さくら荘のペットな彼女

第一章 さくら荘へようこそ ④

「あのがいはくていおうならいないわよ。今日もどっかのおねえさまをまんあまいマスクと、元気な下半身使って、天国まで連れて行ってんじゃないの?」

「あんたはほんとに教師か! 聖職者としての自覚を持て! びっくりするわ!」

「聖職者の自覚? そんなもの父親のこうがんの中に忘れてきたわよ」

「うわ〜、すげ〜、俺、女の人が睾丸って言うのはじめて聞きました。さすがレベル30えて、アマゾネスにクラスチェンジするとちがいますね。アビリティ、ヂカラはじゃないっす」


 ひろけんがぴくりと動く。


「誰が三十路ですって〜! 私はまだ二十九さいと十五ヵ月よ!」


 み下ろした足の力で、ゆかしんどうした。やっぱり、アマゾネスじゃんという言葉は、身の危険を感じたので、言わないでおいた。


「だったら、あかさかは? あいつなら確実にいるでしょ?」


 部屋のかべを見る。となりの102号室には、そらと同学年のプログラマー、赤坂りゆうすけが住んでいる。


「あの引きこもりが出てくるわけないでしょ。常識でものを語りなさいよ。ああ、もう出ないとこくしちゃう! あとたのんだわよ!」


 勢いよく千尋がドアを閉める。そのひように、め金がはずれてドアがかたむいた。ねこの長い鳴き声になぐさめられながら、外れたドアを直していると余計にむなしくなってきた。

 ろうを遠ざかって行く千尋の後ろ姿に、合コンが失敗に終わりますようにと念を送ってやった。

 それから、部屋のゆかからケータイを拾い上げ、りゆうすけにメールを打つ。

 おそるべき早さで返信があった。

 ──ただいま、龍之介様は、S社よりごらいを受けましたサウンド圧縮用のミドルウェア開発を、それはもう退たいくつそうに、しかしながらお仕事だからという責任感を持ちまして行っている真っ最中にございます。そのため、せっかくのそら様からのメールですが、龍之介様にお取り次ぎすることはできません。申し訳ございませんが、ご理解いただきますよう、よろしくお願いいたします。秘書役もお任せのメイドちゃんより

 メイドちゃんとは、龍之介が独自開発した自動メール返信プログラムのAIのことだ。どういう仕組みなのかは、空太の知るところではないが、おどろくほどに感情豊かで、信じられないくらいに頭がいい。少しくだけた文章だろうが、だつふくまれていようが、行間まで読んで、的確な返事をくれるすぐれものである。

 それがおもしろくて、ヒマなときに人生相談を持ちかけたり、いてみたりと色々試したこともあった。

 だが、今日はそんな電子のメイドとメールこうかんをして遊んでいる場合ではない。

 もう一度、取り合ってくれるように、メールを投げた。

 すると、今度もわずか一秒程度で返って来る。

 ──物分かりが悪いのは滅(めっ)ですよ? あんまりしつこいとウィルスとか送っちゃうぞ(笑)。ウィルスだって作れちゃうメイドちゃんより


「うおっ、やばっ!」


 お茶目な文面の裏側に黒いものを見た空太は、あわてて弁解のメールを打った。

 以前、本当にシステムかいプログラムを送信され、買ったばかりのケータイをおしゃかにされた苦い経験があるのだ。

 ──ご理解いただけたようで何よりです。あ、でも、せっかく用意したウィルスを使えなくて少し残念ですね。早く人間になりたいメイドちゃんより

 AIに気をつかって、もう一度、謝罪のメールを空太は打っておいた。

 たんにため息がこぼれる。


「はあ、生徒も教師も変人ばっかだよ。まじで脱出しないとやばいよ。頭おかしくなるよ。早く真っ当な生活にもどりたい……だれか助けてください」


 それから、もらった写真を見直す。

 色白の小さな女の子は、大きな麦わらぼうかぶり、純白のワンピースを着ていた。表情はうすく、カメラを向けられても笑っていない。レンズのさらに向こう側を見ているようなとうめいひとみをしていた。

