妖精の物理学 ―PHysics PHenomenon PHantom―

一章「神戸グラビティバウンド──Reverse city──」 ②

「コレ置いてた場所どう見ても食品コーナーじゃなかっただろ! 俺の家の食卓には少なくとも錠剤とかプロテインは並んでないからな!」


 正しいものを持ってきたレヴィは、んぎぎぎぎと精一杯の力を込めて開封し、カップへと流し込む。

 釜をかき混ぜる魔女よろしく、全身を使ってスプーンで砂糖とミルクを溶かしこんだ。


「カナエさまっ、準備完了です」


 広いとは言えないリビングの中央に置かれた二人掛けテーブル。

 テーブル上に立つレヴィと、カナエは対面する形で座る。

 さっきまでただのスポンジだったものは、店頭に並べられていても遜色のないくらいに鮮やかなケーキへとデコレーションされていた。

 紅茶だって、どこの会社のきゆう係よりもれているはずだ。

 なのに、レヴィは不満そうな表情をしていた。


「どうしたんだ? よくできてるじゃん」

「……わたしにもっとできることがあればいいなっ、って思ってました」


 カナエはケーキにフォークを突き立てて、所在なげにもじもじとするレヴィを見やる。


「熱量操作能力があればっ、ケーキをから作れます。重力操作能力があれば、調理器具を使うことができます、カップだって運べるし、紅茶だって一人でブレンドできるかもですっ」

「ケーキ作ったりしてるじゃん。よく劇物混ぜたりするけど」

はだいたい市販ですっ。それに包丁やオーブンを使う時はいつもカナエさまに頼ってばっかりです。わたしは、あるじさまに使われるべき『現象妖精フエアリー』なのにっ、何の能力も……」


 レヴィの目元が潤みだす。

 あふれた涙は、瞳の中の星すらも流してしまうようで。


「いたっ」


 カナエはレヴィにまたデコピンした。スプーンにケーキの欠片かけらせて、レヴィに差し出す。


「ウジウジするなよ、泣き虫妖精。お前は涙をつかさどる能力でも持ってるのか」


 レヴィは口いっぱいに頰張りながら、すぐにみをかべてみせた。


「はむっ。カナエさまっ、ありがとうです」


 今度は使い終わったフレッシュ容器の一つに、カナエは紅茶を装ってレヴィに手渡す。


「この前俺が代わりに朝食作っただろ。少なくともその時の俺はこんなにわいくケーキデコれなかったし、ティーバッグの紅茶だってただの苦い汁に生まれ変わったぞ。だから誇っていい」

「わたしはもっとカナエさまをお世話したいですっ! パーフェクツなメイドみたいにっ!」

「じゃあめっちゃ寝ろ。寝て大きくなったら調理でも何でもできる」

「またそれですかぁ! 次こそはカナエさまに起こされないようにしますからねっ!」


 お互い口元にケーキをつけながら、ケラケラと笑い合う。実になごやかな朝食風景であった。


 ──ピピピピピピピピ。

 ベッドの枕元に置いたスマートフォンから、デフォルトの着信音がこだました。

 おそるおそるカナエはそれを手に取り応対する。


「ノゾミ先生、あのこれは──」


 有無を言わせない返す刀が、スピーカーから部屋中に響き渡った。



『──カナエ君、今日こそは学校に来いとワタシは言ったはずだが何をしている? もしかして寝坊してレヴィ君とイチャついた後そのままバックれて休日をおうするつもりか?』

「エスパーか何かですか」

『科学の先生らしくお手製の盗聴器を君の家に仕掛けておいた』

「全国の科学の先生は盗聴器なんて作りません!」

『簡単な推察だよ。この時間までカナエ君は学校に来ていないが、電話にはすぐに出てこわいろは異常なし。つまり寝坊やワタシの仮定は外れて、日頃の行いからサボってるとしか思えない』

