第ニ話『百眼』――ジャガン――
7-1.
夢のなか。
(もちろん夢とは気づかないまま)
ぼくは先輩の身体に『目』を描いていく。
毎晩繰り返し練ってきたシミュレーションのおかげでぼくの動作はよどみなく。次々に『目』が生まれていく。
やがて。
それぞれの『目』が、動き出す。
きょろきょろと、探るように周囲を見わたし、ぼくを見つけて、その視線が固定される。
無数の『目』がじっと見つめてくるのを、しかしぼくは気づかない。
(集中しているからなのか、それとも気づいてどうにもできないでいるのか――)
どれだけ作業を続けたか――『目』が増えれば増えるほど、視線の圧力も強くなり、文字通りの『眼力』に筆の動きも遅くなり、無視できず、ついに、ぼくは、顔を上げ、そして、ぎょろり、と、なにか恐ろしことが起こり――
そこで目を覚ます。
寝汗にまみれて繰り返してきた、これが既視感の答え。
……ああ、そうだ、これは夢で、ぼくは、いま、目を覚ます――
(――いや、違う! これは夢じゃない! 現実だ!)
(いくら現実離れしていても、これは夢じゃないんだ――)
あまりにすとんと腑に落ちすぎて全身全霊で納得しそうになった思いを振り切るため、ぼくは眼下に広がる光景をほとんどねめつけた。
シミュレート通りに――そして夢で何度も見たように――横たわる、先輩の、身体。
顔にはいつのまにか、床屋で洗髪するときのように鼻から上にタオルが置かれている。
どこから取り出したのか――先ほどまでまくらにしていたものの正体か?
ぼくが用意したタオルではないところを見ると、先輩が自分でのせたらしい――シミュレーションでもそうしてもらうつもりだったのでべつに問題はない。というか自発的にしてくれたのはむしろありがたい(顔を隠して視界をさえぎることをどうとられるか不安だったので)。
ランタンの明かりに照らし出される、隠すものなき二つのふくらみ。
くっきりと浮いたあばらと腰骨、そのあいだに沈んだ、まるいおへそ。
明かりの範囲外へと消えていく、すらりと伸びた二本の足――
(――そして、うすぐらく影になっている、最後の部分――)
――細くて小さい、というのがまず浮かんだ感想だった。
手も足も腰も、身体全体が、想像していたより細い。
ランタンの制限された光源のせいか、骨の影が妙に際立ち、より痩せているように感じられ、この体型が普通なのか異常なのか少し戸惑う。
じゅうぶんではない光のせいでそう見えるのか。
それとも先輩って本当は、こんなに小さいヒトだったのか?
制服をきっちり着ているいつもの先輩は、あんなに大人っぽく見えるのに。
もっとも、年上とはいえ自分とたった一歳違いなのだから、年相応といえばそうなのだろう、ぼくよりは間違いなく背が高いわけだし――そう納得しつつも、なぜだかショックを受けている自分を発見し、次いで、思う。
――これこそ、いまが夢じゃないことの証拠じゃないか?
夢、というものは記憶をもとに構成されるものである以上、想像できないものは、あらわれない。
つまり、いま目の前にある先輩の身体が想像と違っていた時点で、これは本物、夢ではない、と判断してもいいのでは?
いやもちろん、本気でいま夢のなかにいると考えているわけではないが――
(――ぎょろり、とにらむ無数の目――)
――いや違う、と頭に浮かんだものを振り払う。
あんなの単なる気のせいだ。
あまりに何度も悪夢で見たから同じようなシチュエーションに想像してしまっただけで、絵に描いた『目』が、そもそも動くはずがない。それまでほとんど動かなかった先輩が大きく身体を動かしたせいで過敏に反応してしまっただけで、よくできた肖像画はどの角度から見ても視線が合う――どういう原理か知らないけれど――それと同じことが起こっただけで、いやそもそも、目が合ったということ自体ぼくの勝手な妄想で――
これは夢じゃない。
――じゃあなぜ先輩は、わざわざ背中を見せるように身体を動かしたんだろう?
(――とくに意味のない偶然だ、そういう気分だったか、ひょっとして少しでも長く胸部を隠したかったとか)
(とにかく。背中の『目』でぼくを見るため、なんてはずがない)
先輩の身体の下に手を差しこみ、ひっくり返し、背中に生きた『目』なんてないことを確かめたい(そして心から安心したい)思いにかられつつ、しかしぼくの手は、先輩の身体の下には向かわず、持っていたタオルを先輩の股部分に投げるようにかけ(タオルが広がってかかるのを確認してから、しまった、と後悔したが――というのも、先輩は顔にのせるタオルを自分で用意していたわけで、ならば最終部分を隠すタオルも用意しようと思えばできたはずで、つまり、あえて用意しなかった覚悟の表明的可能性があることに思い当たってしまったわけだが、どちらにせよ時間はもどせない)、もう一枚のタオル――先輩の顔に置く用だったもの――を取った。
シミュレーションのとおり、半ば自動的に、そっと、先輩の胸を拭き清める。
……そこもやっぱり、想像していたより小さくて――
というか『猫人の儀式』のときに見たものよりも小さく感じて、記憶の差異に少しおののく。
――どういうことだろう、記憶を美化していたということか?
本当は小さかったのに光の加減で大きく見えていたのか?
いやそもそも、あれ自体本当にあったことなのか。
もしかして、見たと思っていながら実際見たのはぼくの願望的妄想で、そもそもあれからして本当にあったことではなく夢で――いったいいつから夢なのか――
いや、夢じゃない。
――小さいけれど、確かに、ある。
タオル越しとはいえ、しっかり温かな弾力がある。
思っていたよりは小さいが、しかし確かに膨らんだそれは丘というより山という形容がぴったりの鋭角的な攻撃性で重力に立ち向かっていて、そしていま、ぼくはそんな余人禁制的なものにタオル越しとはいえ触れていて――
(――よけいなことを、考えるな)
(夢かどうかもどうでもいい。いまは『儀式』に、心を尽くす――!)
先輩に聞こえないよう、できる限り静かに、時間をかけて深呼吸して。
筆を手に取ると、先輩の胸に横からかがみこみ、ひとつめの『目』を、描きはじめる。



