と出会うところから物語はスタートする。

 じよばんは、とんとんびようでふたりの仲が進展していき、ご都合主義にも思えて少し退たいくつだ。少年が自分の気持ちに悩むこともなく、少女の方から告白されて付き合い出してしまうし、ファーストキスも少女がリードしてくれる。少年は苦しむことも傷付くこともない。だが、それにはけがあって、中盤に大きくひっくり返される。

 あるとき、少年は自分を取り巻く世界が、すべて『うそ』だと知る。少年がいるのは、地球の人工島ではなく、宇宙空間にかぶスペースコロニーの中。地球は人類が起こしたひどい戦争の結果、人が住めない場所になっているという事実をきつけられる。

 十六年間、少年は何も知らずに生きてきた。地球にいるんだとおもんでいた。それが全部嘘。嘘はそれだけじゃない。少年の両親も本当の両親じゃない。クラスメイトも真実を知った上で、少年をだましていたとわかる。もちろん、少女の存在もそうだ。全部、仕組まれたことで、この十六年間の少年の人生には台本があった。

 度重なる戦争をなくすため、世界政府が行き着いた人類の革新。はこぶね計画。痛みも、苦しみも、悲しみも、にくしみも、いかりも知らない子供を育て、人類からとうそう本能を取りのぞくことが目的だった。人工島はそのための箱庭。少年はモルモット。

 ある意味、計画は成功する。少年は、真実を前にどう反応すればいいかわからずに、ただ、体をふるわせる。だが、結局、わだかまる感情に名前を付けることもできず、少年は正気を失い暴走する。目に映るすべてに対してかいしようどうおさえることができず、物語世界をしようちようする二足歩行型の巨大兵器を操り、人工島を火の海に変える。

 世界政府が少年のまつしようを決定する中、少女だけは少年のもとにもどってくる。軍に囲まれた少年を守るように立つ少女。だが、少女はじゆうだんに胸をつらぬかれ、少年のうでの中でおだやかに息を引き取る。

 少女を失い、ようやく少年は気がつく。全部が嘘だと思った世界にも本当のことがあったのだと。少年が少女を想う気持ちと、少女が少年を想うやさしさは本物だった。

 このとき、はじめて少年はなみだを流す。それは悲しみの涙でありながら、不思議とあたたかい印象を見るものに与えてくれる名シーンとして評判だった。

 はじめて見たとき、不覚にもそらも泣いた。脚本の力を最大限以上に引き出したばつぐんの演出力にやられた。

 それだけのものを、美咲はひとりで仕上げたのだ。各種設定やデザインの起こし、絵コンテにレイアウト、原画、動画、しきさい、背景と美術に加え、さつえいと効果、その後の編集と、収録、ダビング、V編に至るまでの作業工程すべてを。本来なら、各パートで分かれて、それぞれに別の担当者がいるのがつうだ。

 その上、さきは2Dのみならず、3Dのあつかいにもけていて、技術とセンスがゆうごうした独特の演出表現を生み出していた。

 さすがに、音楽、効果音といったサウンド関連は、音楽科にざいせきする友達にたのんで作ってもらったらしいが、それでも、ものすごい作業量を、美咲がひとりでこなしたことに変わりはない。それもとんでもないクオリティで。

 神は人に二物も三物も与えるものなんだと、美咲の作ったアニメを通してそらは思い知らされた。美咲は本当にとてつもない才能を持っている。


「よ〜し、じゃあ、リテイク作業やっちゃおうかな〜!」


 立ち上がって美咲がびをする。そのまま、空太には興味をなくして、部屋からけ出していった。すぐに階段を駆け上がる音が聞こえ、天井から美咲の足音がひびく。空太の真上が美咲の部屋なのだ。


「常識が失われる前に、まじでここだつしゆつしよ……」

じやするわよ」


 美咲と入れわりでドア口に姿を見せたのは、気合いの入ったメイクに、勝負する気満々にかざった美術教師のせんごくひろだ。このさくらそうかん要員として空太たちといつしよに暮らしている。その職務の方は、あまりまじめにすいこうされてはいないのだが……。


「うわっ、ケバ! それ、夜のちようえて、になってます、先生」

「しょせん、お子ちゃまのかんには、大人おとなの色気がわかんないわよね」


 気持ちの悪いことに、そこで千尋が片目をつぶる。マスカラからばしっと音がしそうだ。

 まんしながら、何とか引きつった笑顔で応じた。


「一応、忠告はしましたよ」

「今日こそ、未来のお婿むこさんをつかまえてくるから、楽しみにしてなさい」

「で、それを言いに来たんですか?」

「なんで私がそんなことを神田に報告しなけりゃならないのよ」

おれもそんなこと先生に報告されたかないです」

「口の減らないお子ちゃまねえ。はい、これ」


 差し出されたのは、一枚の写真だ。五、六さいの小さな女の子が写っている。


「先生のかくし子ですか?」

「今日からさくら荘で預かることになった私のよ」

「はあ」

「名前はしいましろ。駅で六時に待ち合わせしてるからむかえに行って」

「は?」

「駅で六時に待ち合わせをしてるから迎えに行ってって聞こえなかった?」

「聞こえたから、はっ? って言ったんですよ!」

「だって、私これから合コンだもん。医者よ、医者! こんなのめつれないんだから。ほら、どう考えても私にははずせない用事があるでしょ? どう見ても、あんたはヒマでしょ? もう人相がヒマジンって感じよね」

「今日も絶好調に教師にあるまじき暴言連発ですね。ほんと尊敬しますよ。でも、今日は無理です。明日までに人生考えないといけないんで」

「あんた、なに言ってんの?」

「進路調査出せって言ったの先生でしょ!」

「ああ、あんなの適当に『パイロット』って書いておけばオッケーよ」

おれは小学生か!」

「じゃあ、『お金持ち』でいいわよ」

「なおひどいわ!」

「ケツの穴の小さい男ね。どうせ、考えてひねり出せるようなもんじゃないんだから。『進学』の二文字で職員室は安心するわよ」

「つか、じんさんにたのんでください。あの人もどうせヒマでしょ?」