第三部 『DAY プラス3 カレとサトウの通話』
第四章 『凍裂』
第四章 『凍裂』
サトウ
「さて、いよいよこのことを聞こう。――スズキ君は、どうやって撃たれたのかな?」
男
「立ち上がって撃ってきたので、撃ちました」
サトウ
「そりゃ淡泊すぎる。もうちょっとちゃんと説明を聞かせてよ。僕にとっては大切な仲間の最期だよ?」
男
「…………。スズキさんは、倒れていた場所でゆっくりと立ち上がって、ほとんど仁王立ちでした。マリーンマグナムを肩で構えて、私は見えてはいなかったでしょうが正面を向いて、連射してきた」
サトウ
「音は聞こえたよ」
男
「発砲は七回くらいでしょうか。散弾だったのかスラッグだったのかは分かりませんが、確実にこっちに飛んできて、数発は、近くの木に当たって音を立てた」
サトウ
「なんと。偶然とはいえ凄いね。七発なのはあっているよ。マガジンチューブの詰め物、今回のために外したからね。ああこれ、銃刀法違反だから黙っていてね」
男
「何を今さら。――だから私は、スズキさんが慌てて散弾を込め直している間に、しっかりと狙って、撃った。それだけです。それだけ、です」
サトウ
「そっかあ。今度は胸じゃなかったね」
男
「顔です。もし、一発で即死させられなければ、また伏せて隠れられてしまう。それはどうしても避けたかった」
サトウ
「スズキ君はね、たぶん散弾を込めながら『タナカさん! やっちまってくださいよ! やっちまって!』って言っていたよ。それが、人生最後の言葉になった」
男
「そうですか」
サトウ
「悲鳴も呻き声も聞こえなかった。特に苦しむこともなく、自分が撃たれたかどうかも分からないまま死んだと思うよ」
男
「そうですか。別にそれを聞いて、嬉しくも悲しくも思わない」
サトウ
「またまた、無理しちゃって。クリーンキルができて、少しホッとしてるくせに。――まあいいか。スズキ君が撃たれたことで、当然僕達は驚いた。タナカ君は、力なく倒れるスズキ君を見て、仲間の死を理解しつつ疑念を叫んだ。『弾がまだあるのか⁉』ってね。何度も言ったけど、僕達は君がホーワM300だけを持ってると思ってたからね」
男
「その数十秒後、タナカさんは猛烈に撃ってきました。こっちの位置が分かっていたとは思えない射撃でした。もちろん私は頭を引いて、位置はバレていないと思いつつ、なぜそんな撃ち方を始めたのか、疑問に思いました」
サトウ
「そうだろうねえ。だって、僕からの指示だからね」
男
「やはり、そうでしたか」
サトウ
「そうだよ。僕はタナカ君に言った。『北側の森を、とにかく派手に撃って気を引いて。そしたら、僕が車の後ろから、カレを撃つから』って」
男
「タナカさんは、なんと?」
サトウ
「僕が危ないかもと、一瞬躊躇したよ。でも、最良の手段はそれだと思ってくれて、言われたとおりにしてくれた。そして、『当てられたら当てますよ! スズキの仇だ!』って意気込んでいたね」
男
「そうでしたか」
サトウ
「タナカ君が撃ってきた弾は、どうだった?」
男
「正直に答えます。凄まじく、恐ろしかった。怖かった。とても怖かった」
サトウ
「正直だね。いいね」
男
「大木の後ろに隠れたとはいえ、ライフル弾が鞭のような唸りを上げて周囲に飛んでくる様は、本当に恐ろしかった。スズキさんのショットガンの比ではなかった。次の瞬間に、自分が頭を砕かれて、死んだことも分からずに死ぬのではないかと。だから、顔を出してタナカさんを探るなど、できなかった。撃ち返すなんて、できなかった」
サトウ
「うんうん」
男
「せめて射撃が止むのを待ちましたが、タナカさんは、間断なく三十発ほど撃ちまくってきた。いつまで撃たれるのかと思いました」
サトウ
「うんうん。タナカ君は二百発くらい持ってたんだよ」
男
「しかも、近づいて来ていたはずです」
サトウ
「そうだね。森の中を木々伝いに、かなりの勢いで駆け寄ってた。もちろん雪が深いから、普通に走るみたいにはいかないけど」
男
「でも、そのことで……、私はほんの少し冷静さを取り戻せたと思います。なぜ、狙撃の腕がある人が、こんなにも乱射し、さらに突っ込んで来るのかと」
サトウ
「牽制だって、気付いちゃった?」
男
「はい。だからすぐさま、木の陰から車を狙った。そこからも狙われているはずだと思って」
サトウ
「うんうん」
男
「でも、誰もいなかった。車の陰から狙っているはずだと思ったのに、いなかった」
サトウ
「そうだね。僕は結局、ブレーザーを持って出ることはなかったからね」
男
「やはり……。なぜです? あのとき、私は一方的に撃たれていた。怖くて、その場から動けなかった。車の陰から、あるいは窓から、私を狙い撃つ絶好の機会だったのに」
サトウ
「ねえ君。ひょっとして、それが知りたくて、通話してきた?」
男
「そうかも、しれません」
サトウ
「じゃあ、答えてあげたいけど、それはバトルの説明が終わった後でね。――タナカ君は、森の木々伝いにかなり近づいてた。ビシバシと君の周囲に撃ち込んでて、反撃ができない状態にしてた。弾も弾倉もたっぷりあった」
男
「そうです」
サトウ
「タナカ君は僕に言ってきたよ。『反撃がないのでこのまま押し切ります! もし撃てたら撃ってください! でも自分が殺りたい!』ってね。タナカ君は、手ずから君を屠りたかったんだね。分かるよ。だって、スズキ君に仲間以上の愛着を持ってたからね。出来の悪い、でも可愛い弟だって思ってたからね。もちろん本人には、まったく言ってなかったけどね。可愛い家族を殺されたら、そりゃあ燃えるよ」
男
「それなのに――」
サトウ
「それなのに、どうしてタナカ君が負けちゃったのかな? 僕は、タナカ君がどうやって死んだのか分からない。ここまで尽くしてくれた大切な部下だ。死ぬ前に、それを知りたい」
男
「…………」
サトウ
「起きてる?」
男
「答えますけど、そうしたら、私の質問にも答えてもらいます」
サトウ
「だからなんでも答えるってー!」
男
「まだ死にませんか?」
サトウ
「なんか、大丈夫みたいだ。ちょっとこれ、僕、このまま死なないなんてないよね?」
男
「知りません。ではお答えします。――最後に私が撃った一発、あなたを撃つ前の最後の一発ですが……」
サトウ
「ややこしいね。タナカ君を撃った最後の一発ね」
男
「はい。その前にも、破裂音があったのは、聞こえましたか?」
サトウ
「ああ、そうだったね。聞こえたよ。タナカ君の連射とは、まるで違った音だった。あれ? それは、君が二発撃っただけじゃないのかな?」
男
「違います。私がタナカさんに撃ったのは一発だけです。それに、もっと軽い音だったはずです」
サトウ
「確かにそうだね。じゃあ、その音は、誰の何?」
男
「それが、私が負けなかった理由です。タナカさんは反応して、たぶん音がした方へ銃を向けていた。私は、最初で最後のチャンスが来たと思い、なけなしの勇気を振り絞って立ち上がって、横を向いていたタナカさんを見つけて、撃った」
サトウ
「そして当てた。見事な腕だね」
男
「褒めるんですか……?」
サトウ
「勝者は称えなきゃ。タナカ君は、脇から胸を撃たれたようだったよ。たぶん即死ではなかった。肺からの出血を苦しそうに吐く音が、しばらく、三十秒くらいかな、僕の耳に届いてた。そして最後に、『オヤジさん、逃げてください』って言ったのだと思う。そこからは、静かになった」
男
