さくら荘のペットな彼女

第一章 さくら荘へようこそ ⑦

「いや〜、あたしとしてもうれしいよ〜。同じ美術科の仲間だもんねえ」


 うっとりした顔でさきがましろにり寄るのを、そらは頭をさえてめさせた。


「てか、しいって、美術科なのか?」


 ただでさえとんでもない倍率なのだ。そう簡単に、ちゆう入学できるはずがない。


「そうよ」


 ましろは平然としている。


あまいな、甘いな。な〜んにも知らないんだから。近代戦の勝敗を決めるのは情報なんだよ。そんなんじゃ百戦百敗しちゃうんだから。なげかわしいよ、投げなわしたいよ!」


 勝手にやっていろという言葉はみ、空太は美咲という名の暴走列車を、どうにかレールにもどそうとする。


「じゃあ、せんぱいは何を知ってるんですか」

「ましろんは現代デザインアートの世界じゃちようがつくほど有名人だってこと! ちっちゃいころからイギリスで、美術の英才教育を受けたんだって」


 ということは、帰国子女。どこか不思議な言動や、会話のテンポのずれ、それにましろを取り巻く独特のふんは、海外生活の長さに起因するものなのかもしれない。


「もうすでに海外の美術館に絵が何点かかざられてるんだよ。賞とかもらってるんだから! その絵に、ものすごい値がついたとかつかないとか」


 ましろが否定しないところを見ると、本当なのだろう。

 だが、いまいち、芸術の世界の尺度がわからない。


「新幹線で言うとどれくらい有名ですか?」

「当然、のぞみだよ!」

「そりゃすげえ」


 どうだまいったかと言わんばかりに、美咲がえらそうに両手をこしに当てる。


くさっても美術科の生徒なんですね、先輩も」

「なんで?」

「だって、椎名のこと知ってるのって、そのせいでしょ?」

「ううん。昨日、ひろちゃんに全部聞いたの」

「それにしては、やけに偉そうだったな、おい!」

「一秒でも先に知った方が勝者なのだよ。ふははははははははっ!」


 わけのわからん高笑いに対して、再びチョップをり下ろす。すると、美咲がしら取りで受け止めた。


「あたしに、同じ技は二度通用しない!」


 ならばと、がら空きになったおでこに逆水平をおいした。


「うごっ! 痛いな〜もうっ! 好きな子についついちょっかい出しちゃうようえんか、こーはいくんは!」

せんぱいに対して、いらち以外の感情をいだいたことなんてありませんよ!」

「自分をいつわりたいとしごろなのはわかるよ。自分を大きく見せたい年頃なのもわかる! でも、うそはいけないんだからね! こないだおに入ってきて、はだかのあたしをおそおうとして鼻血ぶ〜したくせにぃ! しっとりれたあたしの体に興奮しちゃったくせにぃ! 照れちゃってかわゆいんだから〜もう!」

「んなっ! あれはっ! 先輩が風呂の時間のルールを無視して起きた事故でしょうが! おれがいしやですよ! 俺の赤血球とか白血球を返せ!」

「あたし、ぐとすごいんだよ!」

「脱がなくてもすごいんですよ!」


 そこで、はたと思い出し、そらおそる恐るましろを見た。ましろの表情には何の感情も見つけられない。ちょっと不思議そうに、空太とさきながめているだけだ。


「えっと、ドン引きしてる?」

「なにが?」

「いや、今の流れ的に」


 さらにわからないと言った様子でましろが首をかしげる。

 そのかわいらしいしぐさに、空太は言葉をまらせた。


「やべえ、ちようかわいい……とか思ってるのがばればれだよ、こーはいくん」

「だったら、それだまっといてくれませんかねえ!」


 こぶしふたつで、美咲の頭をぐりぐりとする。


「あだだだだだだっ!」

「あんたら、相変わらず仲良しねえ」


 り向くと、ゾンビのような足取りのひろがいた。空太ののろいがいたのか、合コンははずれだったようだ。

 千尋の後ろには、駅ではぐれたじんの姿もあった。どことなくげんな顔で空太と美咲を見ていた仁の両手には、買い物ぶくろが下げられている。中身は、なべの材料一式と、おやジュースだ。

