第一部 『DAY 0 彼とスズキの通話』

第七章 『殉職』

第七章  『殉職』 



 スズキ

「第六の事件は、今年の一月二十一日でした。今から二週間前のことです。しかし、伝えなければならない話は、それよりさらに三週間前に遡ります。

 今年の元日、一月一日の朝九時頃。東京都台東区で、悲惨極まりない交通事故が起きました。まともな運転ができないほど酔った男が運転する大型SUVが交差点で進路を逸れ、横断歩道を渡っていた初詣に向かう歩行者の列に、アクセル全開でまっすぐ突っ込んだんです。

 四人が即死して、病院でさらに三人が亡くなりました。重軽傷者は、あわせて十三人という、日本の交通事故史上類を見ない大惨事になりました。負傷者のうち三人は、四歳以下の子供でした。うち二人は、目の前で親を亡くしています」


 男

「続けてください」


 スズキ

「運転していたのは、四十九歳の無職の男。車は、人々を撥ねた後に電柱に激突し、自身も、撥ねた人に比べれば屁のような怪我を負って病院に運ばれました。

 そして、すぐに判明したのですが……、この男は三十一年前、大学に通っていた土地で、飲酒運転で暴走して死亡交通事故を起こした過去があったんです。

 やはり泥酔して運転。国道の交差点を、猛スピードで赤信号で突っ切り、タクシーに衝突。タクシーに乗っていた客の六十代の夫婦を殺し、運転手に両足が動かせなくなるほどの重傷を負わせた。本人だけは軽傷でしたけどね……。このときに死ねばよかったのに!」


 男

「……それで?」


 スズキ

「当時は危険運転致死傷罪成立前でしたから、僅か四年、たった四年だけ刑務所に収容されたそうです。賠償金は支払われたとはいえ、犠牲者遺族や運転手に直接謝罪したことは、一度もなかったとか。 

 出所後は、両親の離婚で苗字を変えています。ただこれは、ネームロンダリングです。資産家だった親の金で、両親が共に死んでからは遺産で、のうのうと何不自由なく暮らしていました。仕事をした経歴はありません。

 そして、何も懲りずに再び運転免許を取得して、高級外車を乗り回し、危険運転を繰り返し、何度も飲酒運転で摘発され免停をくらい、とうとう免停期間中に無免許運転をして、この死亡事故です!」


 男

「それは、大ニュースになったでしょう。そして、その男を殺して欲しいと願った人が、さぞかし多かったことでしょう」


 スズキ

「ええ。でも、彼についての情報はまだ終わっていないんですよ……。語るも忌々しいですけどね……」


 男

「どうぞ」


 スズキ

「交通事故として取り調べを進めていくと、どうにもおかしい。SUVのイベントデータレコーダーを解析すると、男が事故直前、交差点のかなり前から、意図的にアクセルを踏み込み、歩行者の列をなぎ倒すようにハンドルを調整したとしか思えなかった。

 さらには、男はその時間その交差点を、何度も何度も通っていたことが他の車のドライブレコーダーの映像で分かりました。何事もなく通り過ぎてはぐるっと回って、またその交差点に進入することを、十回以上繰り返していたんです。

 警察は、入院中の男の身柄を確保して話を聞いた。ええ、あくまで聞いただけです。すると、その男はのうのうと言いやがった! これは――」


 男

「事故ではなく、故意にやったのだ、と」


 スズキ

「そうです! 他の車がなく、信号までフル加速できるタイミングを見計らって、歩行者の列に意図的に突入したんです! 事故ではなく、車という凶器を使った通り魔の大量殺人事件だった! しかも! それだけじゃありません!」


 男

「ああ、もう分かりました」


 スズキ

「分かりましたか!」


 男

「外れていることを願いますが」


 スズキ

「それであっていますよ!」


 男

「三十一年前の事故も、意図的にやったものだと、白状したんですね?」


 スズキ

「そうです! 大学の成績が悪くムシャクシャしていた男は、わざとタクシーに突っ込んだんです! 『お前ら無能警察は、本当に気付かなかったんだなあ。二人もぶっ殺せてたった四年で済んだぜ』と、ニタニタ笑いながら言ったんです! クソッタレめ!」


 男

「いろいろと思うところはありますが、今はそれより――、男のことは、大々的に発表されたんですね?」


 スズキ

「そうです! 一月四日に、男は速攻で退院させられ逮捕されました。もう自分の人生などどうでもいいと思っているのか、取り調べには素直に従った。調べて分かったんですが、親の遺産を食いつくして借金まみれでした。自分の人生を終わらせたくてやった犯行だったんです」


