第一話『猫女』――ギシキ――
9.
午後から生徒会役員が集まる、とのことで、ひとまず解散、ということになった。
帰り際に、アドレスを渡される。
「じゃあ、夜に連絡して。今後の予定と、あと、子猫の話を詰めましょう。……あと、できるだけ携帯は持つようにしてね? まぁ、うちの学校は基本禁止なんだけど」
「……はい」
「じゃあ、夜に」
メモをしまい、のろのろと、きびすを返す。
一段落がついたことで気がゆるんだか、左手の傷が脈を打ち出す。
汗が染みて、痛いし痒い――左手のひらをかきかけて、ふと、思う。
――先輩は、この左手の傷を、どう考えているのだろうか。
ひたいの傷と同じく、逃げ帰るときについたものだと思ってくれているだろうか?
それとも――
いや、バレているはずがない。
そもそも猫の血を使わなかったペテンに気づいていたら、これからも手伝えなんていってこなかったはずだ。
でも、もしも気づいていたら。
――それでも手伝えといっているのだとしたら――
どこまで本気なのだろう。どこまで信じているのだろう。
それとも目的はほかにあるのか――
どうしても、思考が堂々巡りする。
――本当に、あの子猫を、傷つけるつもりだったのか。
本当に、傷つけられたのか。
――この手の傷に、彼女の身体に塗った血の正体に、本当に、気づいていないのか――
「……目良くん?」
ドアを開け、生徒会室から出たところで、声をかけられ、振り返る。
忘れたことでもあったのか、先輩が、ゆっくりと歩いてくる。
ぼくを押しのけるようにしてドアから半身をだし、廊下を確認したのち、先輩は身体を戻した。
そして。
きょとん、と見ているぼくの目の前で。
右手を持ち上げ、自分の顔の横でくいっと招いたポーズをつくり――
にゃん!
――そのとき、ぼくはどんな表情を浮かべていたのだろう。
くすくす笑いつつ、じゃあね、と先輩は、扉を閉めた。
そしてぼくはその場にひとり、立ち尽くす――
――いや、違う、もちろんいまのは妄想だ。
本物じゃない、錯覚だ。
だって『儀式』は失敗したのだから――
そもそも成功するわけない、そんなのあり得ないのだから。
だから。
一瞬、猫耳としっぽが見えた、なんて。
細くなった瞳孔を見た、なんて――
昨日の印象が強すぎたことによる、脳内妄想に決まってる――
とつぜんの恐怖に駆られて。
ぼくは学帽を目深にかぶり、足ばやに、その場を去る。
気がつくと、走り出している。よくわからない恐怖から、逃れるように――
・
――以上が、ぼくが話せる『猫女』についてのすべてである。
最初に宣言しておいた通り、もちろん本物の『猫人』なんて現れなかった――
すべては、現実ではない妄想の産物。
とはいえぼくに残した傷跡は大きく、それ以降もしばしば、ぼくは先輩に猫耳やしっぽを錯覚した――先輩だけではない、妹や、小林さんや、クラスメイトの女子相手にも――たとえば柔らかさを感じるちょっとしたしぐさに『猫女』を見て驚かされるようになった(不思議、というか当然というか、男子相手にはまったくない)。
そういう意味では、成功などするはずのない『儀式』だったが、ぼくに対してだけは効果があったといえるのかもしれない。
少なくともぼくの頭のなかには、おりあるごとに想起する『猫女』という存在がくっきり刻みこまれてしまったのだから――
こうして。
ぼくの中学二年を彩った忘れられない恐怖の日々は、『猫女』とともに始まった。