「…………。頭を、狙ったのですが……」
サトウ
「距離があったからね。この寒さなら、弾道はけっこう落ちるよ」
男
「…………」
サトウ
「さあて、その謎の破裂音は、なんだい? 君は、答えを知ってるんだろう?」
男
「はい」
サトウ
「ひょっとして……、“凍裂”かな?」
男
「トウレツ……?」
サトウ
「知らないかい? 猛烈に凍れると、木々の水分が凍って、膨張で幹を縦に割ってしまう自然現象だよ。これが起きると、木材としての価値が下がるから嫌われてる」
男
「ああ、分かりました。“フロスト・クラック”という単語を、思い出しました」
サトウ
「英語だとフロスト・クラックなんだね。よし、覚えた。――凍裂は凄くてね、銃声もかくやという音を出すんだ。かつてこの場所で佇んでいて、何度か聞いたことがある。だから、さっきの音は凍裂かなと思ったんだけど……、違うね、凍裂はもっと寒くないと起きない」
男
「でしょうね」
サトウ
「皮肉だよね。木々の命を支える水が原因で、自分自身が壊れるなんて。でもそれは、僕達人間にも起こり得ることだ。起こってきたことだ。悲しい出来事というストレスが、心を原因にして人を壊してしまう。そして僕達は、そんな人達の願いを叶えてきた」
男
「そうですか」
サトウ
「閑話休題。さて、凍裂じゃないとしたらさっきの破裂音はなんだい?」
男
「一文字目は――、“と”だけはあっています。“トラップ”です。私が仕掛けた」
サトウ
「ほう? すると?」
男
「“ペリメーター・トリップ・アラーム”というものをご存知ですか?」
サトウ
「“周辺アラーム”? いいや」
男
「銃のボルトを半分にしたような金属のパーツに、弾薬のお尻をはめ込んでおきます。ワイヤーを接続して、誰かがそれに触れると安全ピンが抜けて、撃発ピンが雷管を叩くものです」
サトウ
「ああ、なるほど。そして弾薬は破裂して、でも銃身がないから、弾頭が大して飛ぶことはない。全周囲に音だけを撒き散らすってわけだね」
男
「そうです。キャンプ地などの周囲に設置して、ワイヤーを張り巡らせます。猛獣が近づけば分かるし、大抵は音で逃げていく」
サトウ
「そんなのまで用意していたんだ」
男
「向こうで使っていたのを、持って帰ってきました。さっきは言わなかったのですが――、森に入って時間が過ぎ、万が一過労で寝てしまったとき、誰かの接近に気付くように、周囲の何箇所かに仕掛けてあった」
サトウ
「それを、突撃してきたタナカ君が知らずに引っ掛けてしまったわけだね。近くからの破裂音を聞いて、君に仲間がいるのだと、とっさに思ってしまった」
男
「そうです」
サトウ
「なるほど。君が、戦いに勝ったわけが凄くよく分かった。強運の持ち主だからだね。納得だよ。納得した。いやあ、これで、安心して死ねるね」
男
「私はまだ納得していません。死ぬ前に、私の質問に答えて頂きたい」
サトウ
「どうしたの怖い顔して」
男
「しているでしょうね。――それなのに、あなたは――」
サトウ
「ちょっと待って、どこにかかる、“それなのに?”」
男
「タナカさんが連射して突っ込んできた。私は頭を上げられずにいた。それなのになぜ、あなたはこちらに撃ってこなかったんですか?」
サトウ
「ああ、そこね」
男
「あなたは撃てたはずです」
サトウ
「いやあ、車から出るのに手間取っちゃってさ」
男
「嘘だ。数十秒はあった。それなのに、あなたはタナカさんが優位のときには出てこなかった。タナカさんが撃たれて、それから出てきた。ひょっこりと。本当に、ひょっこりとだ」
サトウ
「やっと準備ができたんだよ」
男
「そして、身も隠さず、車の脇からこっちに狙いを向けてきた。だから私は――、撃った」
サトウ
「撃たれたねえ。おかげで僕は助手席に逃げて、今の状況になってる。やっと、今に戻ってこられたね」
男
「どうして、有利なときに撃ってこなくて、仲間がやられてどう考えても不利になってから、逃げることもなく出てきたのか――、私には分からなかった」
サトウ
「こっちにも、いろいろとあってね」
男
「その理由を聞きたかった。でも、もう大丈夫です。ここまであなたと話をして、分かりました。今なら分かります。あなたが末期癌で、クリスチャンだと知った今なら」
サトウ
「ほう、なんだろう? 推理かな?」
男
「いいえ、想像です」
サトウ
「言ってみて」
男
「あなたは殺されたかった」
サトウ
「あはは。正解」
男
「…………」
サトウ
「さすがにヒントを与えすぎたかな? でもまあ、分かってくれて嬉しいよ」
男
「あなたは、おそらく余命幾ばくもない」
サトウ
「うん。体のあちこちに癌が散っちゃったからね。まあ、どんなに頑張っても、半年後には死んでるだろうね」
男
「あなたは、ずっと昔から考えていた狙撃の計画を実行して、それに関しては、それなりに成功を収めた。満足した」
サトウ
「うんうん」
男
「あなたは、どこかで自分の人生を終わらせたかった。でも、自殺は考えられなかった」
サトウ
「一応ねえ。ほら、ねえ」
男
「だから――、私に殺させようとした」
サトウ
「その通り! いやもう、スズキ君との電話を聞いたときは心が躍っちゃったよ。これはいい! ってね」
男
「だから……、こっそりと殺されていいように、この谷まで来た」
サトウ
「そうそう」
男
「詳細をよく知る部下である二人も、連れてきた」
サトウ
「イエス!」
男
「そして二人を死なせた。スズキさんが無謀な囮に出ることを止めず、タナカさんが有利なときには支援をしなかった」
サトウ
「おっしゃる通り!」
男
「最後に私に撃たれて、喜んですらいる」
サトウ
「もちろん! これで、僕は死ねる。殺されて死ねる」
男
「……よく分かりました」
サトウ
「うんうん。いいね。『お前はそれでもいいかもしれないが!』とか、『お前のせいで若い二人が!』とか、そういうことを言わないのがいいよね。そうだよね、君が殺しておいて、それを言うのはちょっと、いや、だいぶ格好が悪い」
男
「言いませんよ。そもそもあなたは、二人を犯罪に引き込み、そして結果的に死なせたことを、なんとも思っていないのでしょう?」
サトウ
「そうだよ」
男
「…………」
サトウ
「勘違いしてほしくないから弁明するけど、二人のことは好きだよ。ここまでよく、僕の計画についてきてくれたし、尽力してくれた。ありがたい存在だったよ。感謝してるよ」
男
「そうですか」
サトウ
「それにね、今となってはタラレバだけど、僕の“この計画”がガッカリ失敗する可能性だってあったわけでね。二人が、君を撃ち殺しちゃってたら、それでおじゃんだ。そうなってたら、また別の死に方を考えなくちゃいけなかった。本当のことをタナカ君に伝えて、撃ってもらうとかね。ただ、そうならなかった。そうはならなかったんだ。君が優秀で強運の持ち主だったから。それだけの話だよ」
男
「…………」
サトウ
「もちろん僕は君を責めてもいない。君は一生懸命、命を懸けて、立派に戦った。たった一人で挑み、見事二人を屠って、僕も殺してくれる。さすがだよ。さすが、五年前に悪人三人を殺した勇者だよ。ああ、なんだか僕が魔王みたいになってきたけど、いいよね? 老人の最後の願いくらい聞いてほしいものだ」
男
「好きにしてください。私も好きにしましたから」
サトウ
「いいねえ。君は本当にいい。じゃあ、僕の息があるウチに、いろいろと教えておこうと思う。もう少し、会話につきあってもらっていいかな?」
