ウィザーズ・ブレイン

第一章 騎士と天使と悪魔使い~Dance in the air~ ③

 ノイズだらけの不せんめいな画像は、それでも十分に事態の異様さを伝えていた。

 モニター左側の赤い船影が、ベルリン・シティ防衛局所属、空中戦艦『ジークフリード』。全長五〇〇メートルの威容が、やみ色の空に映える。

 それはよい。

 だが問題は、映像の右半分をしめる白い物体だった。中央部分は、ジークフリードとほぼ同じ大きさ。見ようによっては、デフォルメされた輸送艦のように見えないこともない。

 そこから、触手、としか形容の仕様がない物体が無数に生えていた。

 一本一本の太さが一メートルほどのそれは、あるものはきばがびっしりと生えた怪物の頭部を持ち、あるものは先端に巨大な人間の手や足を生やし、またあるものは、植物のつるのように途中で無数に枝わかれし、そのどれもが、うねうねとうごめいていた。

 そいつらは、次々にジークフリードに取りつくと互いに絡み合って巨大な網となり、赤い船を自分の方へ引き寄せはじめた。


「ゴースト・ハックか」ゆういちは、モニターの向こうの化け物をにらみつけた。


「……は?」パイロットがぼうぜんと振り返り「ゴースト……ハック?」

「仮想精神体を送り込むことで、無生物を生物化する能力だ」早口に説明しながら、通信機のスイッチをたたく。「おそらく、情報構造の維持に『おう』のメインシステムそのものを利用している。大戦中にほうが散々使った手だ」


 パイロットが放心状態で、魔法士、とつぶやきを返すが、相手にしてはいられない。


「……本部か? くろさわ少佐だ。ジークフリードがこうげきを受けている……違う、その通信はダミーだ……そうだ、すぐに対魔法士戦の準備。それと、准将を出してくれ」


 ほどなくしてモニターの向こうに、祐一の直接の上司である、ひげづらの小男が現れた。


『……少佐か! どういうことだ? こちらにはそんな連絡は』

「電波かく乱が行われている。おそらく、ウクライナの中継基地だ。同時にデータベースの電磁波マップも改ざんされていたために、気づくのが遅れた。なかなか手の込んだ相手だ」

『……こちらでも確認した……結局は、君の方が正しかったということか』


 祐一は、作戦内容の再検討を進言したときの、准将の皮肉な笑みを思い出していた。


「作戦立案をすべてコンピュータに任せているから、こういうことになる……それとも、作戦内容を疑いたくない理由でもあったのか?」


 そのしゆんかん、准将のほおがかすかにひきつったのを、祐一は見逃さなかった。


『……なにが言いたい!』

「なら、質問を変えよう。かんないせんになった場合、『ジークフリード』の現在の戦力は?」


 准将の禿げ上がったひたいには、玉のような汗がびっしりと浮かんでいた。


『……自動防衛機構と、非武装の研究員が数名だ』

「通常、輸送任務はえい艦三機を含む四機編成で行われる。まして、今回はこうとの共同作戦。最大限の兵力をもってあたるのが妥当だろう。だが作戦立案コンピュータの出した結論は『戦艦一隻による輸送』。そして、あんたらは渡りに船とばかりにその作戦案に乗り、わざわざ無人航行の可能な戦艦まで持ち出した。なぜだ?」

『……それは……』

「理由は一つ。積荷の正体が、万が一にも一般兵に漏れてはまずいからだ」祐一は、今やはっきりとわかるほどふるえている、名目上の上司をにらみつけた。「答えてもらおう。ジークフリードの積荷は、なんだ?」


