最初から終わりを確信したような、気に食わない微笑の仕方だった。
笑えない冗談だ。いっそ噓告白だとバラしてしまいたい誘惑に何度も駆られた。というか、バレているんじゃないのか。何せこの容姿だ。イケメン界や美少女界の常識や生態は知るべくもないが、多少言動がおかしくたって、記念受験みたいな感覚で告白してみようという輩は後を絶たないのではないか。その度に真面目に取り合っていては疲れるだけだ。ならいっそファンタジーでも何でも垂れ流して、最初から無理認定されて勝手に諦めてもらえば────
連鎖的な思考の渦に没頭する中で、ああ、なるほど。と喉のつかえがすとんと落ちた気がした。
本人も自称していた『電波』。あまりにも埒外の感性でもって、時には荒唐無稽な解釈で、普通では計り知れない自分の世界を持つということ。当然、そこらの凡人ではその妄想にも等しい夢物語を受容しきれず耳を塞ぐ。──これは自分の手には負えないと。
故に貴家雲雀の評判とは、もしかするとそういうからくりなのかもしれない。あえて奇人っぷりを見せつけることで、集ってくる有象無象の羽虫を追い払う線香を焚く。一度受け入れた告白を台無しにすれば、男のチンケなメンツがそれを勝手に過大に暴露させる。これから季節は夏に向かうのだ。暑さに狂う虫の襲撃を予期して、それくらいの備えはしておくべきなのだと。
だったら、さっさと思惑通りに離れてしまえば、ここで二人の恋はおしまい。後腐れない彼女の提案に乗って、お互いただの他人に成り下がれる。オーケー、ピエロの仕事は万事完了。
の、はずだ。
「私は精神離脱者よ。だから物質界のあなたと影響し合うのは、お互いにとって良くないと思うのよ。精神界で異変があれば、私は救世者として、そちらを優先しなければならない」
なるほどこれは確かに、『電波』と呼ぶべき世界観だ。将臣もそれは否定すまい。まっとうな感覚では簡単に踏み込めないようなある種の聖域。そうおいそれと理解が及ぶ話でもないし、上っ面の共感など容易く看破されるだろう。
でも──でもだ。
将臣は男子高校生で、彼女いない歴=年齢で、普通に彼女という存在に憧れもあって、目の前には彼女(暫定)の美少女がいて、何よりこのままだと日常は退屈だ。
日常が揺らいだりすることもある。啓示はそんなことを言っていた。日常を揺らがせたのは、啓示自身がベーグルを買い占めるという確信ある行動を起こした結果だ。
なら、将臣だってベーグルを買い占めれば、日常は刺激的になるのかもしれない。誰にだって、そうする力があって、必要なのはちょっとした勇気だけ。そんなの、女子に告白するのと何が違うというのか。
一年と少し前の事故の後、将臣にはその勇気がなかった。だから退屈な日常に染まることを選んだ。実際、啓示、かすかと三人でバカをやっていれば、退屈なりに学校生活は楽しい。それは間違いなく真理だと今でも思う。
だがこの時将臣は思春期の通り魔に刺されたかのように思ったのだ。電波的な彼女くらい、いたっていい。そんな普通だってあるはずだと。
「〝ガーディアン〟は精神界における私にとってはメリットのある話だけど、あなたにとってはそうじゃない。だからあなたはこちらで、こちらに相応しい恋人を見つけるべきよ。私は大丈夫。これまでも、これからも一人でやって来たから。だから、恋人ごっこはこれで──」
誰が言ったか日常の守護者から、貴家雲雀の〝ガーディアン〟へと踏み出す一歩。それは──
「じゃあ、明日デートしよう」
「…………はい?」
雲雀がいかにもきょとん、という顔をした。毒気を抜かれたというのとも違う、完全に虚を突かれた感のある無防備な表情。何だこんな可愛らしい顔出来るんじゃないか、とその意外性は将臣の中の雲雀像を上方修正させる。先ほどの寒気に似た感覚は一瞬で霧散していた。
とりあえず思い浮かんだ言葉を吐き出すくらいしか、将臣に出来ることはない。
「いや、色々話をするにしたって、こんな立ち話ってのもなんだし、かといってスマホでってのも味気ないし、クーリングオフにしろ何にしろ、君を知らなきゃ話は進まないだろ。だったらまた明日会って話そうぜ。丁度土曜だし、今んとこ俺の彼女ingなんだろ?」
休日にデートするって、いかにもカップルぽいじゃないか。そんなことを言ったように思う。実は後で思い返してみても、雲雀がそれまで何を呟いていて、自分がどういう誘い方をしたのかはあまり覚えていなかったりするのだが。
「あなた、私の話、聞いていた? 失礼だけど、日本語通じる?」
「何か言ってたのか? 悪い。超美人の彼女を前に頭真っ白で、デートに誘うことに集中しちまった。もし良かったらまた明日、その話してくれるか? 今日はきっと頭に入らない」
だって将臣の頭の中は咲き誇る思春期の花畑にも等しい。
日本語通じない系彼女に日本語通じないと言われる彼氏。さぞお似合いだ、なんて。
「傍目にはまったくそんな動揺している風には見えないけれど……そうね。彼女、ね。それじゃあ、そうしましょうか。デート、それも悪くないわ」
「じゃあ連絡先も交換しよう。LINEでいいか?」
半ば強引にスマホを取り出して招待する。『貴家雲雀』の名前が友だちリストに追加されると、丸々と枠いっぱいを占拠する黒猫の画像アイコンが表示された。
「猫、飼ってんの?」
「ええ。運動不足で太りすぎなところが可愛いの。名前はめんつゆ。黒いから」
「面白いネーミングセンスだなそれ。嫌いじゃないよ、そういうの」
「……そう。ありがとう」
そんな雑談をしながら帰路を進み、やがて来る分かれ道でさよならをする。雲雀は駅方面で夕飯の買い物をしてから帰るそうなので、かつてのアーケード街の入口付近で解散だ。
制服のスカートと艶やかな長髪を翻して去る後姿をぼんやり五秒は眺めて、気持ちを切り替える。噓から始まった恋人ごっこだが、それを噓に戻すか現実に溶かし込むかは、明日次第だろう。
──案外、上手く行ったりして。
そんなことを期待し始めている自分に驚きつつも、どこか舞い上がっているのも事実だ。
本人は変人だと自称するが、思っていたより会話出来る。これはもしかすると、後で啓示に感謝するような事態になるのかもしれない。
ふと、スマホに通知。たった今別れたばかりの雲雀からだ。
期待半分、恐怖半分で表示を覗く。
耳鳴りのような音が、頭の奥で響いている。退屈が去る足音は、こんなにも騒がしいのか。
『また明日ね、楠木くん。──あなた、変わってるわね』
クラスカースト『ザ・凡庸』──二階級特進もやむなしか。
学校一の変人に変人認定されるとは、それはそれは刺激的な夏が始まりそうだった。
罰ゲームで出来た彼女。その言葉を聞いた時、普通は何を思うのかと問われれば。
どうせすぐ別れることになるのだろうな、という予知めいた諦めがあったことを、この時の将臣は否定しない。