サンバカ!!!

第一章 巨大な亀は車を食う ⑥

 その言葉通りの事が起きる。四肢が落ちるドサリという重い音、内臓がたたきつけられるドチャリという水気を含んだ音、そして細かい骨たちが時間差でさながら雨の様に降り注ぐからからという軽い音。人体を構成する大半を突如奪われたガガカはその衝撃に耐えられず、くしゃりとまるで紙細工の様に潰れてしまった。そんなガガカの体のパーツがかなでる合奏の中で、イグニスは笑っていた。しくてたまらないとばかりにわらっていた。


「やめてくれ。イグニス」


 うっとりとわらい続けるイグニスの腕を、震える手でつかんで止めたのは誰あろう、ネモだった。このままだとイグニスという存在そのものが怪物になってしまう様な、自分の知っているイグニス・ファルフレーンではなくなってしまう様な、そんな危機感に突き動かされての行動だった。


「邪魔をするなよ。名無しのネモ」


 しかし、そんなネモの制止だというのにイグニスはいまだ怪物のまま口からタールを吐くのを止めようとはしなかった。

 ネモはもう限界だった。なので、考えるのをやめた。「ふぅ」とため息を一つつき、思いっきりイグニスの顔面を殴り飛ばした。固く拳を握りしめて。


「うキャ!?」


 あまりに意外な行動に奇声をあげて吹っ飛ばされる化物もといイグニス。ネモはついでとばかりにイグニスの手から〝聖女の契約書〟を奪い取った。


「おうおう! おめーよぉ! さっきから見てりゃ、やり口がキモい上に陰湿なんだよ! さっさとガガカの体を元に戻せや! 戻せねーんだったらぶん殴るぞ!」


 とりあえず口を開いた。どうしようなどと考えてはいなかった。この先の展望など、何もなかった。


もちろん戻せますよ。九十九に別たれた力のたった一枚分ですからね、数分で何事もなかったかのように元に戻るでしょう。だから早くあの女獣人の心臓をぷかぷか浮かせて、この足でゴキブリのように踏み潰してやらないといけないのですが?」

「テメェ自分が何言ってんのか分かってんのか」

「ネ……モ……」


 ふと、ガガカの声がした。見ると雨のように降らされた臓器の内の舌が近くまで転がってきていた。


「舌だけでしやべれんのかよガガカ……いよいよ何でもありだな」

「う……るせえ…………一……般…………人は……下……がっ……て…………ろ」


 そのセリフにネモはカチンときた。脳がグラグラと沸騰し、血管がブチブチと音を立てて切れる音が聞こえる気がした。しかし「一般人」。そうだ、ネモの現状はその程度だ。だからこそ、一般人がこの場に介入できる唯一の事、口八丁によって、この場を全力でうやむやにすると、ネモは決心した。イグニスが怪物になってしまう前に、イグニスが怪物にしか見えなくなる前に。稼ぐ時間は、たった数分。


「一般人で悪かったなぁ!」


 そのままイグニスにつかみかかった両手でネモはイグニスをぶん投げた。特に意味はなかった。投げ飛ばされたイグニスが怒りをたたえた瞳でネモに詰め寄る。


「死にたいんですか? 名無しのネモ。これはお前程度のチンピラが関わっていい領域じゃあないんですよ。数千年を生き、卑劣にも力を奪われた聖女の今現在唯一の夢をおびやかす者を……」

「名無し名無しうっせぇなぁ!」


 ぐいと、ネモは詰め寄って来たイグニスの胸倉をつかむ。


「確かに俺は名無しのチンピラだよ! おまけに一般人だよ! だけどよぉ!」


 すうとネモは思い切り息を吸い込んだ。先程何も考えずにイグニスをぶん投げた時と同じように次に自分の口から飛び出てくる言葉が一体何なのか、ネモにも分かっていなかった。


「俺はお前の恋人だ!」

「「は?」」


 あまりに意外な単語に、地面にあったガガカの舌も胸倉をつかまれたイグニスも素っ頓狂な声を上げた。だが、一番その声を上げたかったのは間違いなくネモ本人だった。


「お前が言ったんだぞ! お前は俺の恋人だって! なら逆もしかりじゃねーのかよ!」


 地面をビタビタといまわるガガカの舌が割って入る。


「あれは……イグニスの冗談……」

「分かってるよぉ! あれがイグニスの性質の悪い冗談だってことくらい! でもあの瞬間確かにネモ……以下甲と呼びますね……を、イグニス……以下乙と呼びますね……は恋人と認めた訳であります! さらに甲はれっぽい男なのでその瞬間にれました! はい! わたくしその瞬間にれました! 乙が甲を恋人と認め、甲は乙に対して恋愛感情を抱いている! この瞬間に恋人関係は成立したんです! そういうシステムになっております!」

