第ニ話『百眼』――ジャガン――

3-2.

「やっぱり、きみはわかりやすいな」

「な、なにが?」

「見るからに私を、――怖がっている。ついでにいうと、きみはいま、こんなことを考えているんじゃないかい? どうして私は、きみにこんな話を聞かせたんだろう、って」

「それは……その」

「……どうして、か。どうして、かな。正直にいえば、話すつもりなんてなかった。それどころか、だれにも話すことなんてないと思ってた――

 むかし一度だけ、他人に話したことがあったんだけどね。

 ――親友だった、女の子に」


 その言葉のどこかはかなげなニュアンスに思いがけない衝撃を受け、はっきりとした恐怖を覚える。

 その言い方――まるでいまは親友ではない、というような――(確かに、ぼくたち以外に小林さんの『親友』にあたる人物なんて知らない――友だちはけっこういるはずだが――)

 これは、友人が友人でなくなるような話なのか? 

 そんな話を、小林さんは、ぼくに対してしているのか? 

 思わず顔を上げた途端、目と目が合い、しまったと一瞬あわてるが、すぐに小林さんのほうがはずしてくれて、そして言葉が、続く。


「なんで話してしまったのか、覚えていないんだけどね? 彼女とはとっても仲が良くて、口にするのは恥ずかしいけれどお互い親友だと思っていた、と思う。だからこそ、隠し事なんてしたくなかったのかもしれない。むしろ共有したかったのかもしれない。単純に、『そういうところ』のある私を認めて――受け入れてほしかったのかもしれない。とにかく、理由もきっかけも覚えてないけれど、定番となっていたお泊り会のとき――確か五年の冬休みだったかな――、私は彼女に、告白してしまった。自分の、『そういうところ』を」


 言葉を切った沈黙に、ぼくは思わず続きをうながす。


「そ、それで? どうなったの?」

「どうなった、とは?」

「え、と、それは――」


 小林さんは、口もとを斜めにゆがめ、いった。

「え?」

「どうなった、というのがリアクションのことなら、彼女はなにも変わらなかった。きみみたいに怖がることも、挙動不審になることもなく、それどころか、驚いたそぶりさえ見せなかった――、ね。私の告白に相槌を打ち、理解を示した。そういうヒトもいるよねーでもあたしは気にしないよーみたいなノリでね。

 内心はどうあれ、私の告白なんてべつにたいしたことじゃない、みたいな感じで、実際にそれを態度で示してみせたんだ。

 ――ああ、彼女はなにも変わらなかったよ。

 彼女を責める筋合いはないし、実際よくできた反応だと思うが、……正直、肩透かしを食らった感は否めなかったな。……どんな反応を期待していたのか、自分でさえわかっていなかったくせに――

 そのままお泊り会は続行され。

 寝て、起きて、学校にいって――

 私の告白については、その後話に上がることもなく、結局――なかったことになったのさ」


 どこか投げやりに、小林さんは言葉を切る。

 自嘲っぽいため息が、斜めにゆがんだ唇からこぼれ落ちるのを、ぼくはただただ見つめる。


「……勘違いしないでほしいが、私はべつに、彼女を責めるつもりはない。きっと、彼女は間違ってない、というか悪くない。きっと、それが最善の対応で、間違っていたのは私のほうで、そもそも告白なんてするべきじゃなかったんだよ。親しき仲にも礼儀あり、どんなに仲がよかろうが、ケツの穴まで見せてはいけない、ということだね。……ただ、ただ……

 彼女は、少なくとも表面的には、変わらなかった。

 変わったのは私のほうで、なんというか、自分でもよくわからないんだが意識するのはやめられず、前のように彼女とくったくなく過ごすことができなくなり、やがて、うわべだけ仲良くしているみたいな感じになって――

 あれほど仲が良かったのに、疎遠になるのは、あっという間だった」

「……その」

「もちろん、変な告白をしたうえに、せっかく彼女がなかったことにしてくれたにも関わらず意識しすぎた私が悪い。……でもね、離れたのが私からだとしても、彼女だって、それをあっさり受け入れたんだから、――いや、まぁ、それはともかく――

