第ニ話『百眼』――ジャガン――

7-4.

 ことの善悪はさておいて。ぼくの心が弱いから。

 人一倍怖がりだから。

 怖いものを勝手に想像し、怖がらなくていいものを怖がってしまうのだ。

 親切なクラスメイトも。

 こんなぼくと友だちでいてくれる人たちまで。

 ――小林さんだって、からかってやろうという意図があったくらいで、ぼくをここまで悩ませるつもりはなかっただろう。

 もしかしてからかうつもりもなくて、心の重荷を取り払いたくてああいう形になっただけかもしれない。

 友だちであるぼくに打ち明けて相談したかっただけかもしれないし――ぼくも似たようなことをしていたわけだし――もしも『告白』を受けたのが遠藤だったら、こんなに悩まなかっただろう。ぼくが空から隕石が降ってきて世にも不幸な死にかたをしてしまうかもしれないとドキドキするような状況でも空からお姫さまが降ってきて大冒険がはじまることを期待できる遠藤なら、むしろ大喜びしてこの世には想像を超えた現実があることを楽しんでいたに違いない。

 そう、結局は、なのだ。

 人一倍怖がりで、大切な親友だと思っている相手さえ心のどこかで怖がってしまうような『地獄』を持っているぼくだから――

 ああ、そうだ、といまさらながら、理解する。

 なぜぼくが、はじめて聞いたときからこんなにも――自分でもついつい使ってしまうくらい、『超克』という言葉に惹かれるのか。

 ――『超克』したいのは、ぼくだ。

 ぼくこそ『超克』したいのだ。

 いまの臆病な自分から、もっと強く頼れる自分へ変わりたい。

 些細なことに怯えたり、怖がらなくてもいいことを想像して飛び上がるような自分は捨ててしまいたい。

 遠藤も小林さんも、妹だって、ぼくはこのままでいいといってくれるけれども、ほかならぬこのぼく自身が、こんな情けないぼくがいやだから。

 描き終えた分のナンバーを、塗りつぶす。

 これで下腹部部分も(最後の場所以外)描き終え、残ったナンバーは、――あと九つ。

 あらためてタオルを、スカートのように――ただし中心部に大きくたるみができるように――かけなおすと、先輩の大腿部横に移動して、太もものうえに、『目』を描きだす。

 どうしても、最後の部分を意識しつつ。

 ――この『儀式』の終着点。

 あらためて悪夢を思い出す。

 そう、あれだけシミュレーションしたにもかかわらず、結局夢のなかでは一度も『そこ』にたどり着けなかった。どれだけ途中まで調子が良くても、最終的には視線の圧力に耐え切れず/生きた『目』に邪魔をされ/小林さんと入れ替わられ/とつぜん両親や妹や乱入者がやってきて/とつぜん地震や怪物に襲われて/なにかとてつもなく恐ろしいことが起こり――

 目が、覚めて、知る。

 夢だったのだと。

 ――当然だ、そもそも見たことがないものを夢に登場させられるわけがない。

 だから最後まで到達できず、『儀式』を成功させられなかった。

――)

『目』を二つ、描き終えて。

 塗料を補充し、ナンバーを消し、タオルを調整し――

 そっと、先輩の右ももの下に手を差し入れる。

 一瞬先輩の足が震えたが、意が伝わったか、すぐに右のひざを立ててくれた。

 一瞬、先輩のもも裏に描いた『目』が動いた気がするが、確かめず、側面に『目』を描きはじめる。

 どうせ気のせいなのだから。

 肌が動いたというだけで、『目』が動いたわけじゃない。

 なにしろ描いているのは無機物のキャンパスではなく生きた肌の上なのだ、動かないほうがおかしいだろう。

 いまは『儀式』に、心を尽くす。

 いまこそ、『儀式』に心を尽くせる。

 もう先輩のため、じゃない。

 ――ぼくが『超克』するために。

(――そうだ、、最後まで到達してみせる)

(『儀式』をやり遂げて、これが夢じゃないことを、視線は気のせいだということを証明してみせる。――ぼくだってやればできるって、この情けない怖がりを克服し乗り越えられるって、証明してみせてやる――!)

 きっとそれが、ぼくだって変われることの証明に――自信に、なる。

 それがぼくの、『超克』だ。

 いまだって『百眼』なんて信じていないし、『儀式』をやり遂げたからってぼく自身が劇的に変われるなんてかけらも期待していないけれども。

 それでも、まずはここから――


 ――あと、五つ。


 側面の『目』を描き終わり。

 道具を持って立ち上がり、反対側へと移動し、左ももへととりかかる。

 ……先輩は右足のひざをたてたままだったが、タオルは見事に役目をはたしていて、『目』を描くのに支障はない。

 左もも上面の『目』二つを描き終え、右のときと同じように、左のもも下に、そっと触れる。

 予期していたのだろう、今度は震えることもなく。

 先輩は仰向けのまま、両のひざを、立てた。

 ――だいじょうぶ。

 中心部に大きくたるみをつくっておいたタオルは期待通りにうまくを隠してくれている。

 ――そう、そこは。

 最後でなければならない。

 だれにいわれたわけでもないが、そうでなければならない気がした。

 むしろそののため、他に九十九の『目』が必要だった気さえする。

 すべては、そこに到達するための、通過儀礼。

 ゆっくりと、丁寧に、細心の注意を払い。

 ひとつ、ふたつ――ももの側面に、九十九個めの『目』を描き上げる――