男
「好きにしてください」
サトウ
「じゃあ言うよ。君が殺した、タナカ君とスズキ君についてさ。どんな人間だったかを、知っておいてもらいたいんだ」
男
「あなたに誑かされて、悪事に手を染めた人達である、ことは知っています」
サトウ
「もっともっと詳しいことだよ。つまりは、“なぜ僕に誑かされたか?”だよ」
男
「…………」
サトウ
「しかし、勝手に身の上話をしてしまったら、プライバシーの侵害かな? まあ、二人とも死んでるから、文句は言わないよね?」
男
「そうかもしれません」
サトウ
「実は二人とも生け捕りにされていて、今コレを聞いてるなんてオチはないよね? ハリウッド映画にありそうな」
男
「ありません。私が、撃ち殺しました」
サトウ
「それなら良かった――、と言っていいのかな? 日本語、時々不便だね。じゃあ、まずはタナカ君のことから話そうか」
男
「どうぞ」
サトウ
「タナカ君はね――、実はね、本名じゃないんだ」
男
「他には?」
サトウ
「君、笑うって行動、やったことある? 産まれてからこのかた」
男
「質問以外のことを答えますが、この場で笑いを取ろうとすることができるあなたの気持ちは、まったく分からない」
サトウ
「会話は、まずは笑いからだよ?」
男
「タナカさんの話を、してください。全部聞きますから」
サトウ
「了解! “タナカ”は、僕がサトウだから付けたニックネームだ。本名は……、もうどうでもいいから言わないでおこうか。僕にとってはタナカ君だし、ずっとそう呼び続けた、大切な部下だったからね」
男
「そうですか」
サトウ
「ああ、冷たいな。まあいいけどね。タナカ君は三十八歳。君より少し上かな? 僕達の計画の立案者として、そして実行役として、最初から活躍してくれた人物だ。この場所や、時に海外で練習してもらったとはいえ、射撃の、いや狙撃の腕は本当に素晴らしかった。――ねえ君、タナカ君の経歴は分かる?」
男
「元自衛隊員でしょう。それも狙撃手だった」
サトウ
「はい正解。なんで分かった?」
男
「あんな働きや動きができるのは、厳しい訓練を受けた兵士以外あり得ないと思いました。あとは、自衛隊の狙撃手が使っている308口径に固執していたところです」
サトウ
「簡単すぎたかー。でも、なんで“元”自衛隊員になったのかは、知らないよね」
男
「知りようがありません」
サトウ
「じゃあ、知っておいて。知っておいてほしい。タナカ君は、函館の出身。高卒後に陸上自衛隊に入隊。体力知力共に抜群でね、“精鋭無比”で知られる習志野の第一空挺団にいたり、冬期レンジャーの資格を取ったり、狙撃手としての教育を受けたり、まあ凄い兵士だったんだよ。八年前まではね」
男
「続けてください」
サトウ
「八年前のことだ。自衛隊員が射撃訓練中に小銃の扱いを間違え、近くにいた隊員にフルオートで乱射してしまった。死者こそ出なかったけど複数人に大怪我をさせ、最後は自分の撃った弾が跳ね返ってきて病院送り――、そのまま亡くなったって事件、覚えてない?」
男
「よく覚えています。それなりに大ニュースになりましたから。北海道の演習地でした」
サトウ
「そう。そのとき、タナカ君も、その場所にいたんだよ。何が起きたか、想像はつくかな?」
男
「いいえ」
サトウ
「少しは考えようよ」
男
「…………。撃たれて負傷して、辞めざるを得なくなった?」
サトウ
「ブー!」
男
「ミスをした隊員を教育する立場であって、責任を取らされた?」
サトウ
「ブッブー! んー、難しいかな。まあしょうがない。僕だって、本人から聞いて耳を疑ったからね。正解はね――」
男
「タナカさんが……、その隊員を撃ち殺した……?」
サトウ
「おお! 正解! 凄い! やっぱり君は凄いよ!」
男
「一体、何があったんですか?」
サトウ
「いや、今君が言ったとおりだよ。でも、ミスって乱射ではなく、意図的な発砲だったんだけどね」
男
「…………」
サトウ
「タナカ君曰く、そのとき狙撃班は、少し離れた場所で射撃訓練をしていた。すると、銃声と怒号と悲鳴が聞こえて、一人の隊員が89式小銃で仲間を撃ちまくってるのが見えた。その隊員は、撃った隣の隊員の銃を奪うと、いきなり走り出した。銃と弾を持って逃げるつもりだったんだね。
タナカ君は全部を見ていた。そして手元には、弾の入っている狙撃銃があった。レミントンのM24SWSだね。タナカ君は撃った。撃って、これ以上の犠牲が出る前に、事態を収束させた。もちろん葛藤はあっただろうけど、悩んでる暇はなかった。その場の一瞬の判断で、一番すべきと思ったことをした。頭は狙わなかったそうだけどね。ただ、その隊員は死んだ。その後の調べで、その隊員が、陰湿なイジメを周囲から受けてたことが分かった」
男
「その話が本当なら――、タナカさんが嘘を言っているとは思えないですが、なぜ真実が公にならなかったんですか?」
サトウ
「君が言うかなあ? 分かってるでしょ? 経験あるでしょ?」
男
「隠蔽された、ということですね」
サトウ
「そう! 防衛省が全力全開でね。自衛隊員が乱射したことも、その理由も、自衛隊員が自衛隊員を意図的に射殺したなんて前代未聞なことも、絶対にあってはならなかったんだ。そして全員に箝口令が敷かれた上に、当事者たるタナカ君は口封じも兼ねてクビになった。
それも“依願退職を求められた”とかじゃなくてね、“そんな自衛隊員はいなかった”ことにされた。タナカ君のこれまでの経歴は白紙。だから、防衛省に隊員の記録として、一切残ってないんだ」
男
「だからですか……、あなたの近くにいる人間で、自衛隊経験者が見つからなかったのは。警察も、あなたの従業員の経歴は絶対に洗ったはずなのにと、スズキさんの話を聞きながら疑問に思っていました」
サトウ
「その通り! タナカ君は高卒から十年以上、プー太郎をしてたってことになってるからね。自衛隊に尽くしてきたタナカ君が、仲間を助けるために、仲間を殺さなければならなかったこと。そしてそれが一切報われずに、全てなかったことにされたこと――、タナカ君がどれほど傷ついたか、想像に難くないね」
男
「そうでしょうね」
サトウ
「実際タナカ君は、マスコミに全部ぶちまけることも考えた。ただ、できなかった。あんなにひどい仕打ちを受けたのに、まだ自衛隊を愛してたのかもしれないね」
男
「そして不幸にも、あなたに会ってしまったのですか」
サトウ
「そうだね」
男
「…………」
サトウ
「出会ったのは本当に偶然だよ。タナカ君は体力オバケだったから、いろいろな仕事をやっていた。酪農の経験もあった。それでウチに来て、貴重な労働力になってくれてたんだ。なかなか心を開かない青年だなと思って、そういう人は必ず過去に何かがある。ある日、じっくりと話を聞いたら、ビックリするようなことを言ったから、驚いちゃってね。ああ、タナカ君となら夢が叶うと思って、僕の長年の妄想みたいな計画につきあってもらえないかと、頼み込んだんだよ」
男
「では、タナカさんがいなければ、実行できていなかったと?」
サトウ
「今の形では、という意味ならイエスだね。ただ、他の方法を考えていたと思うよ」
男
「タナカさんだって、最初から賛同していたわけではないでしょう?」
サトウ
