第一部 『DAY 0 彼とスズキの通話』

第六章 『重要参考人』

第六章  『重要参考人』 



 スズキ

「その男の名前は、サトウといいます。こちらも偽名ではなく、本当にサトウです。嘘じゃないですよ!」


 男

「分かりました。サトウですね」


 スズキ

「サトウは七十二歳。北海道在住。細身で背が高く、矍鑠かくしゃくとした、実年齢より若く見える男です。狩猟免許とライフルの所持許可を持ち、散弾銃とライフルを合計六丁所持しています。そしてその中に、338ラプアマグナムを撃てるものが一丁あります。当然ですが、一昨年の段階で警官が訪問した一人です」


 男

「続けてください」


 スズキ

「サトウは、経歴が少々変わっています。もともと、東京で金属加工の会社を経営していました。祖父の代からの三代目でした。今から二十二年前、当時五十歳のサトウは順調だった会社や、持っていた東京の不動産を全て売り払い、北海道に三人の子供、息子二人に娘一人を連れて移住しました。場所は――、“道北のどこか”とさせてください」

「そこでは何を? 牧場でも始めたんですか?」


 スズキ

「おっしゃる通りです。離農する酪農家から、必要な物の全てを買いました。その先にはもう誰も住んでいない谷間の広大な牧草地と、牛舎と乳牛と住宅と農機と――、とにかく全てです。

 周囲には、『第二の人生を北の国で送る夢が叶った』などと言っていたそうです。東京から来た素人に何ができると、現地の同業者からは、散々笑われたそうですが」


 男

「そして今も過ごしているのなら、経営や生活は上手くいったのでしょうね」


 スズキ

「はい。まあ……、もともとが億単位の資産を持っていた人でしたし。例のドラマとは、ほどほど遠いですね。言ってはなんですが、完全にお金持ちの道楽ですよ」

「『例のドラマ』……? ああ、なるほど。確かにそうですね」


 スズキ

「サトウは牧場の経営者になって、実際の酪農作業は、地元の経験者を大量に雇って、ほとんどを任せていたそうです。彼の地では、就職先として重宝されているそうですよ。

 移住後サトウは、金と暇に飽かして趣味に没頭したそうです。分かっているだけでも、自動車、バイク、スノーモービル、それらのメンテナンスとしての機械いじり、ギター、ピアノ、料理、写真撮影、釣り、乗馬、カヌー、スキー、そして――」


 男

「射撃と狩猟、というわけですね」


 スズキ

「そうです! 移住後すぐに所持許可と狩猟免許を取ると、広大な自分の牧草地で、誰にも憚ることなくエゾシカを撃って仕留めるようになりました。さらに十年前には、近くの町の国道沿いにジビエ料理のレストランを開いています。こちらもシェフや従業員を雇って、自身は経営と肉の調達だけですね」


 男

「なるほど」


 スズキ

「レストランは今もあります。最近はジビエブームで客足は絶えず、評判もすごくいい。ネット通販でエゾシカの肉や皮、角などの販売もしています」


 男

「狩ってきた肉を、そのまま自宅で解体して商品として出すのは違法です。食品衛生法で、営業許可を受けた食肉処理施設で解体されていることが条件です。サトウは、そのあたりは?」


 スズキ

「全て完璧にクリアしていました。狩った獲物は自分で解体せず、近所にある処理施設に運び込んでいたそうです。そこで処理された肉以外は、一切使っていません」


 男

「でしょうね」


 スズキ

「は?」


 男

「いえ、続きをどうぞ」


 スズキ

「はい。サトウは他にも、レストランの近くで民宿とライダーハウスを経営しています。こちらも、既存の施設の経営を七年前に譲り受けたものです。ライダーハウスはご存知ですか?」


 男

「聞いたことはあります。バイク乗りなどの、手持ちの少ない若者の旅行者に、とても安い金額で寝床を提供する施設だと」


 スズキ

「はい。言わば現代の木賃宿ですね。実は自分も、学生時代に北海道を自転車で貧乏旅行して、幾つか使ったことがあります。サトウのではなかったんですけどね。

 そういうところのオーナーは大抵話し好きな人が多くて、地元の美味しいものをご馳走してくれたり、若者達と一緒に宴会や会話を楽しんだり、悩みを聞いたり、時にはバイトを紹介したりしてくれます」


