第ニ話『百眼』――ジャガン――
6-1.
『儀式』の間、赦される声は『百眼』を讃える祝詞のみ。
だからぼくは無言のまま、あわてず静かに、横になった先輩の肩に手を当てる(先輩に近づき、資料を床に置いてようやく、地面にバスタオルが数枚敷かれていたのに気がついた)。
なにがしたいのか伝わったか、先輩はみずから肩を起こして、あおむけからうつぶせとなり、小さなまくら? に顔をうずめる。
唯一の光源であるランタン――前回の懐中電灯と一体式の実用的なものとは違う、傘のついたインテリアタイプのかわいらしいもの――の、黄色い明かりに照らされて、闇のなか、白い背中が浮かび上がる。
照らし出された白魚の腹のような先輩の肌は、闇のなかだからだろうか、どこか病的な、生命を感じさせないつくりものめいた雰囲気があり――
『猫人』を――前回の先輩を、思い出させた。
だいじょうぶ、今回は、前回とは違う。
ぼくは、落ち着いている。
自分でいられている。
ランタンの静かな明かりのなか、床に広げた絵図を見る。
先輩の変わり者の親戚(件の資料提供者――名を平田
――本当に、『本物』なのか。
『百眼』実在の有無はともかく、本当に、こんな儀式を行っている結社なんてものがあるのか。実際に行われているかはともかく、世界のどこかでは本当にこんな伝承が伝えられているのか。超常存在の真偽はともかく、この資料元自体は現実に存在するのか――
絵図には、簡略化されたヒトの身体が五つにわけられ、それぞれの角度から番号付で『目』を描く場所が指示されている。
前面、背面、右側面、左側面――そして、『100』のナンバーがつけられている『目』がひとつだけある、下腹部正面。
ゆっくり息を吐きつつ。
ぼくは左手に持った筆壺に筆をそっと差しこみ、毛先に塗料をふくませた。
自分の左腕前腕に筆を走らせ、どこか赤っぽい線の描かれかたを確かめると、うつぶせになった先輩の右側へとにじりより、先輩の右肩を、ひざでつつく。
それで意を察してくれたか、まるで示し合わせていたかのように自然に、先輩は右肩を持ち上げて、ぼくのひざに、のせた。
持ち上げたところで白い胸部があでやかに形を変えるのが見え、すぐにひざにひやっとしつつもさらさらとした肌を感じたが、ぼくは取り乱すことなく、左手に持ち替えたタオル――自前で用意してきたもの――でそっと先輩の肩を撫で拭いて、ゆっくりと筆を走らせた。
まず上向きのアーチ。
端をそろえて下向きのアーチ。
あらためて染料を筆にのせ、アーチとアーチの間にきれいに収まるよう、できる限りの丸い円。そのなかにもうひとつ丸い円。を塗りつぶし――
ひとつめの『目』のできあがり。
正確には、自前のものと併せて三つめだけど。
感慨にふけることなく、『目』の下にもひとつ、同じものを描く。
少しだけ身体を動かし、首筋から肩にかけてももうひとつ、よほど胸もとのあいた服を着ない限り気づかれないようなところに、前の二つと等間隔になるように、合計三つの目を描くと、ぼくはひざをはずして、先輩をうつぶせへともどした。
ひざから離れたぬくもりを惜しみつつ、床に広げた右側面図の、56、57、58とナンバーを振られた部分を(ナンバー順は関係ない)、塗りつぶす。
この三つで、右肩部分は完了――シミュレートして気づいたのだが、人間の身体に百の目、というのは、じつはかなり少ない。
身体中に般若心経を描くことで亡霊の難から逃れようとする『耳なし芳一』という怪談があるが、確か、耳に経文を書き忘れたため耳だけ持っていかれるという話だったはずだが、そもそも三〇〇文字もない般若心経で全身を覆うことができたのか、結局のところかなりスカスカになって亡霊はどこでもすきなところを持っていけたのでは、と疑問に思うが閑話休題。
次は、背中を右側からの予定。
そこから腰、臀部、大腿部を経て右半分を終え、逆順に左肩へ向かったところで背面終了――
以上が準備期間中に考え抜いた、背面における最適な経路。
あらためて図面と手順を確認しつつ、うつぶせに横たわる先輩の脇に正座して、ときに床に左手をついて自分の身体を支えつつ、先輩におおいかぶさるようにして白い背中に筆を走らせる。
このまえは暴走していたためか単純に姿勢が異なるためか、ろくに気にも止まらなかった、先輩の背中に浮かぶ骨の形に我知らずどきりとなる。