「そりゃあね。殺すのは度し難い悪人に限るとはいえ、やることは殺人だからね。存分に葛藤したと思うよ。でも、悩み抜いてから決めてくれた。だから、僕はタナカ君を信じてた。『いいっすねやります!』なんてスパッと引き受ける人だったら、全幅の信頼は置いてなかっただろうね」
男
「そうですか」
サトウ
「タナカ君は、いろいろとやってくれた。銃に関することはもちろん、宿もレストランも手伝ってくれた。タナカ君が見つけた、辛い過去を背負った人もいるよ。ちなみにここ数年は、札幌に住んでもらってる。怪しまれない程度にバイトしてもらって、生活費は僕がサポートして、必要に応じて日本のあちこちに行ってもらってたんだよ。そのたびに変装してもらってね。――タナカ君に関しては、こんなところかな」
男
「どうせ言うのでしょうから聞きます。スズキさんは、どうやって仲間に?」
サトウ
「よくぞ聞いてくれた! スズキ君は、計画を実行してから仲間になった。そう言えば、もう分かるよね?」
男
「分かりますよ。あなたが捜査線上に浮かんだ時点で、連絡を取ってきたのでしょう」
サトウ
「正解。いやビックリしたよ。若い刑事さんが私用電話をかけてきて、『あなたがやったに違いないから、仲間に加わりたい!』だからね」
男
「その時点では確証など、なかったでしょうに」
サトウ
「そうだよね。だから絶対に警察の罠だと思ったよ。タナカ君なんて、『コイツを消した方がいいのでは?』なんて物騒なことを言ってた」
男
「それなのに、どうして仲間に入れたんですか?」
サトウ
「それはもう、スズキ君が彼自身のことを詳らかにしてくれたからだね。それを聞いて、ああ、この警官は信用できると思った。悪人を憎んでいて、撃ち殺すことに微塵の躊躇も葛藤もない人だと分かった。そしてそれは間違ってなかった」
男
「一体……、スズキさんは、なんと言ったんですか?」
サトウ
「気になるよね。うん、教えるよ。――スズキ君の父君は、やはり警官だった。でもね、スズキ君が大学生の時に殉職してる」
男
「殺されたんですか?」
サトウ
「そう。大きなニュースになったから、知ってると思うよ。六年前の夏に、交番勤務の警察官が刺殺された事件があっただろう?」
男
「ありました。思い出しました」
サトウ
「犯人の二十歳の男は、虐待が当たり前のひどい家庭で育ってね、家を出て仕事に就いたが上手くいかず、若い身空でホームレスになった。自棄になった彼は、最後に大金を手に入れて豪遊してから死にたいと、強盗を企てた。そのためには拳銃がほしいと、警官を狙った」
男
「その事件では、拳銃が一時的に奪われたと記憶しています」
サトウ
「そう。スズキ君の父君は、不意を突かれて切り付けられて、もみ合いの中で、本当に運の悪いことに頸動脈を切られてしまった。でも、最後まで犯人を撃とうとはしなかった。ホルスターから抜いた形跡はあったそうだよ。でも撃てなかった。なぜだったと思う?」
男
「犯人が、息子と同じような若者だったから……?」
サトウ
「そう! 犯人の写真を見たけど、確かにスズキ君によく似てたんだよ。父君は、息子に似た悪人を撃てなかった。その犯人だけど、血まみれのまま銃を手に呆然と歩いてるところを見られて、あっという間に逮捕されたよ。今度は、特に抵抗もせずね。なんでだと思う?」
男
「……スズキさんの父親に、何か言われたのでしょうか?」
サトウ
「そう! これは警察関係者しか知らないことだけど、父君は息も絶え絶えの中、犯人に言ったそうだよ。『君を撃たない。もう誰も傷付けないでくれ。出頭し、罪を償った後、しっかり生きてくれ』って」
男
「……そうでしたか」
サトウ
「警官が犯人に同情して、あえて撃たずに殺されて拳銃を奪われたなんて、当然公表できるわけがない。スズキ君の父君は、むざむざと殺されてまんまと拳銃まで奪われた無能警官と叩かれまくった。
とても仲のいい親子だったと聞いてる。いろいろな意味で、スズキ君がどれほど辛かったかは、こちらもまあ、できない想像をするしかない。大学卒業後、スズキ君は警官になった。殉職警官の子供だからね、それなりに優遇されたと思う。本人の優秀さもあって、かなり早く、捜査一課の刑事になった」
男
「それがどうして、あなた達の側へと来たのか」
サトウ
「中に入って、警察って組織を良く知ったからだよ。他にある?」
男
「なるほど」
サトウ
「こうして僕達は、スズキ君を仲間に加えた。実際、捜査情報を駄々流しにしてくれたから、凄く助かったよ。人殺しドライバーの件では、スズキ君無しでは実行も考えられなかったからね」
男
「そして、イモトさんを巻き込んだ」
サトウ
「そうだね。イモト君の件は……、とても運が悪かった。誰にとっても。そして後味も悪かった……。ただ、そのことで僕は君に謝ったりはしない」
男
「そんなことは求めていません」
サトウ
「君のそういうところ、本当にいいね。――そして、イモト君の死から、今ここに繋がったと思うと、スズキ君の加入も含めて、決められてた運命だったんだね。そうは思わないかい?」
男
「どうでもいいことです」
サトウ
「そうだね。――じゃあ、君が知らないことを一つ、教えてあげたいけど聞いてくれるかな?」
男
「あなたは本当に死ぬんですか?」
サトウ
「そのつもりだけどね。無理なら、もう一発撃ち込んでほしい」
男
「お断りします」
サトウ
「そうだね、弾も最近高いからね。――ところで、寒くない? ちゃんとお茶飲んでる?」
男
「飲んでいますよ。あなたもさっきから、お酒を瓶でラッパ飲みしているようですが」
サトウ
「あはは! 見えてる? そうだよ、ウィスキーの五十年ものだ。こっちに来たときに記念に買ったものでね、なかなか飲むタイミングがなくて、じゃあいっそ人生最後に飲もうって、取っておいたんだ」
男
「そうでしたか。ごゆるりと」
サトウ
「こんな飲み方は、体に良くないかな?」
男
「そうでしょうね。主治医には黙っておきます」
サトウ
「ありがと。君もどうだい?」
男
「遠慮しておきます」
サトウ
「タナカ君とスズキ君にも、昨夜飲んでもらったんだ。いい思い出だよ。ああ、美味しい」
男
「酔えているんですか?」
サトウ
「どうだろう? でも、まるで寒くはないよ?」
男
「そうですか」
サトウ
「ああ……、もう、何も感じないよ……」
男
「もしもし?」
サトウ
「…………」
男
「もしもし……?」
サトウ
「…………」
男
「あの、こんなことを言いたくはないのですが、死んだふりはやめてください」
サトウ
「なんだよー。面白くないなー。少しは騙されてほしいな」
男
「さっきからずっと、スコープで見えていますから」
サトウ
「それなら、しょうがない。話を戻そうか。まだ知ってもらいたいことがある。驚いてほしい」
男
「なんでしょうか? もう、滅多なことでは驚きませんが」
サトウ
「君は、そして世間は、僕達の最初の実行を、御殿場のゴルフ場だと思ってるけど、それは違うんだよ」
男
「驚きました。その前にあなた達は誰かを撃ち殺しているが、狙撃事件だと思われなかったと?」
サトウ
「そう! 一昨年の十一月九日が始まりだ。記念すべき、僕達の初仕事だね」
男
「“仕事”ですか」
サトウ
「あ、いや……、お金はもらっていないから、初ボランティアかな?」
男
「どちらでもいいです。――訊ねましょう。どこで、どんな人を殺したんですか?」
サトウ