 そのこわれ物のようなはかなさが原因なのか、空太の心臓に痛みが走る。

 女の子は何かに似ている。

 ねこが鳴いた。


「……そうか、昔のお前たちに似てんのか」


 足元にり寄る猫を見ながら、ダンボールのふちつかんで自分を見上げてくる少女を想像し、そのあまりのかい力にそらはひとりもんぜつしたのだった。


    2


 さくらそうから駅に向かう最短の道は、赤レンガ通りの商店街を縦断するコースだ。昔ながらの下町じようちよあふれる感じのいいところで、この街で生まれ育った空太にとっては、遊び場のひとつとしてもおくされている。

 そのせいか、通りかかるだけで、顔見知りから次々に声をかけられた。

 魚屋の前では、


「よう、かんぼうじゃねえか! 今日はサバがいいぞ」


 と言われ、その先の肉屋では、


「あらあら、空太君じゃないの〜。ね、ね、今日は何がいいの? コロッケおまけするわよ」


 と結局何も買わずに、おばちゃんにコロッケだけをもらい、


「空太、久しぶりだな。お前、スイコーなんだよな」


 という具合に、の店番を手伝っていた中学時代の友人にもばったり会った。

 都心の方では失われているらしい、近所付き合いなんてものが、この街にはまだ残っているのだ。

 今さら開発を進めても、だれの得にもならないせいもあるのだろうが、すいめい芸術大学の城下町としては、こんくらいで丁度いいと、みんなが思っているおかげでもあるような気がする。

 三年ほど前に、駅の向こうに、しなぞろえもよく、値段も安い大型スーパーができたが、もっぱら空太は商店街を利用している。なんかこっちの方が落ち着くのだ。

 そう思っている人がほかにもいるおかげか、今もなんとか商店街は生き残っていた。

 もらったコロッケをほおりながら歩いていると、すぐに駅前にたどり着いた。

 芸大前駅と名をかんしながらも、大学までは大人おとなの足でも十五分はある。毎年、知らずにギリギリに来た受験生の何人かがこのわなにはまり、なみだむのは地元では有名な話だ。

 改札がひとつしかない不便な駅で、駅の反対側に住む人たちは、ふみきりわたって回ってこなければならない造りになっている。

 空太は改札前のロータリーのてつさくこしけて待つことにした。

 財布にはさんだ写真を出して、今一度確認しておく。

 しいましろ。

 変わった名前だ。

 ひろだと言っていたが、ずいぶんとしはなれている。

 そんなことを考えていると、ホームに下りの電車が入ってきた。

 いつもなら、帰りがけの中高生がぞろぞろと降りてくる時間だが、春休みの今は人もまばらだ。正体不明でねんれいしような、何をやっているのかよくわからない人たちが、駅から出てくる。

 その中に、そらは見知った顔を見つけた。向こうも空太に気づいたらしく、少しおどろいて目を見開く。それから、軽快な足取りで、空太の前までやってきた。


「なにやってんの、お前? おれを待ってたとか?」

ちがいますよ」

「そりゃそうだよな」


 何がおもしろいのか、たかじんが声に出して笑った。

 茶色のふんわりヘア。スリムな体型でかなりの長身。近くにいるとはくりよくもあるが、全体的なふんは、どことなくやわらかい。

 シャープなデザインのメガネが知的な印象の三年生は、男の空太から見ても、文句なしにかっこいいと言えた。

 だから、モテるのもうなずける。首筋にキスマークを見つけても、今さら驚かない。それが仁の日常なのだ。

 さくらそうの部屋は103号室。特技は女性のスリーサイズを服の上から当てること。


「なになに、お前、何持ってんの? なんかいいにおいするけど」


 もらったコロッケのふくろのぞいてくる。落ち着きのある大人おとなっぽい身のこなしに似合わず、表情には幼い好奇心がかんでいる。


「肉屋のコロッケです。来るちゆうで、もらったんすよ」