 男 

「なるほど」


 スズキ

「サトウも民宿とライダーハウスにちょくちょく顔を出して、宿泊客と楽しんでいるとか。ギター片手にテンガロンハットで乱入する老オーナーとして、旅行ブログや動画にしょっちゅう登場しています。検索すれば、すぐに顔は出ると思います。

 そんな、人生を謳歌している金持ち老人を絵に描いたようなサトウですが、338ラプアマグナムのライフル所持者の中では、今でも唯一、重要参考人として残っています」


 男

「その理由は? あるいはきっかけか」


 スズキ

「はい。些細なことではあったのですが――、かつてサトウの下で働いていた女性が、十八年前に妙なことを言われたと、地元の顔なじみの駐在に証言しました。そのときサトウは自宅でノンビリとお酒を飲んでいる途中で、女性は牧場の仕事の完了を報告に来たそうです。

 サトウはこう言ったそうです。『キミには、死んで欲しいと思った人は、いないかい?』と。女性は、その時は酔っ払いの冗談だと思ったそうですが――」


 男

「ずっと引っかかっていたと」


 スズキ

「はい。そのときのサトウが、それ以前も以後も、見たことのない目をしていたから、だいぶ前なのに、よく覚えていると証言しました」


 男

「険しかった?」


 スズキ

「いえ……。とても、悲しげだったそうです。女性曰く、本当に、泣き出しそうな顔をしていたと。そんなオーナーの顔を、今まで見たことがなかった。いつも明るい人なのにと」


 男

「…………。続けてください」


 スズキ

「この証言で、警察は、サトウのことを徹底的に調べました。そして、すぐに判明したことがありました。サトウの両親と妻は、二十四年前に交通事故で死んでいたんです。妻の運転する車が、行楽先の険しい山道で、ガードレールの隙間から崖下の森に転落したという単独事故でした。

 道からかなり飛び出して落ちていたので、相当な速度だったのは間違いないようです。惨いことに、両親も妻も、事故後しばらくは生きていたようなのですが、なにせ発見されるまで二時間以上が経っていたので、その間に亡くなってしまいました。

 しかし、今回改めて、当時実況見分をした警察OBに話を聞くと、意外なことが分かりました。サトウはずっと、単なる事故ではないと抗議していたそうです。普段から安全運転で、義父母も乗せている妻が、そんな乱暴な運転をするはずはないと、他の原因がなかったのか調べてくれと、執拗に言い続けていたそうです。

 当時はまだ、ドライブレコーダーなんて便利なものは普及していません。道路の監視カメラも少なかった。サトウの熱意というか、しつこさに負けて再捜査はしたそうですが、結局、他の車両や人が絡んだ事故だったのかは分かりませんでした。

 ただ、事実として、その道は夜な夜なスポーツカーで高速で走る、いわゆる“走り屋”が集まる道でした。事故は昼間でしたが、そんな輩が猛スピードで走っていて、サトウの妻の車にぶつからなかったにせよ、事故を誘発した。そしてそのまま救護も、通報もせずに逃げた――、その可能性は残っています」


 男

「なんだ、そういうことですか」


 スズキ

「は?」


 男

「なんて分かりやすい」


 スズキ

「と言われると?」


 男

「サトウは、誰かのせいで自分の妻と両親は死んだと思い込み、その恨みを、ずっと胸に秘めていた。のうのうと生きている“悪人”をどうにかして殺してやろうと決意した。そのために北海道に移住して、合法的に銃を所持して、自分の土地で思う存分狩猟して、射撃の腕を磨いた。どんな小さなことでも警察に捕まりたくないので、一切の法規違反をせずに清く正しく生きてきた。

 やがて、二百メートルがやっとの散弾銃ではなく、千メートルを狙える強力なライフルを手に入れたので、人生の黄昏に、凶悪犯になる覚悟を決めた。民宿やライダーハウスで知り合った人の中で、悲しい出来事に遭った人から話を聞いた。それが被害者達に繋がる。――どうにも簡単な流れじゃないですか」