「答えましょう。場所は伊豆半島の下田市だった。相手は四十代の男で、結婚詐欺師だったんだ。結婚を願う女性を婚活サイトで探しては、決してそのサイトからはアプローチせず、その人を調べて、偶然に出会った体で口説き、言葉巧みに籠絡していた。
親密になってやることは一つだ。今は仕事が上手く行ってないから、無責任に結婚はできないとデマカセを言う。しかし、金の無心は決してしない。女性の方から『援助できる』と言い出すまで待つ。そしてまんまと大金をせしめると、すぐに連絡を絶つ。古典的で単純な手口だったが、残念ながら有効だった。何人もの女性が騙された」
男
「被害者女性の誰かが、あなたの宿に来たわけですね?」
サトウ
「ハズレだね」
男
「というと?」
サトウ
「最初に言っておこうか。僕達は、この計画の中で、殺した相手の直接の被害者から話を聞いたことは、一度もない。ただの一度もね」
男
「…………。どういうことですか?」
サトウ
「この結婚詐欺師の場合、いつか幸せな結婚生活と子育てのためにと、一生懸命に蓄えてきた大金を全て騙し取られた女性がいた。彼女は、愚か者だと自身をひたすらに罵る遺言を残して、自殺してしまった。それを読んだ家族が、この場合は仲の良かった妹さんだったけど、嘆き悲しみ――、しかし、どうしようもできないでいた」
男
「あなたは、その妹さんと会った……」
サトウ
「そう。僕はね、目に輝きがない人は一目で分かる。顔で笑ってても、目で笑ってない人はね。それは決して、北の大地に旅行を楽しみに来る人の顔ではない。だから君も――」
男
「そして?」
サトウ
「やれやれ。そして僕は話を聞いた。実行の一年以上前のことだよ。そしてその男を、タナカ君に調べてもらった。妹さんが嘘を言ってるようには見えなかったけど、確証がないままターゲットになんてできなかったからね」
男
「実際に、そうだったと」
サトウ
「そりゃもう、酷い男だったよ。何人もの女性を騙し、同時に弱みを握って、訴えられないようにしてた。詐欺で得た金で、道楽し放題。豪華なマンションに高級車、プレジャーボートまで所有して遊びまくってた。それらが、次の結婚詐欺に使われてたわけだな。複数の女性と、同時に付き合っている様子も分かった。
そのことを妹さんに言ったら、『殺してやりたい』と、ぽつりと言った。僕達は神様ではないけど、できることはある。妹さんに僕達の考えを全て説明して、最後にこう言った。『実行後に、怖くなったらいつでも通報してくれて構わない。あなたは大丈夫だ。“まさか本当にやるとは思わなかった”としらばっくれてほしい。僕達は逮捕されて有罪になる。でも、逮捕されなければ、同じようなことを、どこかで泣いてる誰かのために、できるだけ繰り返したいと思ってる』ってね」
男
「納得がいきました。それで、誰も通報しなかったわけですね。自分だけが願いを叶えてもらうのは申し訳ないと、罪の意識を背負わせた」
サトウ
「そうなるかな? さて、ゴーサインが出たので、タナカ君と一緒に、どうやって殺すかあれやこれや考えた。結局は、一人で釣りをしてるところを、磯の上の森から狙撃するのが一番簡単だと分かって、サクッと実行してもらった」
男
「自作サプレッサーを付けたサベージM111で、ですか?」
サトウ
「そうだよ。君の名推理どおりだ。サプレッサーは僕の自信作だ。準備する時間はかなりあったからね、かなりたくさん試したよ。破損を誤魔化して得た銃身も加工した。最初から付いていたマズルブレーキは切り落として、先端にサプレッサー用のネジを切った。スコープは、一番高性能で高倍率のものを装着した。ストックは、折り畳みも分解も可能な、一見するとストックには見えないようなものを拵えた」
男
「その釣り人の件ですが、どうして射殺だと判明しなかったんですか?」
サトウ
「死体がすぐに上がらなかったんだよ! タナカ君が見事に頭に当てて脳をぶちまけたのに、倒れた男の体は波に攫われてズルズル滑って海に落ちてしまったんだ! 磯の波に何度か洗われてるうちに、どこかに引っかかってしまったようなんだよ。男がライフベストを着けてなかったこともあって、浮かび上がってこなかった。目撃者がいなかったのもマズかったね。結局、単なる行方不明になってしまい、しばらく気を揉んだよ」
男
「最終的には、どうなりましたか?」
サトウ
「二週間くらいして、服と一緒に死体の一部を誰かが釣り上げて、ようやく遭難死認定がされたってオチさ。頭蓋骨は出てこなかった。それでも小さく報道されて、妹さんには納得してもらえたけどね」
男
「そうでしたか」
サトウ
「せっかくだからこのまま、僕達に人殺しを願った人達についてと、その理由を聞いてもらおうかな。知りたいだろう?」
男
「いいえ」
サトウ
「じゃあ言うね。御殿場のゴルフ場の件は、キャディーさんの甥がパワハラの被害者だった。彼もまた、若くして自ら命を絶とうとした」
男
「自殺未遂なら、死んではいないのですね?」
サトウ
「ああ。だが、もう一生何も言えず、機械に繋がれて寝てるだけの体になった。死ななかったから良かったとは、誰が言えるだろうかね?」
男
「そうですね」
サトウ
「それから何年か経って、キャディーさんが兄夫婦の悲しい顔を忘れようと仕事に励んでたら、まさに原因の主が、ヘラヘラと己の武勇伝を吹聴しながら現れたというワケだ。
さらに悪いことに、そいつはそのゴルフ場が気に入ってしまった。彼女は僕に話してくれたよ。顔を見る度に、何度自分で殺そうとしたか分からないって。現場の証拠を混乱させたのは彼女の提案だ。『私にも何かやらせてください!』って言われたものでね。全ては上手くいって、とても感謝されたよ」
男
「この先もあまり聞きたくないですが、どうせ言うのでしょうね」
サトウ
「言うね。僕達が、どれだけの憎しみと悲しみを銃弾に乗せたか、知っておいてもらいたいからね。それくらい聞いたっていいだろう。全てを知っているのは、やがて君しかいなくなるんだからね」
男
「そうですか」
サトウ
「二件目の高知のキャンプ場の件だけど、小児性犯罪者だった男は、君の推理通り、キャンパーの夫妻の息子さんを毒牙にかけていた。それは、十年以上前の話だ。
息子さんはね、幼い頃に受けた性的虐待が、気持ち悪く怖い思い出として、ずっとトラウマになって残ってたんだ。第二次性徴を迎えて、自分にもあの男と同じように性欲があると分かってからは、なおさらだった。もちろん、親には言えずにいた。これだけが原因ではないのだろうけど、息子さんは年頃になると非行に走り、飲酒してバイクで暴走したあげく、交通事故死した」
男
「…………。そして?」
サトウ
「真実を夫妻が知ったのは、葬式の後だった。断ったのに強引に焼香に来た暴走族仲間が、いつも漏らしてた息子の苦悩を、ボロボロ泣きながら全部伝えてくれたからだそうだよ。夫妻は、嘆いた。それまでは、理由も言えずに非行に走った息子を、ただただ
男
「キャンプ場で撃ったのは、やはりそのご夫婦ですか?」
サトウ
「いいや、撃ったのはタナカ君だよ。君の推理通り、銃を持ってキャンピングカーに潜んでた。御殿場から急ぎ移動してね。ただしサポートに徹して、夫妻に撃たせる計画だった。練習もさせた。でもね、ギリギリになって、旦那さんが奥さんを止めたんだ。『せめてお前だけは、人殺しになってほしくない。地獄に行くのは私だけでいい』って言ってね」
男
「そうでしたか」
サトウ