「お前は一体……何を言っているんだ……?」


 あきれたというより理解不能な何か恐ろしいものを見る声でガガカの舌が問いかけて来る。ネモは「こっちが聞きてーよ!」と怒鳴り返したいのを堪えて更に言葉を続ける。全てはこの場をうやむやにするために。


「はい! めでたく恋人関係が締結された両者でありますが、現在に至るまでそれが継続しているか、という部分は審議せざるを得ないでしょう! ここで見逃せないのは乙が一度絶命しているという点でしょうねぇ! 陪審員のガガカさん! の舌!」

「あ、ああ、まぁ……」

「さて、甲乙どちらかの絶命をもって恋人関係が解消されるという解釈であれば現在それは解消されていると言っていいでしょう! しかし婚姻関係ならいざ知らず、恋愛関係においてそれは適用されるのか! どうでしょう陪審員のガガカさぁん! の舌!」

「知らねーよ! 何が言いたいんだテメェは!」


 時間経過で、どんどんガガカのしやべりがよくなっている。みるとガガカの舌はまるで磁石に引き寄せられるように着々と再生を続けているガガカ本体の口内に吸い込まれていく途中であった。


「創作物などではくなった恋人にみさおを立て、以後異性との付き合いをしないといったキャラクターなどが違和感なく受け入れられております。現実にだって、失った恋人が忘れられなくてといった言葉はよく耳にします。以上のことから恋人関係は片方がくなった際、生き残った他方が解消を望まない限り継続すると言えるのではないでしょうか! ……言えますね! この判例により、生き残った側の甲、ネモさんに伺いましょう! 貴方あなたは乙が死んだときに恋人関係の解消を望みましたか!?」

「いいえ全く……グスッ。この命尽きるまで彼女のことを生涯の恋人として生きていこうと心に決める程でした(ネモ裏声)」

「一人二役してんじゃねぇ!」


 口内に戻ったガガカの舌のツッコミを無視してネモは続ける。


「聞きましたでしょうか! 彼の悲痛な叫びを! 彼の愛情あふれる涙は甲と乙は恋人関係なのか、そしてそれは今に至るまで継続中であるのかといった審議への完璧な答えであると思うのですが裁判長!」

「裁判長誰だよ!」

「いやぁ、深く感動しました。ここにネモとイグニスの恋人関係、そしてそれが現在も継続中であることを認めます(ネモ野太い声)」

「裁判長もお前かよ!」

「ハァハァ……つまり、俺は……イグニス・ファルフレーンの恋人だああああああああ!!!!」


 沈黙、あまりにも重い沈黙。ネモの茶番はウケたのか滑ったのか。違うそうではない、イグニスが自らを怪物にしてしまう様な怒りを、ネモのこんしんの茶番で台無しにできたのかという判定の時間。この判定をする陪審員までは流石さすがのネモも兼任できない。


「ネモくんは結局何が言いたいんですか?」


 イグニスが重い重い口を開いて言った。


「だから……恋人として、俺が好きになったいつものイグニスに戻ってくれって言いたいんだよ。あんな怪物みたいなのはいつものイグニスじゃねーよ」


 我ながら子供の駄々と変わらないなとネモは思った。


「……ネモくんと私は出会って三ヶ月程度の付き合いしかなくて、ネモくんの知らない数千年があるわけなんですが……」

「知らねぇよそんなの。俺にとっちゃこの三ヶ月のイグニスがイグニスだ」

「ふふっ、そうですか」

「ああそうだよ。恋に時間は関係ねぇんだ。畜生」

「ふふふ、ぷっぷぷっ! あはは! あはは! はははははは!」


 イグニスは大口をあげて笑い始めた。ちやちやな事を言うネモにあきれたのか、はたまたさっきまでのシリアスな空気が霧散してしまった事へのおかしさなのか、それとも全然別の理由からか、とにかくイグニスの笑いは止まらなかった。そしてその姿に、怪物の様な迫力はもうみじんも残されていなかった。ネモの茶番はどうにか成功したようだった。


「自分でやった事だが、一体どういう状況なんだこれ」


 ふぅとため息をつきながら煙草たばこくわえ、マッチを擦り紫煙を吐き出すネモ。

 いつの間にかネモの背後に立っていた体のパーツが元に戻ったガガカがネモの肩に手をポンと置いた。


「まあなんだ……末永くお幸せに」

「今それは絶対に違うと思う」


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