ウィザーズ・ブレイン
第一章 騎士と天使と悪魔使い~Dance in the air~ ④
直径一〇メートルほどのホールをはさんだ反対側に、目的の部屋が見えた。
そして。
「遅かったな」
薄暗いホールの闇と静寂を従えて、その男は悠然とたたずんでいた。黒い軍服と、黒いロングコートと、黒いミラーシェードに身を包んで。
東洋系の人種、おそらくは日本人。年は二〇代後半、三〇代かもしれない。短くそろえられた黒髪も一九〇センチ近い無駄のない
だが、それ以前に、そいつは人間とは異なる、なにか死神めいたものに見えた。
「ずいぶんと好き勝手に暴れてくれたが、ここまでだ」
男は、手に持った剣をゆっくりと
構えもなにもなく無造作にさげられたその剣は、おとぎばなしに出てくる西洋の
全体として一つの巨大な構造をなすよう形作られたその細工は、飾りと呼ぶにはいささか大げさで、芸術と呼ぶにはあまりに無機的だったが、
「投降しろ。抵抗するなら、殺す」
すなわち、精巧な電子回路を。
……まさか、子供一人とはな。
中途半端な長さの少し
単独で行動するということは、自分自身のI-ブレインに相当の自信を持っているのだろう。実際、ここまでの手並みは子供とは思えないほど見事なものだ。
だが、
……君の力、見せてもらおう。
先手必勝。
(I-ブレイン、戦闘起動)
思考の主体をI-ブレインに移行。思考単位をナノセカント(一〇億分の一秒)に固定。
(情報構造体を接続。「
状況の認識。体内の熱量の流れ、神経パルスの波形、
(「身体能力制御」発動)
I-ブレインは単なるコンピュータではない。より正確に言うなら『ある一定以上の演算速度を持ったコンピュータは、もはや、コンピュータではない』。
コンピュータは、情報を扱う機械だ。
端末ディスプレイの生み出す映像、音、言葉、思考。すべては、抽象化された
では、情報とはなんなのか。
その答を最初に見出したのは、二一世紀のネットダイバー達だった。彼らはよりリアルな仮想現実を追求した末に、あるとき気づいた。
自分達が扱ってきたものは、ディスプレイに表示される文字列や、回路を流れる電流のオンオフではない、もっと抽象的ななにかであったことに。そして、そのなにかは現実の世界にまで広がっていることに、現実と仮想現実の間に本質的な区別がないことに。
世界は『情報』でできている。
人の心も、物理法則も、
ならば、こちらもより速くより強く、情報を押しつければいい。
電子や光の流れを媒介せずに『情報』を直接操作することが可能ならば、物理法則はたやすく乗り越えることができる。
ネットワーク構造を伝ってコンピュータのデータを書き換えることと、世界のすべての情報によって構成される広大で煩雑な『情報の海』を伝って、物理定数や基本式を書き換えることとの間には、本質的な違いはなに一つない。
世界で最初の一〇〇万ビット量子コンピュータが起動され、現実に『
そして、『魔法士』が生まれた。
(運動速度、知覚速度を二〇倍で定義)
時間が遅くなり、五感の情報がすべて数値データに変換されていく。『身体能力制御』は自分の体内における物理法則を改変し、筋力、反応速度、神経伝達速度を増幅。同時に、不自然な運動の生み出す反作用から肉体を
多様な
踏み込む。
二〇倍に加速された肉体は、本来の物理法則を切り裂いて、疾走を開始。
一歩目、足が床面に接する。I-ブレインがめまぐるしく回転し、高速運動が生み出す
少年が
予想よりも反応が早い。知覚速度はおそらくこちらと同等。
だが、運動速度が伴っていない。
続けて二歩目。
ここで、少年の肉体が動作を開始。
推定運動係数は約五倍。なかなかの数値だ。
三歩で射程距離に飛び込む。
剣の軌道上にあった腕が寸前で引かれ、小さな体が向かって左に大きく跳びすさる。
剣先が床に
(
かまわず、チタン合金の手に向かって叩きつける。接触した
少年が、さらに一歩距離を
斬り上げた剣先を引き戻しつつ踏み込む。少年との距離を一瞬で
正確に少年の右腕を狙ったこの突きは、しかし、いつのまにか少年の手に出現していたナイフに受け止められた。
(情報解体、失敗)
『冥王六式』の干渉力がナイフの論理構造に抵抗される。ハッキングが終了する前に、少年は突きの勢いを利用して
よく、かわす。
(
論理構造を回復したチタン合金が空中で再結晶し、床に跳ねて甲高い金属音を立てた。
(運動係数制御デーモン「ラグランジュ」
と同時に、男が踏み込んできた。
速い。
二〇倍に引き伸ばされた時間の中で、男は当たり前のように『普通』に動いて見せた。
知覚速度と運動速度の比率は四分の一。空気がコールタールのように重く感じられ、ひどくじれったい。
だが、これ以上の速度での運動は、自分の肉体を