「それを見たタナカ君が、旦那さんの方も止めた。『私だけはやる!』って言ってたから、結構苦労したそうだけどね。後日、夫妻からは手紙が来て、あのときのタナカ君の決断に心から感謝する、って書いてあったよ。遠い日に、天国で、家族三人で仲良く暮らすってね」
男
「そうですか。――元県警本部長の件は?」
サトウ
「お、乗り気になってくれて嬉しいよ」
男
「早く聞けば早く終わるかと思いました」
サトウ
「なんだい、つれないなあ。まあいいや、言う前に僕が死んじゃうのも嫌だしね。是非とも聞いて欲しい。嫌な話をね。――この件の依頼者は、奴隷扱いされてた女性に仕事を斡旋した人だ」
男
「なるほど」
サトウ
「奴隷扱いされてたその女性は、どうしても普通の仕事に就きづらかった。詳しい説明はいるかな?」
男
「いいえ。分かりますから」
サトウ
「住み込みの家事手伝いなら、そして警察官の家庭ならなんにも問題なかろうと、その人は思った。結果的にそれが、女性を、数十年に亘る地獄のような生活に送り込んでしまった。女性に偶然会ってしまい、吐くように恨み言を聞かされなければ、その人も、幸せな老後だっただろうに」
男
「その人のせいではない。決して」
サトウ
「僕達はそう思うだろう。でも、本人がそう思ってないのなら、そうなんだよ」
男
「…………」
サトウ
「その人は、矢も楯もたまらず元県警本部長に会いに行ったが、文字通り鼻であしらわれたそうだ。脅されたとも言ったな。気を病み体調を崩し、家族に連れられて北海道に来た。話を聞いて、じゃあ殺しましょうかと提案したら、涙を流して喜んでくれたよ。是非ともお願いしますと、人生最後の願いを叶えてくださいって言われた。だから叶えた」
男
「その人は、もうこの世にはいないと?」
サトウ
「タナカ君が元県警本部長を屠った六日後に、息を引き取ったと連絡があった。でも、元県警本部長の“事故死”のニュースは、しっかりと聞いたはずだよ」
男
「そうですか」
サトウ
「ちなみに、あの狙撃が一番難しかった。事前偵察に行ったのだけど、狙いに即したいい場所がなくてね。結局、タナカ君は、千百十二メートルも離れた山の上から撃つことになった」
男
「三百メートル離れた竹林からではなかったと?」
サトウ
「そこは、撃ちやすい場所だったけど、まったく誰にも見られずに逃げるのが難しかったからね。田舎の住民ネットワークは馬鹿にできない。結果として、撃ち下ろしの超長距離狙撃になったから、似たような距離と高低差を僕の土地で再現して、リロードの煮詰めも含めて、事前にかなり練習をしたよ。このときばかりはタナカ君も、338ラプアにしておいて良かったと言ってた」
男
「それでも、さっきまさにあなたが言った通り、寒い場所と暖かい土地では弾道が違う。現場の標高も違っていたはずです。簡単に当てられたとは思えません」
サトウ
「その通りさ。だから、あの狙撃は四発も撃ってるんだ。最初の二発は掠りもせずに外れて、三発目でやっと腿に当てた。倒れたところへ止めを狙った一発も外れてしまい、それ以上は諦めた。結果的には、死んでもらえたけどね」
男
「銃弾が飛んでくる音は、気付かれなかったと?」
サトウ
「そうなるね。虫か何かだと思ってくれたのかな? 外れた三発の銃弾も、運良く遠くに跳弾したようで、警察に見つからなかった。これは僥倖だったね。静岡、高知の件から立て続けで、タナカ君には超ハードワークだったけど、目標の都合がそうなった以上は仕方がない。この場合、奥さんが旅行で居ない時期を狙うしかなかったからね」
男
「では、横浜の、麻薬の売人夫婦の件は?」
サトウ
「こっちはまったく君の推理通りさ。タナカ君が近くから、さっきとはうって変わって二百メートルほどの近距離から、コインパーキングに止めた車の中から撃ったんだよ。偽装工作に参加してくれたのが外国人なのも、ご明察だね。タナカ君がバイト時代に仲が良かった、信頼できる男だよ。詳しいことは何も知らずに実行してくれた。大金をはずんだから、やたら感謝されたっけ」
男
「いいえ、そのことではなく」
サトウ
「誰があの男の死を、本気で願ったかって? うーん、それは、聞かない方がいいんじゃないかなあ」
男
「そちらから話を振っておいて、何を今さら、と言いたいところですが……、それほど悲しい話だと言いたいんですね?」
サトウ
「そうだよ。たぶん、一番悲しいと思うよ。僕もこの件だけは、実行するべきか否か本気で悩んだ。最終的にはさっき言ったとおり、綿密な計画を立てて実行したけどね。そして、依頼者には泣きながら感謝されたけどね。今でも本当にそれで良かったのか、悩む」
男
「…………。あなたが、そこまで言うのですか」
サトウ
「言うよ」
男
「ああ、分かった気がします……」
サトウ
「そうかい? じゃあ、君の推理を聞かせておくれよ」
男
「想像です」
サトウ
「同じことだよ」
男
「男を殺すように依頼したのは……、スズキさんとの会話に出てきていた人ですね?」
サトウ
「ああもう! 君は本当に頭がいいねえ。正解だよ。――その男の御母様だ」
男
「その方は……、息子と義理の娘が、麻薬の売人だと知ってしまったんですね?」
サトウ
「そう。ふらりと家に遊びに行ったら、孫娘達しかいなかったので上げてもらった。幼い子供だけを残してお出かけとはしょうがないなと思いつつ、家の片付けをしてたとき、運悪く覚醒剤を見つけてしまった。その人は、製薬会社の重役を務める、とても頭のいい女性だったんだ。何もかも分かってしまった。息子家族が、急に羽振りが良くなったことも含めてね」
男
「そして、許せなかったと。我が子の死を、願うほど」
サトウ
「そうだよ。薬というものの恐ろしさと素晴らしさを、誰よりも知ってる人だったからね。覚醒剤で人生を狂わせた人がたくさんいて、その人達に家族がいる。息子と義理の娘がそれに加担してることが許せなかったそうだ。自分で殺すことも考えたけれど、孫娘達のことを思うと実行できなかった。僕はいろいろな人の悲しい話を聞いてきたけど、これが一番キツかったよ」
男
「今は、その方はどうしていますか?」
サトウ
「会社を辞めて、何も知らない孫娘達を、一生懸命に育ててる。でも、最後にやり取りしたときに言ってたな。自分のやったことを、孫娘達に、遺言で必ず伝えるつもりですって。僕は、やめた方がいいって言ったんだけどね」
男
「そうでしたか……」
サトウ
「痴漢詐欺の女の件は、君が言うとおり若い女性の依頼だった。結婚したばかりの夫が、これに巻き込まれた。冤罪なのに逮捕されて、最終的には不起訴になったけど、夫は固い職業だったからね、クビまではいかないまでも、閑職に飛ばされた。これ自体、どうかと思うけどね。
それでもその女性は、愛する夫を支えていこうと思ってた。でもね、エリート街道を歩む未来を潰された夫の方は、そこまで心が強くなかったんだな。女なんて信じられないと、まるで復讐するかのように風俗狂いになってしまったんだよ。新婚家庭は荒れて、最終的には離婚することになった。女性はそれでも、よりを戻そうと努力した。でも、夫は痴漢詐欺の女によく似た誰かと結婚して、戻ってくることはなかった。
女性はその女のことを調べて、痴漢詐欺を教えてることを知った。怒り狂ったが、嘆く以外どうしようもない。そんな時に、偶然僕の宿に来た。『殺しましょうか?』って話を振ったときの、彼女の強い瞳は忘れられないね。
