第ニ話『百眼』――ジャガン――
7-3.
思い返すのは、小林さんの告白を聞いてから今日までの日々――
そうだ、ぼくは、毎日だれかの視線に怯えていた。
みんなに見られ、非難され、軽蔑されているように感じて、ある意味それは『地獄』のようで、だからこそ、『儀式の日』がきてなにかしらにけじめがつくのを待ちわびて――
なぜなら、ぼくが見ていたから。
異性の身体が。スカートの中身が気になって。気がつくと凝視していて。そんな自分を知られるのがいやで、なんでもないふりをして。
だからこそ、他人の視線が気になって――
スカートの下を想像した――隠しているものを探ろうとした、罪悪感があったから。
だれかに見られ、責められる気がして、怯えていたのだ。
小学生のころ、道徳の授業かなにかでこんな話を聞いた覚えがある。
どこの宗教の世界観か忘れたが――いわく、あの世とは、ひじを曲げられない世界なのだとか。
ひじが曲げられないために、そこらじゅうに食べ物があるにも関わらずそれを口まで運べない。そのために食物を前にしながらつねに飢えていることになる――これが地獄なのだと。
では天国はどうかというと。
やはりそこでも、ひじを曲げることはできない。
ただし天国においては周囲のみんなで助け合い、互いの手で口もとまで食べ物を運びあう。
だから飢えることはない――状況は同じであるにもかかわらず、ここに天国と地獄が生まれる。
つまり『天国』『地獄』とは、心の持ちようなのだ。
心が『地獄』だからいくらでもある食事が摂れず、心が『地獄』だからこそ、手を口もとに持ってこられても殴りかかられているのだと感じてしまう。
逆に心が『天国』であれば、ひじが曲げられないというなんだか不気味な世界でも(まぁ単なる比喩なのだろうけど)天国だと感じられるのだろう。
心が『地獄』だからこそ、周囲が地獄に見えてくる――
ぼくの心が『地獄』だから、周囲に注目されている気がして、怖くてしかたなかったのだ。
実際、小林さん以外にも、ぼくがスカートを凝視するのに気づいた女子はいた。
けれど彼女たちは、「霊でも見えた?」とか、からかう程度で許してくれた(ように表面的には見えた、と考えてしまうのがぼくの心の『地獄』ゆえんか――まぁともかくはじめて『霊が見える』という誤解をありがたく感じた)。そう、ぼくの年ごろが異性に興味を持つのはべつに異常なことではなく、軽蔑されたり嫌悪されたりするようなことではないのだろう(時と場合は選ばなければならないだろうが)。にもかかわらずそれを恐れ、周囲の人たちをそういうふうに責め立ててくる存在だと勝手に決めつけてしまうのは、ぼくの心がそうだからに他ならない。
すべては心のありようで。
ぼくの心が『地獄』だから、ありもしない視線を感じ怯える。
いま感じているこの視線も、結局は、ぼくの心が生み出したもの。
たとえ先輩の意思、『儀式』という大義名分があろうとも、結局ぼくはその『儀式』自体を信じておらず、自分に不思議な力などないこともわかっていて、ならばこれはつまるところただの茶番、先輩がどう思おうともぼくにとってはちょっと大がかりな『お医者さんごっこ』でしかなくて――
――いけないことをしている、という罪の意識が、視線を感じさせている。
おなかの『目』を描き終わり、ランタンを引き寄せ、腰から下腹部へと向かう。
塗りつぶしたナンバーを確認しなくても、もう終わりが近いことはわかる。
なにしろシミュレーションだけは数をこなしてきたのだ。
毎日毎晩、眠りにつくその寸前まで。気がつくと九十八箇所すべての場所と描くべき模様を暗記していたくらいに。
夢に見るのも当然だろう。
シミュレーションの影響か、準備期間の後半は覚えているかぎりほとんど連日夢を見ていて――そのほとんどは悪夢だったという感触以外すぐに消えてしまうようなものだったが、いくつかは印象に残っていて、じんわりと胸に巣食っていて――だからこそ、の既視感か。
下腹部にはタオルがふわりと、あたかもスカートのように広がっていて、しかしぼくはためらわず、必要な分までぎりぎりタオルをずらして『目』を描いていく。
横にずらし、下に引っ張り、すそを持ち上げ、少しめくって――しかしタオルの位置自体は動かさないよう注意を払いつつ――
――夢をひとつ、思い出す。
その夢でもやっぱり、感じる視線を無視して、ぼくはどんどん『目』を描いていた(夢であるとは気づいてない)。
とうとうあとひとつを残すのみ、となって、はじめてぼくは、先輩がスカートをはいていることに、気づく。
スカートは完全に先輩の最後の場所を隠していて、ぼくは最後の『目』を描くために、スカートをめくろうとして、強い視線に耐えきれず、顔を上げ――
ぼくを見下ろしていたのは、先輩ではなく小林さんの顔だった。
目は、髪に隠れて影になりよく見えないが、しかしその口もとは、笑っていて――
なにかとてつもなく恐ろしいものを感じて目を覚ます。
ああ、そうだ。
夢は、先輩との『儀式』のことだけではなかった。
ときには『儀式』の相手が先輩ではなく小林さんになり、顔のわからない女の子になった。
ときにはこの『暗室』ではなく学校の教室で、裁判のようなものを受けさせられ、ぼくはひたすら責め立てられ、ときには、ぼくはとうとうスカートを見つめるだけではなくめくり払おうとして、そこを先輩/女子/小林さんに見つかって、言い逃れのできぬまま、そんなぼくを見て笑う先輩/女子/小林さんの顔は、まるで恐ろしい怪物のようで――
(たとえ信頼している親友相手であってさえも)
(きみは怖がることを、やめられないから――)
視線を感じる。
でも視線なんて、存在しない。
――ああ、そうだ、と自分を笑う。
罪悪感? それもあるだろう。
でも結局は。ぼくなのだ。