 スズキ

「それは、そうなのですが……」


 男

「まあ、それくらい警察もすぐに想像しますよね。そして、今でもサトウを逮捕できない理由が、何かある」


 スズキ

「もちろんです! 逮捕できるのなら、とっくに逮捕していますよ!」


 男

「それは?」


 スズキ

「はい。その説明も兼ねて、第五と第六の事件の話をさせてください。と、もうだいぶ電話も長いですが、休憩取られますか?」


 男

「私は大丈夫です。暖かい室内でノンビリとリラックスして、甘いお茶を飲みながら話を聞いていますので。そちらは?」


 スズキ

「大丈夫です! 徹夜は慣れています!」


 男

「ではどうぞ」


 スズキ

「はい。さっきも言ったとおり、一昨年の十二月二十七日以降、しばらくの間、狙撃事件は発生しませんでした。市民の関心も急速に失われ、もうこのまま終息するのでは? といった空気でした。捜査本部も縮小されて、捜査員のやる気も失われていました。SNSでの殺害依頼だけは、たいへんに賑わっていましたが」


 男

「そんなのに食らいつく犯人では、なかったのでしょうね」


 スズキ

「おっしゃる通りです」


 男

「警察も、それっぽく、偽の依頼を出したんじゃないですか?」


 スズキ

「…………。自分からはなんとも」


 男

「そうですか」


 スズキ

「第五の事件の話をしてもいいでしょうか?」


 男

「はい。お願いします」


 スズキ

「去年の、十一月二十八日のことです。被害者は、東京在住の二十二歳の女性。今のところ唯一の女性、そして最若年の犠牲者となっています」


 男

「あえて聞きましょう。彼女はいったい何をやった人なんですか?」


 スズキ

「もう素直にお答えします。痴漢被害のでっち上げ指南です。痴漢詐欺と言ってもいい。女は十代の頃から何回も痴漢被害を偽装し、男から示談の名目で大金をせしめてきました。断る素振りを見せたら警察に突き出すという行為を、あちこちで繰り返していました。

 男達の中には、容疑を否認したために逮捕されて勾留されてしまい、最終的には証拠不十分で無罪にはなりましたが、大切な仕事や信用、平穏な家庭を失った人がいます。さらに女は、その詳細なやり方をマニュアルにしてインターネットで売っていたことが、殺害された後に判明しました」


 男

「なるほど」


 スズキ

「撃たれたときの状況ですが、女は二十七日の夜に、自分の高級外車で東京から茨城県まで、首都高と常磐道で向かっています。そして四日後の三十日の昼、筑波山の北部にある加波山中の舗装林道で、338ラプアマグナムで頭を撃たれた射殺体で見つかりました。

 車が林の中に落ちていたので発見が遅れましたが、銃創で一連の事件と関連付けられました。死亡推定時刻は、二十八日の明け方。そこまで一人で運転していたのは、あちこちのカメラに映っていて間違いないのですが、なぜ人気の無い林道に入っていったかは不明です。携帯電話などの遺留品も、ありませんでした。こちらは位置情報から、犯人に奪われたものと推定されています」


 男

「この事件を、一連の狙撃事件だと公表しなかったのでしょうね」


 スズキ

「さすがですね。おっしゃる通りです。警察は“ただの交通事故”だと発表しました。女性の氏名も、遺族の意向として隠しました。犯人が何か反応を示すかと思ったんですが……、そこまでバカではありませんでした」


 男

「なるほど」


 スズキ

「当然ですが、再びサトウの当日の行動を調べました。そして、今回も完全なアリバイがありました。そもそもサトウは、ここ七年間、北海道からほとんど出たことがありませんでした。四年前に友人の息子の結婚式で広島に行ったのと、三年前に恩師の葬式で東京に行ったのが、確認できる道外への移動の全てです。

