「一応身なりを整えようという気持ちはあんのね。加点一。そーゆーフトゥーな感性が残っていたことにあたしは安心するってもんよ。どんな相手かはおいおい聞くとして、やるときゃやるじゃない。見直したわ。だったらそうねー」
おもむろに手を伸ばした妹がうんしょと背伸びをしつつ、手早く髪をセットしてくれる。抵抗しても無駄なので、気持ち頭の高さを下げて、されるがままにいじくり回されておく。どうせ自分がやってもゴキブリなら、それ以下にはならないはずだ。
「うん、ま、お兄そこそこタッパあるんだから、清潔感ある感じにまとめとけばオーケーオーケー。あと服はあれよ、Vネックの白シャツ持ってたじゃん。そそ。首元ダレてないやつ。あれにこの前アウトレットで買ってたサマージャケットでも合わせて。──いや違う七分袖のほう。記憶にないだとバカ兄。ほら、めちゃくちゃ渋ってたのをあたしが見てやったじゃん。え? 暑い? 暑かったら脱ぎゃいいでしょーが。いいのこういうのは持ってっとけば! パンツは……無難にチノパンでいいかなー。シュッとしてればいーよシュッとしてれば。ダボってるのはNG。クソだわクソ。ま、初回から気合入れすぎてもねー。どうせ高校生ごときが夜景の見えるレストランに行くでもなし」
アクセはないからなし。はいよっ! と言われるがままに身なりを整えれば、なるほど、それなりに見違えたような気がする。中三女子がいいと言ってるのだから、まあいいのだろう。
「啓ちゃんみたいなイケメン枠じゃないからここらが限界でしょ。かすかちゃんみたいな奇抜な変化球を投げられるのは才能と実績ある人じゃないと無理なんだから、お兄はオシャレ感じゃなくて清潔感アピール。分かった? 分かったら頷けよ? モリモリ頷けよ?」
一度偶然会っただけの兄の友人達を勝手にちゃん付けするその強心臓はさておき、頷く。
「はいはいサンキュー」
「あと髭剃りと鼻毛チェックと歯磨き。ハンカチ持ってー財布持ってーはい出陣!」
「わーったわーった。んで────何が望みだ、言うてみい」
「ハーゲンダッツ。期間限定の。あたし今月小遣いピンチ! でも暑いしアイス食べたい!」
「はいよ。帰りにスーパーで見繕ってきてやる」
パーン、とハイタッチ。契約成立。専属スタイリストにしては破格の値段と言える。
口は悪いがそれなりに仲良くやっていると、こういう時に頼りになる。妹の貧相な裸なんぞに欲情しようはないが、黙ってさえいればそれなりにいい女になるんじゃないかと身贔屓するくらいには可愛がってもいるのだ。
さて、と気合を入れる。約束の時間は十時に医療大駅前。電車で二駅行けばそれなりに遊ぶスポットがあるので、そこらを散策する予定になっている。
人生初の女子とデートだ。緊張していないと言えば噓になる。たとえ相手が電波系女子と名高い貴家雲雀であってもだ。
むしろ貴家雲雀だから、かもしれない。
あの吸い込まれるような黒瞳を思い出す。自分を変人だと突き放した態度を取りながら、それでもあの瞳はひたすらに真っ直ぐで、そういう瞳をする相手が、考えもなしに適当なことを言うとも思えない。──何の取り柄もない、半端な将臣とは違って。
上手く行けば、恋人。おまけに美人だ。そう思えばやる気を出したって罰は当たらない。
「んじゃ、行ってくる。お前も部活頑張れな。この暑い中屋外で陸上とか正気を疑うけど」
「言われんでもずっと頑張ってきたし。走るの好きだからいいんさ。お兄もフラレんなよ?」
「敏腕スタイリストの手腕を無駄にしないように頑張るよ。次はお前からデート報告でもしてもらいたいもんだな。ま、部活一辺倒じゃしばらくは無理そうだが」
「うわウゼェ。たった一回デートにこぎつけたくらいでプロ気取りかよ。夏の大会終わったら引退して彼氏くらい作るし──ま、俯いてプルプルしてるよりゃマシか。ぐっどらっく!」
兄の威厳を保つため、せいぜい余裕そうな顔をして手をひらひらさせておく。
デート一回で舞い上がって振られているようでは確かにカッコつかない。
