芸大の付属校という少し特殊な環境のせいか、すでに将来の目標を見定め、そこに向けて努力を続ける生徒は少なくない。このさくら荘にも、脚本家志望で文芸学部狙いの三年生と、すでにプログラマーとしてゲーム関連の仕事をこなし、メディア学部に行く予定だと豪語する二年生がいる。
人生設計が明確な彼らとは違い、空太は進路調査を白紙で提出した。放課後、職員室に呼び出され、春休みの宿題にされたのを思い出した。
ちなみに、一学年上の美咲は、将来の進路の欄に『眩しくて見えない』と書いて、これまた職員室に呼び出され、空太の三倍は説教を受けていた。その説教をした教師は、美咲から宇宙語による反撃を受け、心に消えない傷を負わされた。現在は休職中だ。復帰の見込みもない。これで、美咲の担任教師が再起不能になるのは二度目だ。同情したくなる。
「頼むだけなら、頼まれますよ」
「じゃ、お願い。収録のときも手伝ってね」
「学食一回おごりですよ」
「お安い御用だよ」
事実、美咲にとっては本当にお安いのだ。たぶん、年間の食費を請け負ってもらっても、痛くも痒くもないだろう。昨年夏に動画サイトにアップした美咲作の三十分アニメは、瞬く間に世間で評判となり、再生回数は百万を突破。すぐに販売会社から商品化の話が持ち込まれた。今年の一月にはDVDとして発売され、セールスの低下に悩む業界を嘲笑うかのように、十万枚を超える大ヒットとなった。前にちらりと見せてもらった銀行の通帳には、もう遊んで暮らせばいいじゃんと言いたくなるような数字が刻まれていた。
脚本は同じくさくら荘の住人にして、美咲の幼なじみである三鷹仁が担当している。
遠い未来の地球に作られた人工島を舞台としたSFで、島で生まれ育った物静かな少年が、本島からやってきた少女と出会うところから物語はスタートする。
序盤は、とんとん拍子でふたりの仲が進展していき、ご都合主義にも思えて少し退屈だ。少年が自分の気持ちに悩むこともなく、少女の方から告白されて付き合い出してしまうし、ファーストキスも少女がリードしてくれる。少年は苦しむことも傷付くこともない。だが、それには仕掛けがあって、中盤に大きくひっくり返される。
あるとき、少年は自分を取り巻く世界が、すべて『嘘』だと知る。少年がいるのは、地球の人工島ではなく、宇宙空間に浮かぶスペースコロニーの中。地球は人類が起こした酷い戦争の結果、人が住めない場所になっているという事実を突きつけられる。
十六年間、少年は何も知らずに生きてきた。地球にいるんだと思い込んでいた。それが全部嘘。嘘はそれだけじゃない。少年の両親も本当の両親じゃない。クラスメイトも真実を知った上で、少年を騙していたとわかる。もちろん、少女の存在もそうだ。全部、仕組まれたことで、この十六年間の少年の人生には台本があった。
度重なる戦争をなくすため、世界政府が行き着いた人類の革新。方舟計画。痛みも、苦しみも、悲しみも、憎しみも、怒りも知らない子供を育て、人類から闘争本能を取り除くことが目的だった。人工島はそのための箱庭。少年はモルモット。
ある意味、計画は成功する。少年は、真実を前にどう反応すればいいかわからずに、ただ、体を震わせる。だが、結局、わだかまる感情に名前を付けることもできず、少年は正気を失い暴走する。目に映るすべてに対して破壊衝動を抑えることができず、物語世界を象徴する二足歩行型の巨大兵器を操り、人工島を火の海に変える。
世界政府が少年の抹消を決定する中、少女だけは少年のもとに戻ってくる。軍に囲まれた少年を守るように立つ少女。だが、少女は銃弾に胸を貫かれ、少年の腕の中で穏やかに息を引き取る。
少女を失い、ようやく少年は気がつく。全部が嘘だと思った世界にも本当のことがあったのだと。少年が少女を想う気持ちと、少女が少年を想うやさしさは本物だった。
