さくら荘のペットな彼女

第一章 さくら荘へようこそ ⑤

「あ、いいな、俺にもくれ。朝食ったきりでさ」


 差し出したコロッケを、そうに仁がほおる。


「空太って、すげえよな」

「は?」

「商店街通っただけで、こんな美味いコロッケゲットするんだろ。天才だよ、尊敬するよ」

「街を歩けば、女性がにんしんしかねない仁さんの方がすごいでしょ」

「おいおい、にんはちゃんとしてるぞ」

「それに、さきせんぱいのアニメも……大好評じゃないですか」


 そのきやくほんは、仁が書いたものだ。


「あれは、美咲がすげえだけだよ。昔からあいつは変態だからな。うん、美味いな、俺、ここのコロッケ好きだ」


 仁が話をらそうとしているように思えたので、空太は食い下がらなかった。


「今度、おばちゃんにお礼言っときます。じんさんがめてたって」

「ああ、そういや、お前、地元民なんだったよな」

「そうですよ」

「なんで、りように入ってんだ?」

「それ、今さら聞くんすか? ま、いいですけど、たいしておもしろくないですよ」


 あれは、約一年前、高校の合格発表当日のことだ。


 まさか受かると思っていなかったそらは、合格祝いとしようして、友人たちとカラオケで盛大に歌いまくった。

 日付が変わるすれすれに家に帰ると、リビングでおうちしていたおやつかまった。


「お前も、もう高校生だ。選ぶ権利をやろうと思う」

「はい?」

「家族といつしよに福岡に行くか。一人さびしくここに残るかを選べ」


 うで組みした親父の言っていることは意味不明だった。

 助けを求めるように、鼻歌を歌いながら洗い物をしている母親を見た。


「急にねえ、とうさんの転勤が決まったのよお」

「ほう、なるほど。で?」

「だから、一緒に来るか、残るか選べ」

「ちょっと待て。親父だけ単身にんじゃねえの?」

「何を言う。息子よ。それではおれさびしいだろう」

「親父のくせに、寂しいとか気持ち悪いこと言うな!」

「というわけだから、当然、かあさんもゆうも連れて行く」

「なんで俺はちがうんだよ」

「お前がいてもいなくても、俺の寂しさにえいきようがないからだ」

「あ、そうですか。で、優子の学校はどうすんの?」

「すでに転入届は出した」

「はやっ!」


 けど、まあ、いいだろうと空太は思っていた。あこがれていた一人暮らしができるのだ。


「ちなみに、さっき不動産屋に寄ってな。この家は売ることにした」

「ちょっ! 決断早すぎ!」

「俺はもうめんたいの国に骨をうずめようと思う」

「あんた正気か! 目をませ! つうか、明太子の国って、福岡に謝れ! きっともっとほかにもいいとこある!」

「安心しろ。俺はホークスファンだ」

「知るか!」

かあさん、もう限界だ。やはり、としごろの息子とは話があわん。思春期ってやつはこれだからやつかいなんだ」

「ちょっと待て! おれのせいっぽい感じで終わるなって」


 あきれた顔のおやそらからはなれ、さっさとに入ってしまった。さすがに追いかける気分にはなれなかった。だれが親父のはだかなど見たいものか。

 代わりにやってきた母親が空太の前に座った。


「で、どうするの? 人生のせんたくね」

「学校のパンフってまだ取ってあるよね? りようっていくらかかんだろ」

「朝夕二食付きで、五万円だって書いてあったわよ」


 母親が得意げな顔をする。


「……最悪、バイトすりゃなんとかなるか」

「え〜、ちょっとなんでなんで、おにいちゃん、いつしよにこないの!?」


 突然、割りんできたのは、ピンクの子供っぽいパジャマを着た妹のゆうだ。

 空太にけ寄ってくるとうでを取って、なんでなんでと上下にすった。


「あたし、お兄ちゃんが一緒じゃないとやだよお。お兄ちゃんはあたしと離れ離れになっても平気なの? 信じらんない!」


 四月から中学二年生だというのに、やけに幼い精神構造は心配の種だった。昔から、体は強い方ではなく、いつも空太の背中にかくれるようにしていた妹だけに、今回の転勤そうどうに対して一番思うところがあったのかもしれない。