妹よりも先駆者として、デート経験値を上げておくに越したことはないのだ。
「言い忘れてたけど、クマ。寝てないのバレバレだから、マッサージして血行良くしとけ。あととにかく笑顔だかんね! お兄、全然目が笑ってない! 三白と淡泊通り越して無だわ!」
本当に、頼りになる妹だった。
楠木将臣はファミレスが好きである。
思い起こせば小学校低学年の頃、偏食が激しかった将臣は、ファミレスならば和洋中どんなものでもその時食べられるものが大体揃っているというシステムにいたく感動し、その魂は偏食がある程度おさまった高校生時分でもさして変わらない。無駄に舌の肥えてきた妹なぞは、久々の外食にファミレスをリクエストした日には強打者を敬遠したピッチャーへのブーイングばりの文句を吐き捨てるが、好きなものは好きなのだ。
現在はどちらかといえばドリンクバー一択による金銭・時間的コストパフォーマンスが重視されがちだが、それなりに区切られたスペースで他愛もない会話をし、気軽に時間を潰せるという環境はなかなか得難いものだと思う。スタバ? ドトール? オサレ語は知りませんね。
まあ例えば付き合いたての高校生カップルなんかが、二人の今後を左右するような、腰を据えた重要な会話をしようというのなら、そこそこリーズナブルなスポットではないだろうかと思う。それが果たしてモテ線なのかどうかについては、将臣からはコメントしかねるところだ。
「いやー参った参った。まさかこんなに暑いとは」
「猛暑日らしいわね。梅雨も終わったから仕方ないけど、運が悪いというか、憂鬱だわ」
クーラーが効いているというだけでそこはもう聖地認知してもいいくらいの外気温。待ち合わせた十時の段階で既に天を仰ぐのも嫌になるくらいだったが、昼を過ぎてより一層殺人的な陽射しが窓の外を貫いている。部活にせよ仕事にせよ、あんな灼熱の世界にわざわざ飛び出していくなんて、およそ正気の沙汰とは思えない。
たったったっ、と小気味良いリズムで走る何年か前の妹の姿を思い出しながら、しかし今日に限っては将臣も同類なので何も言うまい。このクソ暑い中を、わざわざお出かけしにきたというのだ。男女が互いに正気を保ったままでは、デートなぞやってられないのかもしれない。
午前中の主戦場は医療大駅から電車で二駅ほど、沓名駅前にあるショッピングモール。普段はチラ見すらしないティーン女性向けブランドのウィンドウショッピングとか、ファンシー雑貨屋を冷やかすとか、なけなしの陽キャ力強化プランを実行してみた。ちなみにそれらの店のターゲット層とかけ離れた将臣が楽しめる要素は、当然店の中にはほぼ陳列されておらず、唯一買ってもよさそうだと思ったペア物の藍色アウターは、雲雀が『その色は絶対に嫌』と強烈に拒否したため結局戦利品はゼロ。雲雀は雲雀で複雑な細工が施された髪留めを少しの間名残惜しそうに眺めていたが、今つけているものが気に入っているのか、はたまた懐事情によるのか、結局購入しなかった。こっそり値札を見て愕然としたのは秘密である。女子の苦労の片鱗を垣間見た瞬間だった。
とはいえティーン女性でもファンシー趣味でもない将臣にも、収穫がないでもなかった。
「しかし貴家ってホントお嬢様だったのな。まさか入る店入る店貴族の御用達みたいな値段の服とかばっかりだったじゃん。普段からあんなの買ってんの?」
「まさか。そんなことをしていたらあっという間に所持金が尽きるわよ。普段から足繁く通っては貼り付くように眺めて、ここぞという時に本気の一着を選ぶだけよ」
その一着を買えることが凄いのだが、そのあたりの感覚は将臣とは違うのだろう。安さで数を揃えるのが買い物という将臣の認識が覆ることはそうそうない。
「じゃあ、今着てるそれは本気の一着達を厳選した結果なわけだ。男冥利に尽きるね」
「そうね。初デートだもの。着飾っていかなければ失礼だから。それなりに鏡の前で悩んだりしたのよ。堪能なさい? なんてね」