 そんな情報がなくても、そもそも彼は毎日、オフィスや牛舎などで、従業員達への挨拶を欠かしていませんでした。自分を二日間以上見かけない場合、自宅で倒れているか、猟場でヒグマに食われているから通報してくれと、冗談めかして言っていたそうです」


 男

「典型的なアリバイ作りです。実行者は他にいる」


 スズキ

「自分も、そう思います。さすがにこの事件のときは、所持している338ラプアマグナムのライフルを一時的に提出してもらいました。いくつかの現場で証拠として回収できた弾丸と、その銃で撃った弾丸の旋条痕をチェックするためにです。

 これまた釈迦に説法でしょうが、ライフルは、弾丸を回転させるために銃身の中に幾筋もの溝――、すなわち“ライフリング”がある。同じ銃から撃った弾は、弾丸に刻まれた溝の模様が同じか、だいたい似たような感じになる。その銃特有の、ライフリングの摩耗や腐食によっては、別のものであるという可能性を限りなく否定できる。まるで、人間の指紋みたいに」


 男

「そうです。そして、サトウ本人は、銃の提出を拒まなかったでしょうね」


 スズキ

「はい。つまらない疑いが晴れるのなら喜んで協力しますと、すぐさま警察署に持ってきたそうですよ。ただ、狩猟期間中なので、なるべく早く返してほしいとも言っていたそうです」


 男

「そのライフルの名前――、会社名と製品名、分かりますか?」


 スズキ

「はい。米国の『サベージ』という会社の『M111 ロングレンジハンター』という、ボルトアクション式のライフルです。サトウはこの銃を、三年前から所持しています。

 調べて分かりましたが、サトウは五年前から同じ型の銃を所持していました。それは狩猟中に岩場に落として破損して、廃銃というかたちで処分して、新しく同じ銃を注文して買っています。

 二丁とも、馴染みだという地元の銃砲店に売買の記録が残っています。日本に正規輸入されているものではないそうで、その店にわざわざ依頼して、輸入代行してもらったそうです」


 男

「なるほど……。では、弾丸のチェックは?」


 スズキ

「北海道警の科捜研――、“科学捜査研究所”で、犯行に使われたのと同じ会社の弾薬を使った射撃テストが行われました。弾薬は、このためだけに米国から輸入したそうです。ごく一般的な、鉛を銅で覆った弾です。

 自分もこれまで知らなかったんですが、北海道では鉛の弾が狩猟に使えないんですね。撃たれても逃げて死んだ動物の肉を、オオワシなどが食べて鉛中毒になるからと。鉛の弾は、ハンターはエゾシカ猟のための所持さえ禁止、つまり、“持っているだけ”でしょっぴけるとか」


 男

「そうです。だから北海道のハンターは、別の金属、主に銅だけでできた弾を使う。サトウが銃砲店で買っていた弾は、犯行に使われたものではないでしょう」


 スズキ

「そうです。そして、その鉛の弾を使ったテストの結果――」


 男

「犯行に使われたライフルと、サトウのライフルが同一と言い切るには無理があった」


 スズキ

「分かりますか?」


 男

「そんな簡単に足が付くのなら、サトウは使っていませんし、アッサリと提出していないでしょう。――それ以前に、同一とみられたら、もう逮捕されているでしょう?」


 スズキ  

「確かに。間の抜けたことを言いました。一致することを期待してテストした連中は、みんなガッカリですよ。その後、念のためにと他の所持者にも同じように行いましたが、全員一致しませんでした――、ってのは言わずもがなですね」


 男

「そうですね」


 スズキ

「捜査本部としても、サトウはやはり違うのではないかと、だいぶトーンダウンしました。

彼だけにリソースを取られるわけにもいきませんし」


 男

「でしょうね。では、こちらもひとまずサトウのことは置いておき、第六の事件について、聞かせてもらえますか? つまり、イモトさんのことを」


 スズキ

「……お話しします。その場には、自分もいましたから……」


 男

「あなたが、いた?」


 スズキ

「そうです……。イモト警視は、私のすぐそばで撃たれて亡くなりました。――連中の標的になったヤツと一緒に」



刊行シリーズ

フロスト・クラック ~連続狙撃犯人の推理~の書影