夜に風吹く砂丘のように、肌になめらかにかたちをつくり、身じろぎするたび影を生むそれは、中心のは背骨だろう、肩にあるのは肩胛骨というやつか、その下側にはろっ骨の形まで浮いて――想像していたより先輩が痩せていたことに驚くが――『猫女』のイメージのせいだろうかもっと丸みがあった気がした――しかしそれはかけらも背中の美を減じるものではなく、むしろ自然の妙を感じさせる生物的な魅力があって、見ているだけでわけもわからず胸が高まる。
落ち着け、だいじょうぶ、冷静になれ。
前回の轍を踏まないよう、焦ることなく、昂ぶることなく、事務的に――
ゆっくりと、丁寧に。
背中に『目』を描いていく。
『目』の形は大きく分けて二種類。
アーチで瞳を挟んだ葉っぱ型――たったいま肩に描いたタイプと。
丸のなかにさらに丸い瞳を描く円タイプ。
それぞれに、さらに瞳部分を塗りつぶしたり塗らなかったり、瞳部分を二重にしたりまつげ? をつけたり、といった違いもあるが、基本はそのリーフ型と丸型で、どういう使い分けがあるのかわからないまま――単純にデザイン上の問題かもしれないが、もしかしたらひとつひとつに意味があるのかもしれない――資料に描かれているものを、できる限り忠実に、再現していく。
確実に、焦ることなく、規則正しい対称性を意識しつつ――
――やっぱり、こういうちまちまとした作業、好きかもしれない。
少しずつ白い背中が埋まっていくことに、えもいわれぬ達成感がある。
許されるなら、一〇〇といわず一〇〇〇でも二〇〇〇でも続けていたい――そんなことを考えながら、ぼくの手は、止まらない。あたかもそういう機械であるかのようにぼくの思考と関係なく、勝手に、まるで生まれたときから続けていたとでもいうようによどむことなく『目』を生んでいく。
時おり先輩が身じろぎしても、かけらもたじろぐことはない。
当然だろう、ある意味慣れた作業なのだ。
なにしろ準備期間中、ほぼ毎日シミュレーションしていたのだ。
あわてないよう、うろたえないよう、なにがあろうと最後までやり遂げられるよう――考えられる限りの不測の事態を箇条書きし、きっちりフローチャートをつくり、どう動けば合理的か、どう進めれば効率的か、どういうやりかたで行うべきか――考えられる限り考えて、暇を見つけては目をつぶり頭のなかでシミュレートしてきたのだ。
ついには就寝時の日課となって、はては夢にまで見るほど熱心に。
たかが想像というなかれ。
イメージトレーニングの有効性は、スポーツの分野に限らず様々な場面において実証されている。
ましてやぼくは、自分でいうのもなんだがなにしろ人一倍怖がりなおかげでイメージ力には自信がある。
音楽室で肖像画の目が動いた気がして息をのみ、理科室で実験中に大事故が起きる想像をしておえつを漏らし、体育でも国語でも、シチュエーションに見境なく妄想を暴走させては奇声を上げて度々授業を邪魔してしまい先生がたに迷惑をかけてしまっているのはまったくもって冗談ではない。
なにしろ自分で自分の想像が単なる空想だと納得しつつも怖いのだ。
決してほめられた話ではないが、ぼくのながら思考とイメージ力はいっそ余人のツイズイを許さない、と断言してもいいだろう。
タオルでそっと、肌を撫で、汗やほこりを拭き清め。
筆を走らせ、『目』を描き。
ときにタオルを置いて筆壺に筆先をひたしつつ、資料で形を確認し、描き終えた位置のナンバーを消す。そしてまたあらためて、必要ならばタオルを手に取り、肌を拭き――
厚いタオル生地越しとはいえ、初めて女性の裸体に触れているというのに。
ぼくの手はためらうことなく、自分でもうっとりするくらいよどみなく、動く。
たまに先輩がぴくりとしても、まったく動揺することなく、作業を続けられている――
想定外ではないから。
たとえ頭のなかだけとはいえ、入念に繰り返してきたから。
たとえいくらかの差異があろうとも――先輩の背中に浮いた骨の形なんかはさすがに想像できなかったし、そもそも先輩の背中自体、想像以上の造形で、男と女の違いは胸部や下腹部のアレヤコレヤのアルナシだけではなく、そもそも体つきそのものがぜんぜん違うのだということをようやく実感として理解できたが――やること自体は変わらず、そしてやるべきことは、入念なイメージトレーニングの予習によってしっかり身についている。