 それからかな、私がパンツをはかないことに、罪悪感を持つようになったのは」


 視線がぼくの顔から教室の天井へと向かい、そこでようやく赤みを帯びていたはずの夕日がいつの間にか、いよいよ暗い夜の前触れへと変わっていたことに気づく。

 まだ明るい。

 でも、夜の闇はすぐ。

 もうすぐ、下校門限を知らせる放送があるだろう。

 明かりのついてない教室は、昏い。

 誰そ彼の感のある風景を背に、彼女の話は、続く。


「……罪悪感はね、つらいよ。本当に。きついんだ。

 あれほどどきどきさせてくれた秘密の趣味が、思い浮かべただけで胸を締め付ける不快な記憶に変わって、私はノーパンどころか、それを思い浮かべることさえできなくなった。本当に、胸が苦しくなるんだ。息ができなくなって、そして私は後悔した。他人に告白してしまったことを。私の秘密を、私以外の人間に話してしまったことを」

「それは……」

「彼女と疎遠になって――私だけじゃない、きっとお互いに、互いを避けるようになって――けれど、私は彼女を意識することはやめられなかった。無視して忘れることなんて、できなかった。彼女がだれかと楽しそうに話しているのを見るたびに、もしかして私の秘密を話しているんじゃないかと怖くなった。みんなに私の秘密をバラして、知らないのは私だけで、裏ではみんなが私を嗤い、蔑んでいるんじゃないかと不安になって……ひどいだろ? たとえ疎遠になったからって、他人の秘密を勝手に話すようなヒトじゃないって、私はだれよりも知っていたはずなのに。……だからこそ、告白しようと思ったのに――

 こうして、私の『告白』は永遠に封印すべき忌まわしいものとなり、そして親友だった彼女は、――つねに私の傷口を開き続ける拷問具となった。

 我ながら、ひどい言いぐさだろ? 

 ……ひどいときにはね、彼女の死を望んだことさえある。

 ミステリとか読むたびにね、想像してしまうんだ。私の秘密を守るために、どうすれば、彼女の口を永遠に塞げるか――そのためのトリックを――あくまでも想像で――けれど――」

「……い、いまも?」

「……小学校卒業を機に、彼女はよそに引っ越したよ。もちろん私とは関係なく、受験の都合でね。ほら、うちはエスカレーター式だから、よそにいきたい子は結局――それはともかく。

 正直、彼女が遠くに消えてくれて、うれしかった。

 ……かつて親友とまで思っていた相手なのにね。

 でも、そういう罪悪感はあっても、それでもすごく、ほっとしたんだ。

 ようやく、すべてを忘れて眠れる、と」


 ひどいやつだろ、と。

 言外に自虐をにじませぼくを見る。

 けど。

 ひどいとは、ぼくにはいえない。

 思えない。

 ぼく自身、強くないから。

 きっと同じような心境になってしまうから。

 いやもっとひどい疑心暗鬼に陥ることは火を見るよりもあきらかで、そんなぼくが、他人を、小林さんをひどいなんて思えるはずがない。

 だから、それより、気になるのは――


「……いろいろ考えてみるとね、いまの私がこうなのも、その影響がある気がする。無意識にだけれど、意識的に――正直、気がして、女子との会話苦手だしね。被害妄想なのはわかっているんだけど――まぁ、いくら忘れたといっても、本当の意味で忘れられるはずなんてないし」

「……あの、小林、さん」

「いまだからいうけど、一年の最初のころ、きみを助けていたのも、彼女への罪悪感を薄めるためだったのかもね。すごくタイミングがよかっただけで、だれでもよくて――でもまぁそれも、いまとなっては結果オーライということで――」

「小林さん!」


 しゃべり続ける彼女のセリフに割りこんで。

 強引に、ぼくは、聞く。


「どうして、いま、ぼくに、そんな話を?」


 そうだ、聞かなければならない。

 小林さんの気持ちはわかる。

 わかりすぎるくらいわかる。

 だからこそ――

 どうしてそんな、二度と人に話さないと誓ったような『秘密』を、ぼくに? 

 予想はできていたのだろうぼくの質問に、困ったようにぼくの学帽で自分のほおをぽんぽんたたくと、小林さんは、笑った。


「ううん、本当に、なんでだろうね? ついなんとなく?」

「そ、そんな、こんなの、なんとなくで話せるようなことじゃ……」

「でもそうなんだ。だいたい、前もって話すつもりだったなら、本当にパンツはかないでいるよ? そのほうが効果あるだろうし――そもそも、そういう考え自体、最近までできなかったんだから。……けれど……」

「……けれど?」


 学帽で口もとを隠して、小林さん。


「……とつぜんだけど目良ってさ、最近――

 女の子に興味出てきた?」