未解決交通事故の続報特集。被害者家族の悲痛な訴えとともに、後遺症のリハビリに励む姿なぞが載せられている。将臣も高校に入る直前に車に轢かれて入院したことがあるので、まったく嫌な気分になるニュースだった。時期的にはこの特集に将臣のアホ面が掲載されていてもおかしくないが、生憎将臣の場合加害者が轢き逃げはしなかったので危うくセーフ。いや、将臣的には人生観を根底からひっくり返された事件でもあるので、余裕のアウトなのだが。
「──痛っ」
急にスマホを操作する右手の甲あたりに痛みを覚え、一瞬取り落としそうになったのを慌ててキャッチする。交通事故のことなんか考えたせいで消えた古傷が痛んだか、あるいはデート中に店の尖った部分にでも引っ掛けたか、と思いながら痛む箇所を確認しようとスマホから目を離したその時だった。
「ん……」
直接脳を揺さぶるような色気の吐息にドキリとして目をやれば、丁度のタイミングで雲雀が突っ伏していた頭を起こすところだった。
スマホのデジタル表示を見ると十一分が経過している。大体予定通りということだろうか。
雲雀は迷子のように頭と目線をあちこちに飛ばしてから、何とか将臣に焦点を合わせ、半ば苦笑気味に頰を緩めた。
「ダイブ明けはどうも感覚が整わなくていけないわね。寝起きみたいで恥ずかしいわ」
「ゲーム廃人みたいなこと言うなよ。そして実際寝起きみたいなもんだろ」
「それと……これ、ありがとう。おかげで冷えずに済んだわ」
雲雀からサマージャケットを受け取る。冷房を受けてなお暑いくらいだった将臣が苦肉の策レベルで寝て(?)いる雲雀の肩にかけておいたのだが、好印象だったようだ。暑ければ脱げばいいんだから持っていけ、という日向のアドバイスに感謝しつつ、持ち帰るハーゲンダッツを二個にしてやろうと思う。
「それで、これで何がわかるんだ?」
「私、世界を救っているって言ったのを覚えている?」
つい昨日のことだ、忘れているはずもない。
雲雀に罰ゲームの告白をしようとした時、確かにそんなことを言っていた。
「精神界で、あなたに傷をつけたわ」
こう、とテーブルの端によけてあったカトラリーの中からナイフを取り出して、実演している。大体腕から手の先あたりにかけてをスパっとやるような塩梅だ。
「精神界と物質界は密接に繫がっている。だからこちらかあちらで肉体や精神に負った感覚やダメージは反対側の世界にも影響を与える。あなたにしてみれば、精神を斬られた、ということが肉体に何らかの影響を与えたはずよ。どこか痛みを覚えたところはない?」
痛み。覚えはもちろんあるに決まっていた。
慌てて右手の甲を見る。そこには長さ四センチほどのミミズ腫れのような跡がくっきりと浮かび上がっていた。血こそ出ていないが、そこには確かに怪我の名残がある。
まじまじと検分するかのような面持ちでその『傷跡』を見つめる。痛みは最初だけだったが、気味が悪いのは確かだ。ちょっとした擦り傷ならまだしも、こんな火傷の跡みたいなものが残る怪我はもちろん記憶にない。
それはつまり、雲雀の精神界での影響が、将臣の手に現れたということで──
「いやでも待てよ。君は精神界に行けるが、俺は行けないはずだろ。何で向こうにいないはずの俺を斬れるんだよ。それにさっきの仕草じゃ、こんなレベルじゃなくて俺はばっさりやられてるんだろ? それにしちゃ軽傷っていうか……いや、重傷なんて負いたくはないけど」
「ヒトの精神は深層域で共振している、というのが私の知るダイバーの見解。だから、精神界にはダイブしていなくても、そこにヒトの意識が存在しているのよ。ダイバーはれっきとしたプレイヤーキャラ、その他のヒトはNPC、みたいな差はあれど、ね。さらにあなたは〝ガーディアン〟になったから、私の意識と繫がりが強くなった。だから向こうでの影響が大きくなった。たぶん、そんなところ」