 男

「日本中、大騒ぎだったでしょうね?」


 スズキ

「もちろんです! とてつもない嵐が吹き荒れましたよ。そして同時に、この卑劣な犯罪者の死を、心から願う動きが巻き起こりました。日本中がこの男の死を望んだと言っても過言ではなかった。

 当然ですが、『必殺狙撃人』のことを、国民全員が思い出しました。SNSのトレンドを関連用語が占め、運営によって不自然に消されたことで、別のワードが選ばれる騒ぎになりました。

 某有名芸能人が自身のSNSで『今こそ“あの人”の出番では?』と書いたことで、情報番組を降板する事態になりましたが、同情意見が大量に集まって、すぐに復活しています」


 男

「そしてこの男は、実際に撃たれて死んだ、というわけですね?」


 スズキ

「結果的には、そうです……。ただ、警察としては、なんとしても阻止したかった。確かに死刑が当然の、人間のクズ野郎です。しかし、もし狙撃犯に殺されてしまえば、連中の人気がさらに上がってしまう。なにがなんでも、裁判で死刑にして、執行させねばなりません。

 だから、警察は厳重な警戒を敷きました。署での勾留中と取り調べ中は、ずっと防弾チョッキとヘルメットを装着させた。万が一にも、どんな窓であれ、側に立たないようにさせた。もちろん磨りガラスで見えはしないのですが、それくらい徹底しました。しかし、ある程度取り調べが進むと――」


 男

「現場検証が絶対に必要になった」


 スズキ

「そうです。だから、これ以上ないと思われるほど厳重な警戒の下で行うことになりました。事件と同じ時間に交差点の周囲を封鎖して、背の高い貨物車両で現場を囲み、さらに一キロメートル以内のビル内や建物の屋上を、ヘリまで動員して監視しました。警視庁特殊部隊の狙撃隊までも配置して、サミットか五輪かというほどの態勢になりました。

 現場までの往復にも、考えられる限りの偽装工作をしました。本来使う護送車には被疑者そっくりに変装した刑事を乗せ、被疑者は捜査車両に乗せて、別ルートを行く。それも同じ車を三台用意し、時間差で、まったく別ルートで走らせました」


 男

「なるほど。そして?」


 スズキ 

「署から現場までの移動は、無事に終わりました。拍子抜けするほどに。途中、影武者の乗った護送車に生卵などが投げつけられましたが……。現場検証も、周囲から遠巻きに怒号が飛び交う中、問題なく終わりました。

 撃たれたのは……、帰りです。自分が、その捜査車両の運転手をしていました。後部座席右側にイモト警視、左側に、刑事に偽装した被疑者。そして助手席にもう一人、キシダという名の刑事です。

 通常の捜査車両には、防弾ガラスなどありません。だから車内では全員が防弾チョッキを着て、防弾ヘルメットを被っていました。署までのルートは事前に確定せず、そのときの道路状況を考えて変えることにして、候補をたくさん用意していたんです。そして、キシダの最終判断でルートを決めて、自分が運転して、かなりの遠回りをして、護送車や別の班よりずっと遅れて、最後に署の駐車場に入る手筈でした……」


 男

「そこまでして、撃たれたと」


 スズキ

「はい……。署に向かうためには通らなければならない大通りは、いつもどうしても交差点周辺で渋滞します。そこで信号に捕まったとき、突然ガラスが割れる音を聞いて、振り向いたら……、自分は何も見えなくなって……。ブレーキから足を離してしまい、前の車に軽く追突して止まって……。

 これは後から知ったことですが、銃弾は左後部座席のガラスを斜め上から貫いて、被疑者の首に命中して飛び出し、イモト警視の首に当たっていました。自分は、イモト警視の血を浴びて何も見えず、何もできず――、助手席のキシダが降りろと叫んで自分を突き飛ばしたのですが、混乱で運転席のドアが開けられずにいました。

 数秒後、業を煮やしたキシダが外から回って、運転席の窓ガラスを警棒で破ってドアを開けて、自分を引きずり下ろして乗り込んだ。キシダは前の車を強引に押し退けて車を発進させて……。自分はまだ目が見えない中で、一人、道路に残されました」


 男

「それから?」


 スズキ

「自分が、追って撃たれることは、なかった。幸いなことに、被疑者に間違われて襲われることも。やがて通報で駆けつけた警官に、撃たれたと勘違いされて病院に運ばれました……。返り血だけで無傷と分かってから『何をやっていたんだ!』と叱責され、さらに署からの報告で、被疑者が車内でくたばって、同時に……、イモト警視が殉職したことを……、知りました」


