第ニ話『百眼』――ジャガン――
7-2.
描くべき『目』は小さな丸型。
まずはこれを、左胸の下側ふもとにそって、四つ。
その下に、さらに四つ。
右にも同じく四つ四つの八つ描き、そして、ふくらみの中心部分が瞳になる丸い『目』を、左右にそれぞれひとつずつ――ちょっと胸もとのあいた服を着ても見えないくらいの、しかしふもとの『目』よりは大きいサイズで、バランスよく――
イメトレは、夢を見るほどに、じゅうぶん。
どくどく脈打つ心臓の鼓動をBGMに。
ゆっくりと、丁寧に――塗料を肌にのせて。伸ばす。
細心の注意を払い、始点と終点がきれいに重なるよう、円を描き、瞳を入れる。
たちまち完成した一つめの『目』を、じっと見つめる――
描いた『目』は、もちろん動くことなく。
当然命を宿すことなく。
それを事務的に確認すると、ぼくは休むことなく次の目に、とりかかる。
既視感。
そうではないとわかっていながら、どうしてもわきあがる、これは夢なのではという思いを、単純作業に押しつぶそうとして。
慣れた手はよどみなく。イメージトレーニングしてきたとおりに――
(――夢のなかのように――)
――右胸に、八つの小さな『眼』を描き終えると。
筆は右山の頂上に向かわず、左の山すそへと向かった。
シミュレーションでは背面と同じように半分ずつ進めて、その都度立ち位置を最適な場所に変えていたのだが、いまぼくの手は予定を変更し、まるで最初からそのつもりだったとでもいうようにまどうことなく、そのまま逆側の『目』を描きはじめる。
――いや、たぶん今日はじめて先輩の胸を見たときから、そうするしかなかったのだろう。
なぜならやっぱり現実は、シミュレーションだけでは足りなくて、山の頂上に向かうには入念な準備が、心構えが必要で――
視線を、感じる。
体勢を維持するのがきつくなり、身体に触れてしまわないよう細心の注意を払いつつ、左手を先輩の左肩近くに持っていき、横から先輩におおいかぶさるかたちになる。
一瞬、先輩の顔をながめるが、やはりタオルに隠されたまま、こちらを見た痕跡もない。
右胸に描いた八つの『目』も、ただ模様のままにそこにある。
……視線なんて、気のせいだ。
大胆にかぶさったため山をすぐそばに見下ろすかたちになり、これから目指すべき頂上の全貌があきらかになって、一瞬、本来の用途のままにそこにむしゃぶりつく自分を想像し、そんな自分にぎょっとする。
うわ。最低だ。信じられない。
……これは、『儀式』なんだ。
先輩自身に望まれたことで、だからこそ心を尽くすべきで、よけいなことを考えず、集中して、ただただ『儀式』を完成させることだけ考えろ――心のなかで呪文のように唱えつつ、左胸のふもとに『目』を描いていく。
丁寧に、こころもち、ゆっくりと、少しでも時間を稼ぐかのように――
視線を感じる。
ちらり、と目を走らせるが、もちろん、『目』がぼくを見ている様子はない。
右胸の『目』も、左胸の『目』も、肩に描いた『目』も、先輩自身の顔の『目』も――それでも見られているような気が消えず、ふと、自分の状況を客観視する。
顔をタオルで隠した、全裸の女性。
そのうえにおおいかぶさり、筆を走らせる人影。
一歩外に出れば初夏の光があふれているだろう時間帯に廃棄された神社の地下に閉じこもり、顔に布をのせて横たわっている姿はまるでドラマなどで見た霊安室の『――』のようで、そのうえにかぶさっている冒涜的な光景はますます現実味がなくて――
左の八つを描き終わると。
ぼくは身体を起こして、あらためて筆に塗料をふくませて。ひざ立ちになり。
先輩の身体にまたぎ乗る、体勢を、とる。
なるべく先輩に触れぬよう(完全に、というのは無理だったが)、そして決して腰を落としてしまわぬよう、体重をかけてしまわぬよう、先輩の顔の左隣に手のひらをついて、両ひざと左手の三点で自分の身体を支えつつ、正面からかがみこむ。