丁寧に、しかし淡々と作業をこなしつつ、思う。
準備期間中のシミュレーションは、無駄ではなかった――
――気がつくと腰まで描き終えていて。
描き終えたぶんのナンバーを塗りつぶし、いったん筆を置くと、ぼくはひざをついたまま身体を回し、手を伸ばし、先輩の肩近くに置かれていたランタンを取り、引き寄せた。
シミュレートしていた通りに。一つ一つの動作をロボットのように正確に。
先輩の腰のあたりにランタンを移動させ、あらためて筆を取り、向き直る。
つぎはいよいよ、臀部分――タオルで下地を整えようとして。
先輩の、すらりと伸びた足と足との間に。
空間があるのを認識した。
そこでようやく、先輩がクッションかなにかを敷いて腰部分をわずかに持ち上げた体勢であることに、気づく。
描きやすいよう配慮してくれたのか――だから腰側面が描きやすかったのか――それとも長時間同じ体勢でいることを考慮しての準備か。
少しく持ち上げられた腰部はなだらかなふたつの丸みを頂点に、くだるに従いなめらかなすそを形づくって二つにわかれ伸びていて。なんの無理も感じさせない無造作かつ自然な感じに隙間を広げたその箇所は――
左手で機械的に右の臀部を拭きながらも、ぼくの頭のなかは、一つの事実で埋め尽くされた。
――立ち位置を変えれば、先輩の、――最後の部分が、見えてしまうのではないか。
いや立ち位置を変える必要などない。首をちょっと伸ばせば見える。
というか位置的に、たぶん本当はもう、見えている。
地面に置かれた小さなランタン一つしか光源がないため影になって見えないだけで、きっと――
そこでようやく、いまさらながら、前回の『儀式』との違いに思い当たった。
前回はランタンに布がかぶせられ、ほとんど闇のなかでの作業だった。
だから先輩の肌も本当には見えず、この世のものではないようだった。
しかし今回は、弱いとはいえさえぎられていない光がある。
実用的なものではなく、どうも机に置いたりするための雰囲気重視な飾りのようだが――あとで聞いたところによると、なんと先輩が自作したものだった――ランタンとは自作できるものなのだ――光は光、傘によって制限された小さくせまい範囲だが、ランタンは確かな明かりを生んで、先輩の、現実の肌を闇なかに白く浮かび上がらせている。
骨の形がわかるくらいの影をつくれるやわらかな光。
ランタンの位置をずらせば、きっと――
――なんて頭のうちなど知らぬげに、ぼくの手は止まることなく動き続け、先輩のまろやかな丸みの上に新たな『目』をつくり出す。
位置的にリーフ型の目は縦に描くことになるのだが、想定内、筆が止まることはない――
本当に、脳内シミュレートしていてよかったと思う。
これがぶっつけ本番なら、見てはいけないものが見えてしまうという思わぬ事態にぼくの手は止まり固まり動けなくなっていたことだろう。
そして先輩にいぶかられ、気づかれ、そして儀式は中断に――
(ちょっと頭を動かせば――)
静かな運筆とはうらはらに、心臓が、早鐘を打っているのを自覚する。
とつぜん、深呼吸したい衝動にかられ、あわてて自分を戒める――だめだ、こんなトコロの近くで深呼吸なんてしたら、先輩にどうとらえられるかわからない。考えすぎかもしれないが。せめて背面が終わるまでは――
いや、なにが理由となって儀式中断となるかわからない。
儀式をきちんと終えるまで、文字通り、一息つくことさえ避けるべき。
それにしたって、息苦しい――
(ちょっと顔を動かせば、すぐそばに――)
目を二つほど描き終えた筆はほとんど自動的に筆壺に向かい、補充した塗料の書き味を試すかのように絵図のナンバーを塗りつぶした。
すぐに次へと取りかかろうとして――
視線がふと、右側――先輩の頭部側へ向かった。
意識しての行動ではなかったが、もしかしたら無意識に、足側を見るのを避けたのかもしれない。
ほんのすぐそばなのに、そこはもうランタンの光の範囲外で、先輩の頭はぼんやりとしかうかがえない。
それでも、なにやら複雑に髪をまとめてある後頭部を目にして、得体のしれない安堵を覚える。
なにに安心したのかわからないまま――頭のなかとは関係なく、手は動き、それにつられるように視線も次の『目』を生むべき場所へと向かい――
視界の隅で、なにかが動くのを感じた。