 男

「何が起きたか、よく分かりました。教えていただき、感謝します。イモトさんではなく、跳弾があなたに当たっていてもおかしくなかった状況です。あなたは運がよかった」


 スズキ

「そうかもしれませんが……」


 男

「思い出すのも辛いでしょうが、聞きますよ。犯人が撃った場所は?」


 スズキ

「現在も捜査中ですが、判明していません。狙い撃てる場所はたくさんありました。道路脇の駐車場か、建物か……、でも、どこにも痕跡は見つかっていません。東京なので監視カメラは多い。大きな銃を持っていれば、どこかに映ったはずなのに」


 男

「なるほど。ありがとうございます。その後、男が撃たれて死んだこと、さすがに発表しないわけにはいかなかったでしょう」


 スズキ

「ええ。臨時ニュースが流れました」


 男

「世間の反応は、どうでしたか?」


 スズキ

「それは……、もう……、ご想像の、通りですよ……」


 男

「というと?」


 スズキ

「大喝采ですよ! クズ中のクズが死んだと! 日本全国、大変なお祭り騒ぎですよ! 

『裁判費用と時間が省けた!』とか、『税金で弾代を払ったらどうだ? 金一封も出すべきだ』とか! 『これからはこの処刑法でいいではないか』とか! 大喜びです!

 でも、刑事が一人、巻き添えで殉職したことも報道された! なのに! 『残念だけどしょうがない』とか、『警官でよかったな』とか! 『小細工をしたからだ。もっと目立つところに被疑者を立たせておけば、そいつだけがくたばったのにね』とか! ふざけるな! クズを取り締まる警察官が! それもあんなに立派な人が、命を落としたというのに!」


 男 

「冷静に。今怒っても、意味のないことですよ」


 スズキ

「まあ……、そうですね……。すみませんでした」


 男

「隣の部屋から、苦情が来ていませんか?」


 スズキ

「ああ、今のところ、大丈夫です。ご心配をおかけしました……」


 男

「ここまで話を聞いて、納得しました。私のこの電話番号を知ったのは、イモトさんの手帳か何かを見たからですね?」


 スズキ

「おっしゃる通りです……。遺体安置所で、ご遺族に遺品を渡すために片付けていて、イモト警視愛用の手帳を見つけました。いつも持っていた、分厚い革の表紙の手帳です。捜査情報が書かれている可能性があったので、そのままご遺族に渡せなかったんです。中を見させてもらいました」


 男

「なるほど。それは仕方がない。どうしてあなたがこの番号を知ったのか、謎が解けましたよ。それなら仕方がない」


 スズキ

「はい……」


 男

「話を変えます。その事件のとき、サトウの方はどうなっていましたか?」


 スズキ

「道警の捜査員が交代で見張っていたそうです。サトウの自宅母屋はゲートから私道を少し行った先なので、その手前でです。そして、サトウが自宅から出た形跡はありませんでした。

 あの男は、一月の十日に自家用車で名寄の町に買い物に行った以外、そもそも自宅の敷地内から一歩も出ていないんですよ。ジビエレストランのシェフ曰く、十月末から北海道ではエゾシカ猟が解禁になっているので、毎日のように牧草地に狩猟に入っているんだろうと」


 男

「母屋や奥の牧草地に籠もっていると見せかけて、周囲の山野を通り抜けて出ていったという可能性は? サトウは、スキーにも長けているのでしょう? スノーモービルでもいい」


 スズキ

「サトウの所有する牧草地は、完全に山に囲まれています。最大で標高三百メートルはある山地です。そこを抜けて道路まで行くには、かなりの距離がある。簡単に、そして頻繁に出られるとは思えませんでした。それでも、最寄りのJRの駅は全部監視下でした。空港だって派出所がある。人の少ない地域です。さすがに見逃されることはなかったと思います」


 男

「なるほど」


 スズキ

「正直に伺います。――あなたは、サトウが犯人だと思いますか?」


 男

「思います。ただ、実行犯ではない。いわゆる黒幕です。その前に聞いておきますが、サトウの息子さん達や娘さんは、射撃や狩猟は?」


 スズキ

「それが、一切しません。それどころか、サトウの他の趣味にもまったく興味がないようです。サトウの没頭ぶりに、ついていけなかったのではないかと。周囲の人達には、最初だけは面白がって一緒に行ったが、父親が厳しすぎて辛いだけだったと漏らしたことがあるそうです」


 男

「なるほど。彼等は、今でも実家住まいですか?」


 スズキ

「いいえ。それぞれ大学進学で家を出て、以後は戻っていません。三人とも家庭を持ち、北海道以外で生活しています。詳細、いりますか?」


 男

「いえ、実家にしばらく帰っていなければ、いいです」


 スズキ

「三人とも、ここ三年間に戻った情報はないですね」


 男

「なるほど」 

刊行シリーズ

フロスト・クラック ~連続狙撃犯人の推理~の書影