「いくらかわいいからって、がっついて見るのはマナー違反だぞ。お前のど真ん中だってのは、俺も認めるところではあるが」
「…………」
「なんか、こう、守ってあげたくなる感じだもんな」
「…………」
「わかったよ。俺の特殊能力を見せてやるよ。そうだな、身長は162センチ、体重は45キロ、スリーサイズは上から79・55・78で間違いない。貧乳じゃないかって? そう悲観的になるな。ウエストが細い分、脱がしてみると、数字の印象より胸はある。俺を信じろ」
仁の声は、少し前から聞こえていた。
「……なに言ってんすか、仁さん」
「だって、お前、わかりやすすぎ」
夢の世界から現実に戻っても、空太は少女から目を離せなかった。少女の横顔に、何かの面影を見たような気がして、その答えを探してしまう。
そして、意外なほど早く見つかった。
「あ、そうか」
「いいよ、いいよ、照れるな、照れるな」
「違います。彼女ですよ」
その思いは、口にしたことで確信に変わっていた。
「は? お前こそ、なに言ってんの?」
「てっきり、電車で来るんだと思ってましたけど」
「ほんと、頭は大丈夫か?」
「だ〜か〜ら〜、この写真!」
千尋から渡された写真を、仁の顔に突きつける。
「まったくわからん」
「もう、いいです」
鉄柵から腰を浮かせると、空太はベンチに座った少女に近づいていく。
「ねえ、あなたは何色になりたい?」
それが彼女の声だとすぐには気付かなかった。
彼女に意識を集中していなければ聞き逃していたに違いない。
見上げてくる彼女と目が合った。それだけで、空太の心は動揺した。
「俺?」
小さく頷かれてしまった。
「考えたことないな」
「なら、考えて」
「将来のことは未定だけど、とりあえず、今は玉虫色だよ」
「それは色?」
「ほんとは虹色っぽいけど、意味合い的には曖昧な色ってとこかな」
「面白いね」
「君は?」
「え?」
「何色になりたいんだ?」
「考えたことないわ」
「なんだ、そりゃ」
「今はたぶん白」
「名前のまんまなんだな」
「……」
わずかに驚いた目が空太を見ている。
「ごめん。怪しいもんじゃない。俺は神田空太。千尋先生に頼まれて迎えにきたんだけど。知ってるよね?」
「千尋に?」
「ったく、先生も無茶苦茶だな」
目の前の少女と写真を見比べる。一見してすぐにはわからない。けど、なぜだか空太にはわかった。雰囲気がそっくりだったから。
彼女こそが椎名ましろなのだ。
「何年前の写真よこしてんだよ。三倍は育ってんじゃん」
3
──このまま、彼女をさくら荘に連れて帰っていいのだろうか。
今にも止まりそうな速度で隣を歩く椎名ましろの横顔に見惚れながら、空太はそんなことを考えていた。
線の細い体。小さな声。物静かな動作。感情の起伏も乏しく、表情も薄い。
隣にいると、今にも割れそうな氷の上に立っているような気分になる。
触れたら壊れてしまう繊細なガラス細工の置物。
そんな印象を、空太はましろに抱いていた。
それに加えて、
「空太っていいね」
「え?」
「音がきれい。わたし、好きよ」
とか突然言い出して、空太を喜ばせてしまうような無防備な子なのだ。
さくら荘の空気が合うとは思えない。
あそこは常識はずれの個性の集まりだ。規格外の人種の巣窟だ。
宇宙人の上井草美咲。引きこもりの赤坂龍之介。夜の帝王である三鷹仁。その上、教師はものぐさで適当を絵に描いたようなあの千石千尋。
そういえば、駅で一緒になった仁は、いつのまにかいなくなっていた。
おかげで、空太は初対面の女子とふたりきりにされてしまった。
気の利いた話でもしようと思えば思うほどに、話題が思い浮かばない。