 准将は青ざめた顔で、それでもなんとか祐一の眼光を受け止めようとし、失敗した。


『……マザー・コアだ』

「やはり、そういうことか」


 それさえ聞けば、用はない。

 ドアに手をかけ、いっきに開く。エントロピー制御のおかげで外気の流入は押しとどめられているが、一歩でも踏み出せばそこはマイナス四〇度の死の世界だ。


「時間がない」パイロットを振り返り「おれは今すぐジークフリードの救助に向かう。君はこのままかんし、後続部隊に合流しろ」


 それだけ言って機外に身を乗り出す。

 見上げれば、鉛色の空はいっそう重くのしかかり、眼下の人間達を押しつぶそうとしているかのようだった。

 ようやく我に返ったパイロットが「了解!」と叫ぶのを背後に聞きながら、ゆういちはその身を極寒の空へと投げ出した。



『ジークフリード』第一階層。れんの足音は、リノリウム張りの天井に幾重にもはんきようして、どこか不吉なひびきを形成していた。


「ああ! もう!」


 なんでこんなことになっちゃったんだろ。最後のつぶやきは、口に出すのももどかしい。

 心臓は、はやがねどころか、変則的な三二ビートを刻んでいるが、とにかく我慢。白っぽい無機光に照らされた通路を、ただひたすらに走る。

 実際、自分でも信じられないほどうまくいっていたのだ、途中までは。

 普段なら、作戦に入るまでの下準備や終わったあとの事後処理などは兄と姉がやってくれるのだが、今回は二人には内緒で受けた依頼だったから、全部自分でやらなければならなかった。

 錬は知恵を絞って、二つの手を打っておいた。

 まず、こうシティとベルリンシティの作戦立案コンピュータをハッキングして、計画表を一部書き換えさせてもらった。作戦に参加するかんは双方から一隻ずつ。えい艦をぞろぞろ引き連れてこられては、さすがに対処しきれない。

 それから、ウクライナ平原の電波中継施設をハッキングして、にせの通信を流しておいた。念のために公共のデータベースに侵入して、電磁波マップも改ざんしておいた。

 それだけ準備万端整えておいたのがよかったのだろうか、『ジークフリード』の制圧は、あっけないほど簡単に成功した。

 本当は、もう少し大がかりな抵抗を予想していたのだが、ゴーストハックした『おう』を使って『ジークフリード』を取り込み、メインシステムをハッキングして自動防衛機構を乗っ取ってしまうと、白衣の研究員達は自室に逃げ込んでしまい、錬を拍子抜けさせてくれた。

 不思議なことに、この船にも『桜花』にも、せんとういんは一人も乗っていないらしい。

 データベースから船内構造を呼び出すついでに研究員達の部屋をロックし、最後に触手づたいにこっちの船に乗り移って、所要時間はたったの一五分。

 そこまでは、よかったのだ。

 それなのに。

 ──なんなんだ、あれは!

 れんの脳と直結した『ジークフリード』船外カメラは、信じがたい光景をとらえていた。

 鉛色のやみ空に悠然と漂う触手の化け物、こう市軍所属大型そうかんおう』のなれの果て。

 その無数の触手の上を、飛び回る物体があった。

 触手を相手に戦いをり広げるその正体は、カメラの視点からでは黒い点としか判別できない。それはあまりに高速で、触手に比べてあまりに小さ過ぎる。

 だが、それが触手に接触するたびに、錬の脳にさざなみのような不快なパルスが走り、巨大な触手は一つ、また一つとかいされていくのだった。

 錬は、なんとか敵の正体を見極めようと、カメラに命令を送り込んだ。

 が、次のしゆんかん、その映像は唐突に消え去った。破砕された触手のかけらが、船外カメラを装甲板ごと削り取っていったのだった。

 そういうわけで、錬は走っている。

 室温二五度に保たれた船内を全力で走っていると、呼吸が乱れ、汗がほおを伝って流れ落ちる。だが、そんなことに構ってはいられない。こうなったら一分一秒でもはやく作戦を終了し、脱出しなければならない。

 目的の部屋は、四層に分かれたこの船の第二層の一番奥。そこに、船内システムから完全に隔離された独立した空間がある。『サンプル』があるとしたら、ここしかない。

 脳内時計が『二時四七分』を告げた。

 階段を数段飛ばしで飛び降り、横の通路に飛び込む。なん度か角を曲がり、比較的開けたホールのような空間にでた。

 倉庫代わりに使われているとおぼしきその場所は照明がカットされていてひんやりとうす暗く、今はからっぽだった。