あとは君の推理通り、客になったふりをしてコンタクトを取って、大金を振り込んで信用させて、おびき寄せた。『別荘が山の上にあるからいらっしゃい』ってね。大金に目が眩んだ女は、言われたとおりにホイホイとやって来た。とまあ、ここまで聞いて、ご感想は?」
男
「頭が痛くなってきました」
サトウ
「それはよくない。僕の痛み止め、使うかい? 効くのは間違いない」
男
「処方された人以外、使ってはいけません」
サトウ
「それならしょうがない。そして、結果的に最後の狙撃になった人殺しドライバーの始末は――、まあ言うまでもないよね? これは誰の依頼も受けなかった、言わば例外だ」
男
「あなたが決めたと?」
サトウ
「最終的にはもちろん僕がゴーサインを出したし、タナカ君も特に反対はしなかったけど、強硬に主張したのはスズキ君だよ。世間に期待されてるのだし、自分達の株を上げに、警察の株を下げに行こうって。それに、情報を送れる立場にいたからね」
男
「…………」
サトウ
「何か気になるかい?」
男
「いいえ。スズキさんならやりそうだなと。自分が巻き込まれる可能性が、かなりあったのに」
サトウ
「その点、強運は持っていたよ。そして、手帳も手に入れて、君という登場人物を呼び込むことができた。イモト君のことは、とても残念だったけれどね。正しく悪を憎める、それでいて警察の悪いところを持ってない素晴らしい刑事だったと、スズキ君からは聞いている」
男
「そうでしょうね。あの人は……、優しい人だった」
サトウ
「君を見逃してもいるしね」
男
「そうですね」
サトウ
「君は、イモト君の過去についても、知ってるようだね。僕はスズキ君に聞いたのだけど。そして、なぜスズキ君がイモト君に心酔しているか、よく分かったのだけど」
男
「知っています。本人から聞きましたから」
サトウ
「そうか」
男
「あの狙撃だけは、どうやったのか想像がつかなかった。その場で決めたルートを、スズキさんがタナカさんに伝える方法は、いくらでもあったかもしれない。しかし、建物や遠方で先回りをして待つなど、現実的ではない」
サトウ
「さしもの君も、そこはギブアップかい。少しだけ出し抜けたようで嬉しいよ。知りたいかな?」
男
「どう私の考えが及ばなかったか、知っておきたいです」
サトウ
「じゃあ答えようっと。頑張ったからね。まず言っておくけど。撃ったのは遠くからじゃなかった。すぐ隣から、だよ」
男
「車から撃ったと?」
サトウ
「そうさ」
男
「それは少し考えましたが、ならば運転手と射手がいたことになる」
サトウ
「ああ、君は賢いなあ。そうやって、“もう一人実行に加わった人がいたのではないか?”って探ってるんだね」
男
「そうです」
サトウ
「残念だけど、タナカ君一人でやったんだよ」
男
「運転して追いかけ、隣に並んだときに撃ったと?」
サトウ
「そういうこと」
男
「にわかには信じがたいです。不可能ではないかもしれませんが、無理がありすぎる。成功しても、周囲から見られてすぐに分かってしまう。前の車のドラレコに、その様子が映っていたことでしょう。捜査されていないというのは、おかしい」
サトウ
「だからとっても頑張ったんだよ。種明かしはこうだ。まず、頑丈な三脚に大型サプレッサーつきのサベージ本体を据え付けて、リモコンで上下左右に、狙いを調整できるようにした。引き鉄も同様だね。これらは、ラジコンの部品を使えば簡単にできる。スコープにはカメラを搭載した」
男
「つまり、リモート狙撃システムを作り上げたわけですか」
サトウ
「そう。普通はこういうものは、扱う人から、そして目標から遠くに設置して使うものだけど、僕達は逆をいった。それを、日本ならどこでも走っているハイエースの荷室に固定して、薄いカーテンで隠した小さなサイドウィンドウから、弾が飛び出すようにしておいた。システム一式も、もちろん隠蔽した。引っ越し業者の段ボール箱をたくさん積み込んでね」
男
「なるほど。それならば、外からはまったく分からなかったでしょう。銃声も、道路の上ならかき消えた」
サトウ
「そういうことさ。あとは、スズキ君が止まった時に脇に上手くつけばよかった。タナカ君はスマホ画面で狙いを調整して、撃つ仕組みだった。でもねえ――」
男
「タイミングが合わなかったと?」
サトウ
「そう。あとで動画を見せてもらったけど、何度も何度もトライしては、無理だと諦めたんだよ。あの一回がラストチャンスだった。結果、今こうなってるわけだ」
男
「スズキさんが、イモトさんの手帳を奪い全部チェックしたのは、あなたのことが載っていないか、恐れてのことでしょう?」
サトウ
「もちろんそうだろうね。あるいは書いてあったのかな?」
男
「今のうちに言っておきますが、スズキさんが持っている手帳は、後で回収させていただきます」
サトウ
「もちろん構わないよ。まさにそれこそが、君が海を越えてここに来た理由だからね。手帳が他の誰かに渡ったら、五年前の君の殺人に再び日が当たってしまう。さらに三人殺してまで、奪う価値のあるものだ」
男
「イモトさんは、ずっと黙っているよと、笑いながら言ってくれた……。もし、あの人が巻き込まれて死んでいなければ、ここに来る必要は何一つなかった……。日本のニュースから目を逸らして、異国で忙しく生きているだけで良かった……」
サトウ
「おや? 君が気持ちを吐露するなんて、珍しい。まあ、スズキ君があの電話をしなければ、また別の道があったんだろうね。でも、僕にとってはこのルートは悪くなかった。感謝しているよ」
男
「…………。あなた達に今、殺害依頼は入っているんですか?」
サトウ
「僕を信じて喋ってくれた人の情報については、今際の際でも言えないねえ」
男
「そうですか」
サトウ
「ただ、これだけは言える。依頼者には必ずこう言ってある。『僕達はいつ捕まるか、あるいは死ぬか分からないから、あなた達の望みを叶えられないことはある。その時は、残念だけど諦めてほしい』って」
男
「なるほど。それを聞いて、少しだけ安心しました」
サトウ
「やれやれ、君は人がいいのかな? 悪いのかな?」
男
「最後に、一つ、あなたのことを聞きたい」
サトウ
「うーん、プライベートなこと? 答えられるかどうかは分からないけど……、面白い質問だといいなあ。あっ!」
男
「どうしました?」
サトウ
「あっちゃー……、瓶を落としちゃったよ。まあいいか、拾うのも、面倒くさい。大丈夫、ほとんど飲みきったよ。あー、美味しかった――、のかな? もう、味も分からない。まあいいか」
男
「いくつか、質問しますよ。あなたが生きているうちに」
サトウ
「どうぞ。まだ息はあるよ」
男
「二十四年前、あなたは奥様とご両親を交通事故で亡くした」
サトウ
「そうだね。僕の人生の分岐点だったね」
男
「誰かのせいで引き起こされた事故だと思い、家族を殺されたと思い、警察に何度も捜査を依頼したが、叶わなかった」
サトウ
「そうだよ。あれで、警察が決定的に嫌いになったね」
男
「それもあって、悪人を狙撃する計画を考えて、まずは北海道に移住するところから始めた」
サトウ
「あらためて思い直すと、壮大な計画だったなあ。我ながらよくやったよ。そして終わってみると、あっという間だったなあ」
男
「本当なんですか?」
サトウ
「ん?」
男
「本当、なんですか?」
サトウ
「どこがだい?」
男