このとき、はじめて少年は涙を流す。それは悲しみの涙でありながら、不思議とあたたかい印象を見るものに与えてくれる名シーンとして評判だった。
はじめて見たとき、不覚にも空太も泣いた。脚本の力を最大限以上に引き出した抜群の演出力にやられた。
それだけのものを、美咲はひとりで仕上げたのだ。各種設定やデザインの起こし、絵コンテにレイアウト、原画、動画、色彩、背景と美術に加え、撮影と効果、その後の編集と、収録、ダビング、V編に至るまでの作業工程すべてを。本来なら、各パートで分かれて、それぞれに別の担当者がいるのが普通だ。
その上、美咲は2Dのみならず、3Dの扱いにも長けていて、技術とセンスが融合した独特の演出表現を生み出していた。
さすがに、音楽、効果音といったサウンド関連は、音楽科に在籍する友達に頼んで作ってもらったらしいが、それでも、ものすごい作業量を、美咲がひとりでこなしたことに変わりはない。それもとんでもないクオリティで。
神は人に二物も三物も与えるものなんだと、美咲の作ったアニメを通して空太は思い知らされた。美咲は本当にとてつもない才能を持っている。
「よ〜し、じゃあ、リテイク作業やっちゃおうかな〜!」
立ち上がって美咲が伸びをする。そのまま、空太には興味をなくして、部屋から駆け出していった。すぐに階段を駆け上がる音が聞こえ、天井から美咲の足音が響く。空太の真上が美咲の部屋なのだ。
「常識が失われる前に、まじでここ脱出しよ……」
「邪魔するわよ」
美咲と入れ替わりでドア口に姿を見せたのは、気合いの入ったメイクに、勝負する気満々に着飾った美術教師の千石千尋だ。このさくら荘で監視要員として空太たちと一緒に暮らしている。その職務の方は、あまりまじめに遂行されてはいないのだが……。
「うわっ、ケバ! それ、夜の蝶を超えて、蛾になってます、先生」
「しょせん、お子ちゃまの神田には、大人の色気がわかんないわよね」
気持ちの悪いことに、そこで千尋が片目を瞑る。マスカラからばしっと音がしそうだ。
吐き気を我慢しながら、何とか引きつった笑顔で応じた。
「一応、忠告はしましたよ」
「今日こそ、未来のお婿さんを捕まえてくるから、楽しみにしてなさい」
「で、それを言いに来たんですか?」
「なんで私がそんなことを神田に報告しなけりゃならないのよ」
「俺もそんなこと先生に報告されたかないです」
「口の減らないお子ちゃまねえ。はい、これ」
差し出されたのは、一枚の写真だ。五、六歳の小さな女の子が写っている。
「先生の隠し子ですか?」
「今日からさくら荘で預かることになった私の従姉妹よ」
「はあ」
「名前は椎名ましろ。駅で六時に待ち合わせしてるから迎えに行って」
「は?」
「駅で六時に待ち合わせをしてるから迎えに行ってって聞こえなかった?」
「聞こえたから、はっ? って言ったんですよ!」
「だって、私これから合コンだもん。医者よ、医者! こんなの滅多に釣れないんだから。ほら、どう考えても私には外せない用事があるでしょ? どう見ても、あんたはヒマでしょ? もう人相がヒマジンって感じよね」
「今日も絶好調に教師にあるまじき暴言連発ですね。ほんと尊敬しますよ。でも、今日は無理です。明日までに人生考えないといけないんで」
「あんた、なに言ってんの?」
「進路調査出せって言ったの先生でしょ!」
「ああ、あんなの適当に『パイロット』って書いておけばオッケーよ」
「俺は小学生か!」
「じゃあ、『お金持ち』でいいわよ」
「なお酷いわ!」
「ケツの穴の小さい男ね。どうせ、考えて捻り出せるようなもんじゃないんだから。『進学』の二文字で職員室は安心するわよ」
「つか、仁さんに頼んでください。あの人もどうせヒマでしょ?」