NPCだって、ズタズタに引き裂くくらいすれば物質界に影響を与えられるけど、と恐ろしいことを真剣に話す女子高生が目の前にいる。
「〝ガーディアン〟は救世者と対になる存在で、ゲームで言えば、式神とか召喚獣とか、そういう立ち位置のお助けキャラ。精神離脱者は物質界の誰でもを〝ガーディアン〟にして精神界で召喚することが出来るわ。経験上、常時〝ガーディアン〟に出来るのは一人だけだけど、別に彼氏でなくてもいいわ」
お前である必要はない、と将臣は言外に突き放されているような気がした。
「〝ガーディアン〟に選ばれた人はNPCよりも強固に精神体を複製して向こう側に配置される。私達と違ってこちらの『本体』が動けるのはそのせい。ただ、この通り向こうで〝ガーディアン〟の身に何かあればこちらでもそれなりの実害が出てしまう。だから余程信頼できる相手か、」
そこで一旦言葉を区切り、どこか試すような口調で、
「余程自分にとってどうでもいい相手かを選ぶのが普通よ。文字通り火の粉から身を守る盾にしても気にしないくらいの、素性さえも知らない赤の他人なんかをね」
精神界で救世者とやらが具体的にどんな活動をして何をしているのかは、簡単に説明されただけではよく分からない。
だが少なくとも何らかの怪我や傷を負うようなことをしているわけで、そしてそれは〝ガーディアン〟とやらも例外でなく、そのことを雲雀は当然自覚している。
それでなお、彼女は将臣を〝ガーディアン〟に選んだ、ということだ。
「身を守る盾……〝ガーディアン〟ってそういうことかよ」
「物質界に返る反動の大きさは人それぞれだから、ほとんど同じ程度の怪我を負う人もいるし、かなり過小になる場合もある。当人同士の精神的な繫がり度合いによるという話もあるわ。どうであれ、後者の方が『長持ちする』という意味では、優秀な〝ガーディアン〟と言えるでしょうね。あなたの場合は……まあ、今のところやや優秀というところかしら」
「とんでもないことを説明してるってのに、冷静すぎないか」
「これまでの経験上だけど、真面目にそんなことを考えているあなたも大概よ。それに噓だと思うならもう一度実演しても構わないわ。次は逆の手がいいかしら?」
瞳を一ミリも逸らさずにそんなことを平気で言ってのける。
生唾をごくりと飲み込んだ。
これまでに雲雀が散々受けたであろう、疑問とも糾弾ともつかぬ言葉がいくつか浮かんだ。本音を言えば、もう半分は飛び出しそうになっていたと言ってもいい。
にもかかわらず、それらはかろうじて苦い生唾と共に飲み干した。流れていく言葉の熱さと重さは途方もなく、スイーツ特集などよりもよっぽど胸の焼ける思いがする。
将臣は自分で思っている以上に冷静だった。上着を脱いで涼しくなったせいか、あるいはニュースを読んで多少客観的な視点に切り替わっていたせいかもしれない。
──履き違えちゃ、いけない。
証明しろと言ったのは将臣自身だ。雲雀は何度だって将臣に『終わらせる』機会を与えていたのに、それを頑なに拒んだのだ。それをちょっと自分に害があったからといって文句をつけるなど、普通、男の沽券はそんなに安いものじゃない。
もっと考えるべきことはある。精神界で将臣を傷つけたら、実際に将臣の身体に傷がついた。タイミングとしては疑いようもない。ならば雲雀が言っていることは電波的であっても、まったくの事実ということだ。
こんなに噓じみた現象が、彼女にとっての事実ということなのだ。
雲雀の表情は変わらない。昨日の放課後から今日に至るまで、何度か見せたあの顔だ。微笑の下に佇む『諦め』と『終わり』の気配。せっかく打ち解けてきたと思ったのに、そうやって将臣を突き放すのだ。
どうせあなたも同じでしょう──と。