「俺もせっかく受かった学校をケリたくないしさ」

「家から一番近いからって不純な動機のくせに! 福岡の家から一番近いところに行けばいいじゃん! 不純なくせに!」


 その後も、優子の勢いは止まることなく、なにがなんでも空太を連れて行こうと説得の言葉をまくし立てた。

 空太が揺らがないと見るとべそをかき出し、これ以上ないくらいに空太を困らせた。最終的には、母親の一言でだまった。


「ほらほら、わがままばかり言わないの。お兄ちゃんにきらわれちゃうわよ」


 十三年間母親をやっているだけに、娘のあつかいには慣れている。


「わかった……。お兄ちゃんのことはあきらめる……」


 売られていく子馬のようなまなしを残し、優子は自分の部屋に帰っていった。

 その翌日に、空太はスイコーへの入学と入寮の手続きを済ませ、家族は引っしの準備にかかった。


 そんな一年前の出来事が、今ではずいぶんと昔のことのように思える。

 話の最中から、じんはけらけらと笑い続けていた。


うらやましい家族だな」

「全部、あほなおやのせいです」

「ま、けど、しんこくな事情じゃなくて安心した。やばいもん出てきたときの予防線、張ってなかったからな」

「一家さんとか? 親父しつそうとか?」

「そういうこった」


 にっと仁がさわやかに笑う。この表情で女性は落ちるんだろうなあ。


「で? お前、ここで何してんの?」

「ああ、これです」


 ひろからわたされた写真を仁に見せる。


「かわいい子だな」

「そうですね」

「五さいくらいだよな」

「だと思います」

「お前の妹とか?」

「いや、ちがいますよ」

「うん、よし、わかった」

「何がわかったんですか?」

「警察に行くぞ、そらおれはロリコンですって自白するんだ。そして、最近この辺でも多い、変質者によるかん事件の犯人として名乗り出ろ。俺もいつしよに行ってやる」

「真顔でなに言ってんですか! 違いますよ! 先生にたのまれたんです! 駅にむかえに行けって言われて」

「あ、なんだ。そんな落ちかよ、おもしろくね〜」

「俺が痴漢の方が面白かったんですか」

「ま、このつまらん現実よりは、いくぶんましだろ」


 どこまで本気かわからない顔を仁はしていた。

 鹿話が一段落したところで、黒いタクシーがロータリーに入ってきた。空太から十メートルほどはなれたタクシーの乗り場に停車する。

 何の気なしに見ていると、後部座席から見慣れたスイコーの制服を着た、見知らぬ少女が降りてきた。

 制服はまだ真新しく、体にんでいない。茶色のトランクを両手で前に下げ、走り去ったなりナンバーのタクシーを見送る横顔は、どこか退たいくつそうだ。

 わずかにり上がった目元のせいで大人おとなびては見えるが、制服を着ているのだから、そらと同年代のはずだ。

 き通る白いはだが、かのじよのいる周囲の空間までも、白く染め上げていく。

 その美しさに、空太は目をうばわれた。頭の中から余計なものは失われ、果てしなく続く白い世界だけが心の中に残っている。周りの景色は見えなくなって、呼吸は苦しくて、自分がどこにいるのかも、このとき空太は忘れた。

 一面の雪原に少女がひとりで立っている。そんなありえないさつかくとりこにされていた。


ふんあるなあ。あの子。なあ、空太?」

「…………」

「空太?」


 じんが何か言っている気がしたが耳に入らない。

 彼女が静かに歩き出す。ねこで言えばイリオモテヤマネコ。しんのある存在感を放ちながらも、どこかあやうさが常にただよぜつめつしゆ。目をらしたすきに、はかなく消えてしまいそうな不安な気持ちにさせられる。

 彼女は音もなく、ロータリーわきのベンチに、それこそ人形のように座った。



 空太とのきよは約六メートル。

 わけのわからないきんちように負けて、空太はのどを鳴らした。