第ニ話『百眼』――ジャガン――

3-5.

 結局、帰り道のわかれる校門まで、ぼくたちは無言のままだった。

 小林さんはどうだったか知らないが、ぼくにとってその沈黙は居心地が悪いどころか、ほとんど恐怖の顕現だった。

 とにかく雰囲気を変えたくて、かといっていうべき言葉も見つからず――正直いまの状況自体、理解できているとはいいがたい――学帽のしたでもんもんと恐怖しつつ、結局そのまま校門にたどり着いてしまった。


「じゃあ、また明日」

「……う、ん」


 手を振って答えを返しながら、心は焦って言葉を探す。

 このまま別れていいのか。

 なにかいうべきことはないのか。

 知っていてもらえるだけでいい、いまのままでいいといってはもらえたが、でも、それは本心なのか。言葉通りと信じていいのか――そもそも、なぜ知ってもらいたかったのか。

 なにを求められているのか。

 本当にいままで通り、友だちでいられるのか――? 

 考えるだけで恐怖がこみあげてきて、わけがわからないながらもなんとか打破しなければ、とにかく会話をしなければ、と必死に言葉を探しているうちに、ふと呼び水を見つけて、ぼくは急いで、帰りかけていた小林さんに呼びかけた。


「あの、待って! 小林さん!」

「ん? どうした?」


 学帽のつばのかげから、それでもしっかり小林さんの顔を見つめていう。


「あの、さっきの話のことだけど、――いまさらいわなくてもいいことかもしれないけれど、いちおう約束しておくから! あの話、ぼくは絶対だれにもいわないから!」


 もちろん遠藤にも! と締めた呼びかけに、小林さんは笑ってうなずく。


「うん。そのことならだいじょうぶ。ぜんぜん疑ってないよ?」

「そ、そう? ありがと」


 これで少なくとも、ぼくへの完全犯罪なんて想像されずにすむわけで――力強い信頼の言葉にうれしくなって、思わず礼をいいかけたが。

 それに構わず、小林さんは、続けた。


「そうとも。そのことなら、うん、ぜんぜん心配していない。

「え?」

「その点も、きみと彼女は違うから。

 ああ、いちおういっておくけれど、彼女のことをきみほど信頼していなかった、ってわけじゃあぜんぜんないよ? むしろある意味では、きみより彼女のほうが信頼できたし――なにしろ、過ごした時間の長さが違うから。

 でも、彼女の場合は、――、で。

 きみの場合は、、かな?」

「…………え?」


 よっぽど意表を突かれたふうだったのか、ぼくの表情を一瞥して苦笑したのち、小林さんは、あらためてぼくに向き合った。

 どこか、挑戦的な口調で――


「そうだな、たとえば、――ひどいたとえ話で恐縮だけれど、私がきみに電話をかけてきたとしよう。用件は、『たったいま人を殺した。ばれないよう死体を処理したいから手伝ってほしい』というものだ。さて、きみはどうする?」

「……え?」

「これが彼女だったら、きっと私に自首を勧めてくるね。通報は――しないかもしれないが、間違いなく自首を勧めて、そして手伝ってはくれない。面倒くさいからじゃない、それが正しい行いで、善悪と人情に則って、友人としてそれが私のためだと本気で考えるから。

 でもきみは、……確信できる。きっときみは、手伝ってくれる」

「……いや、ぼくは……ぼくだって」


 そんなことない、といいかけた言葉をあっさり無視して、言葉は続く。


「いや、きみは手伝うよ? もちろんきみも自首を勧めてくるかな? でも最終的にきみは手伝う。遠藤ほど長い付き合いじゃないけれど、確信を持って断言できる。間違いなく、きみは手伝う。――というか、手伝うしかない――

 

 それがいいことだからとか、悪いことだからとかは関係ない。きみの誠実さは関係ない。ただただ、そんなことを頼んでくる私のことが怖いからこそ、――きみは私をほうっておけない。違う?」


 今度は、否定はできなかった。

 あまりにも容易に、彼女の言葉に従っている自分の姿が想像できたから。

 そうだ、ぼくは、人一倍の怖がりで。

 そんなぼくがそんなことをいわれたら、気になって恐ろしくて、身動き取れなくなって、結局はいわれるまま流されるまま手伝ってしまうに違いない――それが犯罪で、自分自身の将来にまで深く影響を与えることさえ予測できても。

 それでも、手伝うよりも、ほうっておくことのほうが怖い――

 恐怖の最たるものは未知からの不意打ちで、目の届かない、手の及ばないところでこそ『それ』は成長し、だからこそ、知らない悪魔より知っている悪魔のほうがましなのだから。

 だからこそ、ぼくはどこか間違っていると思いながら、『先輩』の『儀式』に付き合ってしまっているのだから。


「誤解しないでね? 私はきみのことを大切な友だち、いってよければ親友だって思ってるし、きみが頼りたいことがあるならいつだって応えたいと、助けたいと思う。そしてきみのほうだって、そう考えてくれていると思う。……実際、もういっちゃうけどさっきの『疎遠になりたくない』って言葉、すごくうれしかったというか、――なんかもう、ぐってきたしね。

 それでも、私はどうしようもない、ひどい人間だから。

 きみの誠実さよりも、きみの怖がりなところのほうが安心できてしまうのさ」


 だから、きみは決して他人に話したりはしない、と確信できる。

 だってきみは、怖がりだから。

 たとえ信頼している親友相手であってさえも。

 きみは怖がることを、やめられないから――



 どれくらい時間が過ぎただろうか。

 手を振って小林さんを見送ったのちも、しばらくぼくは、そこに立ち尽くしていた。

 家から連絡がきて、ようやく、帰途についたが、――正直、気づいたら家だった、というぐらいぼおっとしていた(そして家で怒られた)。

 小林さんの言葉は、ぼくに思った以上の衝撃を与えていたが、ぼく自身、なにがそれほどショックだったのか、わからなかった。

 ただその夜はいつまでも、小林さんの言葉が、耳の内から離れなかった。