 空太と目が合うと、


かのじよかんげい会で必要だろ?」


 と口のはしを片方だけ持ち上げて仁が器用に笑った。


「先生も早かったですね。やっぱり、婿むこはだめでしたか」

「私も軽く見られたもんよ。医者なんてひとりもいないじゃない! 全部、うそよ! 経歴しようとはいい根性してるわ」

「先生も、ねんれい詐称してるんだから、おたがい様でしょ」


 前にひろが言っていた。合コンの場では永遠の二十七さいなのだと。


「は〜、もう、今、幸せなやつらは全員死ねばいいのに」

「千尋ちゃん、ファイトーだよ。婿むこが見つからないときは、こーはいくんがよめにもらってくれるって言ってるから」

「言っとらん!」

「そうね。あと五年くらい待てばありよね」

「ないだろっ!」

「しっかし、ほんとに来たのね」


 千尋の目が、試すようにましろへと向いた。何か意味深な視線に見えたのは、たぶん、かんちがいではない。


「うん」


 ましろが小さな声で返事をする。


「あの、先生、質問いいっすか」

しようだれかを傷つけたい気分だから手短にね」

「んじゃ、一個だけ」


 本当はほかにも色々と聞きたかった。

 海外で本格的に美術の勉強をしていたやつが、何でわざわざうちにきたのか、とか。

 両親はどうしているの、とか。

 数ある質問の中で、そらは一番気になることを口にした。


「なんで、しいの引っし先はさくらそうなんですか? いつぱんりようも部屋は空いてますよね?」

「そんなの決まってるじゃない」

「いや、全然わかんないんですけど」

「ましろには、ここがふさわしいからよ」

「はあ」

「すぐにわかるわ。特にあんたはね」


 千尋の目があやしく光ったわけが、やっぱり空太にはわからなかった。


    4


「ねみ〜、そうなほど、ねみ〜」


 なぜ、今日はもう春休みじゃないんだろうかと、意味のないことを考えながらも、どうにかそらはベッドから重たい体を起こした。

 不足の原因はさきにある。最近は何かあれば全部美咲のせいだ。地球温暖化も、世界同時株安も、円高も、コンコルドやブルートレインがはいになっていく世の中も、全部美咲のせいだと思っている。きっと、そうにちがいない。

 寝るのがおそくなったのは、ましろのかんげい会をしていたからだ。合コンのショックを引きずったひろと、あかさかりゆうすけは、部屋に閉じこもっていたから、空太と美咲、それにじんの三人でましろをもてなした。

 仁の用意したなべを囲み、美咲が一方的にまくし立て、空太はましろにがいおよばないようにたてとなった。ましろは美咲をめいわくに感じている様子はなかったが、仁の気のいたじようだんにもほとんど表情を変えなかったので、本心の方はよくわからなかった。

 少し変わったところはあるけど、根はじゆんすいで物静か。だれかが見ていてあげないと、いなくなってしまうはかない存在。それが、空太がましろに改めていだいた印象だった。守ってあげなければ、このさくらそうでは生きていけない。だから、守ってあげようと空太はひとり心にちかった。

 しめのぞうすいを食べ終わると、美咲がまだ一度も使っていない三年の英語の教科書に、体操選手が鉄棒で大車輪からムーンサルトを決めるぺらぺらまんを作って、余興としてましろにろうした。そのクオリティは異常に高く、アニメの動画レベルのしろものだった。

 そのお返しにと、今度はましろがトランクからクロッキー帳を取り出して、おこぼれにあずかろうとやってきた七ひきねこいてくれた。

 見たしゆんかんとりはだが立ち、空太は感想を言葉にできなかった。クロッキー帳に描かれた七匹の猫は、今にも動き出しそうで、本物よりも本物に思えた。

 その絵は、空太の部屋のかべってある。