そこにきて、ましろの先ほどの発言だ。
空太の脳はすっかり茹で上がっていた。
だが、そんな自分の情けなさが、逆に空太を開き直らせた。
「あのさ」
「ん?」
「椎名はスイコーに入学するんだよな」
ましろの首がわずかに横に振られた。
「編入」
「あ、そうなのか……ってことは、二年?」
今度は小さく頷く。
「タメなんだ」
澄んだ目が、斜め下から見上げてくる。表情は動かない。
恥ずかしくなって、空太から目を逸らした。
ただ、黙ってさくら荘を目指す。
──こうなったら、俺が盾になるしかない。敵は手ごわいがやるしかない
もう、さくら荘の屋根が見えていた。
さくら荘に着くと、引っ越しセンターのトラックが出て行くところだった。耳障りなエンジン音を鳴らし、駅の方へと消えていく。
ましろから預かったトランクを玄関脇に置き、
「ほら、あがって、あがって」
と寮内に招き入れる。
すると獲物を見つけたチーターのような足取りで、二階から美咲が駆け下りてきた。いや、飛び下りてきた。膝のクッションを利かせた着地は、まさに野生動物そのものだ。
「さくら荘へようこそ〜!」
手に持っていたクラッカーを容赦なく放つ。ましろの前にいた空太に見事直撃。
とりあえず、仕返しに脳天にチョップを叩き込んでやった。
「うげっ! 乙女になにするかー!」
「乙女を名乗るのは、せめて俺の部屋で寝るのをやめてからにしてください!」
「大丈夫だよ! あたし、チューもしたことないし、全身丸々新品だも〜ん」
取り残されたましろが後ろでぽかんと見つめている。
「いやいや、先輩はただの先輩であって、別にいかがわしい関係だったりは絶対にしないから! 変な誤解はしないようにね?」
「え〜、なになに、こーはいくんってば、もうましろんのこと気になってんの?」
「違うわ! つか、ましろんって……なんで、先輩が知ってんですか?」
「ほらほら、玄関じゃなんだから、お部屋に案内してあげよーよ」
「美咲先輩が足止めしたんでしょうが!」
「ついにあたしにもお隣さんが出来たんだよ! お泊まりしたり、されたりするのかな? 恋の相談とかしちゃうのかな!? うお〜、盛り上がってきた〜!」
トランスしている美咲を押しのけて、空太はましろを連れて男子禁制の二階に上がった。
202号室のドアには『ましろの部屋』と書かれたプレートが下がっている。しかも、なぞのアニメキャラ付きで。
「あたしが昨日夜なべして作ったんだよ」
いつのまにか追いついてきた美咲がしゃしゃり出てくる。
「昨日は徹夜でゲームしてたくせに」
それにも動じず、美咲は部屋主に断りもなくドアを開け放った。
「どどーん!」
空太の記憶では空っぽだったはずの部屋には、ベッド、ドレッサー、机、それに大きなモニターが特徴的なPCや、衣服といった諸々の荷物が運び込まれ、完璧に整理整頓されていた。
「どうだい、この見事な仕事っぷりは。こーはいくんが出かけている間に、完璧な仕事をしていったよ。やるね! サイのマークの引っ越しセンター! プロだよ! あんたらプロだったよ!」
無駄にハイテンションの美咲が自分の手柄のように誇らしげに胸を張る。
「別に先輩は何もしてないでしょ」
「ちゃんと見守ってたも〜ん」
その間も、部屋の住人となる予定のましろは、無言かつ無感動に、空太と美咲のやり取りを見ているだけだ。
「椎名……ほんとにここで暮らす気か?」
「そうよ」
そよ風のような声で囁く。声量はないが、口調はしっかりしていて、声音自体には芯があるから不思議だ。ただ、やはり、何度聞いても、感情表現は淡白だった。
見ているだけではらはらしてくる。なんだろうか、この気持ちは。