それもまたシミュレーションではなかった行動で、なぜそうしてしまったか、正直、自分自身にもわからない。
ただ、あとから思い返したところ、なんだかとても攻撃的な気持ちになっていたように思う。
どこかやけっぱちな、どうにでもなれといった感じの、挑発的な気分。
見るなら見てみろ、という――
なるべく触れないようにしているとはいえ、こんなに近いのだ、タオルで視線をさえぎっていても、先輩にもいまぼくたちがどういう体勢になっているかわかっているだろう。
でも先輩は身じろぎもせず、それを免罪符として、まるで獲物をむさぼる獣のような体勢のままぼくは『儀式』を続行する。
筆をつかい、ためらいなく、先輩の胸部に正面から向き合って、それぞれの中心部に『目』をのせていく――
ふと、夢に見た光景を思い出す。
あたかも人の顔のように。胸に描かれた二つの『目』が。まばたきし。
小さな『目』を引き連れて。
じっと、ぼくを、凝視する――
――なんてことはまったく起こらず、瞳を入れた二つの『目』は、結局描かれた『目』のままだった。
先輩の呼吸に合わせてわずかに上下しているが、あくまでそれだけ。当然だ。
これは夢ではなく現実であり、そもそも、いかなる『儀式』を行おうとも描いた『目』が不思議な力で動き出す、なんてことがあるはずない。
だいたい『儀式』自体途中でまだ『完成』していないわけで――いやそれはぜんぜん関係ないが――
描いた『目』はしょせん、描いた目だ。
本物になるはずがない。
――ならばなぜ、こんなに視線を感じるのか――?
ろっ骨に沿って。
みぞおちを起点に。
白いおなかを埋めるように――
ひざをつき。ひじをつき。立ち位置を変えつつ一心不乱に。必要な『目』を描いていく。
前半の山場を乗り越えたからか、勢いついた筆が止まることはなく、ほとんど休憩もなく大中小の『目』を生んでいく。
塗料をふくませ、資料を確かめ、ナンバーを塗りつぶし――ほとんど忘我の域となり――
視界のはずれに、動くものを見る。
できる限り自然に、なんでもないようなふりをしながらそちらをうかがうが、――当然ながら生きた『目』などない。やっぱり気のせいで、――こちらを見ているものなどあるはずがなく、――脳内に夢の情景を想起してしまっているだけで、――なんでもない、というように、ぼくは『儀式』を続けていく。
かつて見た夢と同じように。
『目』が増えれば増えるほど、感じる圧力が強くなる。
耐え切れず視線のもとを探すけれども、そこにあるのは描いた『目』だけで、――当然だ、そもそも『目』が本物だろうと偽物だろうと『視線を感じる』こと自体がありえない。
視線を感じる、とはよくいうが、実際に、視線を『感じる』ことなどない。
視線なんて単なる目の向きであり――あえていうなら光の反射かもしれないが、そもそも目とは物質に当たり反射した光を受け止めるための受容器であり、ナニかを発する器官ではなく、視線自体に物理的な圧力などないに等しいのだから(素粒子レベルではまたべつらしいが?)。自分がどこを見られているか相手の目線から推測することは可能でも、実際に『感じる』ことなど不可能で、視界の範囲外からの視線を論じることなどもはや妄想の域でしかない。
――なのにどうして、こうも視線を感じてしまうのか。
見られている気になるのか。
新たに生み出した『目』を、じっと、見つめる。
もちろん描いた『目』はただ描かれたとおりに、視線を発することはもちろん動きもまばたきもしない。
これはただの絵、ただの模様、それ以上のものではなく、ただ、しかし、あえていうなら――
ぼくがそこを、じっと見つめたことの、あかし。
おなかにあるのも、肩にあるのも、胸のふもとも、その頂点も。背中に描いてきたものも、身体中にあるすべてが。
ぼくが見つめたことの証拠。
(そうだ)
(見つめたら見つめ返される、ただそれだけのこと――)
感じる視線は、罪の証明。