「全ての大本になったという、奥様達の事故が誰かのせいで引き起こされた件――、本当なんですか?」
サトウ
「君は、何を考えてるのかな?」
男
「私は思っている。あなたは、奥様の事故の真相を知っているのではないかと」
サトウ
「どうして?」
男
「あなたからは、妻や両親を誰かに殺された気持ちが、知らない誰かを延々と憎んでいる思いが、まったく伝わってこないからです」
サトウ
「おやおや」
男
「あなたの表情からもです」
サトウ
「質問には正直に答えるから――、まどろっこしい言い方はナシでいこうよ? ズバリ聞いてもらえるかな?」
男
「あなたは、奥さん達の死の理由をちゃんと知っているのではないですか? そしてそれを、誰にも言えずに隠している」
サトウ
「そんなことを聞いてきたのは君が最初で、そして最後だね」
男
「答えは?」
サトウ
「正解だよ」
男
「どう正解ですか?」
サトウ
「僕が言うと思う?」
男
「思います」
サトウ
「妻はあの日、出先から、僕に電話してきた」
男
「なんと?」
サトウ
「電話を取ったら、たった一言――、『ばいばーい!』ってね。それだけだ。とても明るい声だった。若い頃、デートの最後に聞いたような。仕事中だった僕は、なんだったんだと思いながら、帰ってきたら聞こうと思って気にも留めなかった。かけ直すこともなかった。あのときかけ直していたら、僕は、違った世界に生きてたのかもしれない」
男
「…………」
サトウ
「警察から事故の連絡を受けて、すぐに分かった。妻がアクセル全開で、ガードレールを避けて、崖下にダイブしたんだと。無理心中を図ったんだと。でも、理由が分からない。妻が精神的に参ってたとは、到底思えなかったし、両親と仲が悪いとかも、なかった。僕との仲だって悪くなかったと自負してる。子供達は可愛がってた。だから、理由はまったく分からなかった。今でも分からない」
男
「ただ……、なんとなくでしょう。人は時に、不合理なことを突発的にやる。そこに他人が理解できる理由はない。もし本人に聞くことができたとしても、そんな答えが戻ってくるはずです」
サトウ
「それは、慰めてくれてるのかな?」
男
「いいえ。単に想像できたことを言っただけです」
サトウ
「そうかあ。名探偵の君が言うと、それが真実な気がしてきたよ」
男
「あなたは、一連の狙撃で、何をしたかったんですか? 私はスズキさんに、あなたの行動原理が、“妻や両親の非業の死から湧き上がった、裁かれていない悪人への復讐”などと言ったが、全然違った。私の推理は、大きく外れていた。名探偵とか、皮肉に聞こえるほどに」
サトウ
「外れてたね。でも、名探偵は名乗っていいんじゃないかな?」
男
「では、あなたは、なんのために?」
サトウ
「楽しかったからじゃないかな?」
男
「楽しかった……?」
サトウ
「そう。長い時間かけて、コツコツと準備して、実現の可能性を少しずつ上げてってさ、タナカ君なんていう凄い仲間まで見つけて、さらにはスズキ君まで加わって――、結構な成功を収めてさ」
男
「楽しかった、か……」
サトウ
「不合理かな?」
男
「どうでしょう……? 分からない」
サトウ
「いろいろと、楽しかったよ」
男
「そうですか……」
サトウ
「癌になっちゃったのは残念な予想外だったけどさ、年齢的にしょうがないことだ。さらに予想外なことに、君という人殺しが現れてくれて、僕の命を奪うことも含め、キレイさっぱり終わらせてくれた」
男
「キレイさっぱり? 私が後始末をしてくれるのだと、お思いですか?」
サトウ
「もちろんだよ! 疑ってないよ! 君は僕が死んだら、ちゃんとやってくれるよ。手筈も分かってる。聞きたい?」
男
「聞きましょう」
サトウ
「まず、スズキ君の体は、手帳を回収した後、身元が分かるものは全て剥ぎ取ったうえで、森の奥に隠してくれる。その前に、散弾で顎を丹念に吹き飛ばして、歯形から追えなくすることも忘れない。春になったら、冬籠もりから出てきたヒグマが、綺麗に食べてくれるだろう」
男
「それから?」
サトウ
「それから、キャンピングカーにタナカ君の体を積み込んで、僕達の体に、ありったけの燃料をぶちまける。最後に火を付けるやり方としては、スノーモービルを車の下に突っ込ませて、ガソリンタンクを開けて布を中と外に垂らしておく。ガソリンはこの寒さでも揮発するから、近くの金属部分を狙撃すれば、遠くからでも着火できる。
火さえ付いてしまえば、僕の愛車は全焼間違いなしだ。金属が溶けるほどの高温で燃えて、人間の体などほとんど残らない。こうして、僕とタナカ君は、狩猟キャンプ中に車両火災で焼死したことになる」
男
「…………」
サトウ
「君は、入ってきた場所へと逃げる。スキーの跡があっても、血痕があっても、僕達が狩猟中に付けたと思われるだろうね。いるはずのない君が関わったなんて、誰も気付かないよ。証拠隠滅の手順としては、これがベストだ! どうだい? 君のプランとの相違はあったかな?」
男
「いいえ。まったく」
サトウ
「最高だね! 僕は事故死になるから、保険金はしっかりと、会社と子供達のところに届くだろう。癌告知をされた際に、遺言書も残してある。牧場も宿もレストランも、頼りになる人達のものになるだろう。そして僕は妻と、天国で再び出会い、いろいろな話をするんだ」
男
「天国へ行けると、お思いですか?」
サトウ
「行けるんじゃない? だって僕、誰も殺してないし」
男
「そうですか。では、奥様の方は?」
サトウ
「行ってるよ。だってマイワイフ、可愛いからさ」
男
「それならば、間違いないでしょう」
サトウ
「あはは。――ねえ君、人を殺すって、どんな感じなのかな? 僕はね、これだけはタナカ君に聞けなかった。聞かなかった。だから君に聞こう」
男
「終わった直後は、吐き気がしますよ」
サトウ
「最初の殺人のあと、君は吐いたのかい?」
男
「いいえ。どうにか踏みとどまりました。それどころではなかったので」
サトウ
「なるほど。その先は? 思い出す度に、何か感じるかな?」
男
「なぜ殺したのかに、よるでしょう」
サトウ
「そりゃそうか。じゃあ、君さ――」
男
「はい」
サトウ
「この先――、な、なや……、むんじゃ……、ないよ……?」
男
「…………。できるかどうか、分かりませんが、そうします」
サトウ
「あと、さ……。がー、がー、が、顔、見たかった、ね……。人殺し、の、かお……」
男
「やはり、見えませんか? 見えていないんですね」
サトウ
「う、ん……? ――うひっ?」
男
「今、ボンネットを叩いた音は、聞こえましたね?」
サトウ
「あ? ああ……。そ、うな、の……?」
男
「私は今、あなたのすぐ目の前にいます」
サトウ
「そう……? そう、なのか……」
男
「見えますか?」
サトウ
「い、いや……、みえ、ない……、くらい、なあ」
男
「残念です」
サトウ
「あ、あ、ざん、ね、ん……、だ。ああざ、んねんと、いえ、ば……、つくづく……、ざんね、ん、だ、なあ……。君が、しょう、じょをす、くった、あ……、と、うちにと、まりにきてく、れてた……、らなあ」
男
「あなたに懐柔されて、狙撃の仲間にできたと?」
サトウ
「そう……、そ、う」
男
「無理でした。それは、絶対に、無理でした。言い切れます」
サトウ
「な、で……、そういいき、れ……、る、か……、なあ……?」
男
「なぜなら、私が、少女を救ったとき――」