「推察でもなくただのこじつけだけど言い返せない……。ちなみにその仮定ってのは何です?」

『レヴィ君による素敵ブレンドのしい紅茶でカナエ君がトイレとお友達だった場合』

「やっぱり仕掛けてるでしょ! Gメン的なの部屋に呼んでいいですか!?」

『いや、昨日レヴィ君がれてくれた紅茶から異臭がしたので、成分分析に回したら市販の下剤に使われているアントラキノンなどが検出されてね』

「なんてもんを持ち歩いてるんだ俺まで勘違いされるだろうが!」

「びゃあノゾミさんごめんなさいぃいぃい!」

『レヴィ君はあのはいたにえんですら発見し得なかった便通をつかさどる妖精なのかもしれない』

「割と実用的だけど物理学一切関係ねえ!」

「わたしにも新たな力が!?」


 繰り返し頭を下げて謝罪し倒していたレヴィは、ガバッと顔を上げて目をキラキラとさせた。


「現金なやつだなお前」

『うん? レヴィ君はなんて言ってるんだ?』

「チッ、飲んだら一キロはダイエットできたのに」

「そんなことは言ってませんっ」

『二キロほど瘦せたよありがとう』

「飲んだんすか! 異臭したってさっき言ってましたよね!」

『まあそんなことはどうでもいい』

「あ、はあ」

「カナエ君は結局今週も、いや、今月も来ないつもりなのか? 土曜日だけ一度も出席していないじゃないか。一学期の間、そして二学期に入って二週間目の今も』

「国民の休日はきっちりおうしたいんです、たぶん……」

『休日出勤している社会人をめているのか?』

「すいません」

『君が何を考えてボイコットしているのかはどうでもいい。いいな、八時四〇分までに来い』



 通話が途切れた。

 カナエは携帯をベッドに放り投げて、飲みかけのカップにまた口を付けた。


「カナエさま、もしかしてその紅茶おいしくないですか?」

「いいや違うんだレヴィ。これは苦虫をみ潰したような表情って言うんだよ」

「ひえっ! 虫まで入れちゃいましたかわたしっ!?」

「ちっげーよモノのたとえだ!」


 はあ、とためいきをついてからレヴィに状況を説明した。


「今日遅刻したらマズイってことですか? あとかんどころ巡りもなし……。でもちゃんと行きましょうカナエさまっ! そもそもなんで土曜ばっかりサボられるのですか?」

「行きたくねえんだよ、あの授業。ほら、なんていうか、苦手科目っていうか?」


 カナエは適当な調子でうそぶきながら、ケーキをれいにさらえてゆく。


「カナエさまが……学校を退学になったらわたしも悲しいですっ。一緒に頑張りましょう!」

「時間的に無理だな」

「またわたしのせいで……ううぅ……」

「だーかーらー、泣き虫妖精になるのやめろ。まだ便秘妖精の方がマシだ」


 すっ、とカナエはレヴィに半分ほど紅茶が残ったカップを差し出した。


「砂糖追加してくれ。あの棒のやつ、ちゃんと砂糖でな」


 レヴィはすぐに動いてくれるかと思えたが、ブツブツとつぶやきながら珍しく思案にふけっていた。


「棒のやつ、棒のやつ…………。はっ、カナエさまっ! まだ間に合う方法がありますっ!」


+++++


「おいレヴィ、どうやったら間に合うんだこれ?」

「カナエさまっ、ベッドに携帯をお忘れですよっ」

「お、おう。ありがと」


 カナエは玄関に出ていた。

 レヴィはカナエが背負うリュックの中に、携帯と一緒に入り込む。

 その後、開け口からひょっこりと頭だけ出した。

 カナエは玄関の鍵を閉めつつ、ふと横目で塀に囲まれた小庭を見やると、思わず顔をしかめてしまうような植物を見つけてしまった。

 天に向かって直立する緑色の厄介物──


「サトウキビまた咲いてるよ……」


 ──『現象妖精フエアリー』が現れてから、あまいものに関連する産業全般が世界規模で発展した。

 その内の一つとして、砂糖の原材料であるサトウキビの品種改良が行われ、いかなる天候下においても成長が可能な全天候対応型のものが生み出された。

 雑草とまがうほどのきようじんさをもったサトウキビは、今まさに雑草の如くあらゆる地域のみちばたに咲いてしまっていた。

 たとえるなら湖に巣くう外来種。

 可食であっても食べる気は起きず、ならば何の恩恵もない。


「この前刈ったはずなんだけど見過ごしてたのかなあ……。お前食う?」

「絶対に嫌ですっ! 『現象妖精フエアリー』はとってもグルメなんですよっ!? わたしはカナエさまのせいでスイーツの味を覚えてしまったんです。いまさら、糖分だけとか耐えられませんっ……」

「冗談だって」

みちばたに咲いたサトウキビを食べるなんて正気の沙汰じゃありませんっ。いくらわたしの大好きなカナエさまであっても、そんなことを言われたらとってもぷんすかぷんぷんですよっ!?」

「すげえ怒ってるな! わるいわるい」

「三ツ星おフランス洋菓子店『ルネ・ベルモンド』のいちご尽くしケーキで許してあげますっ」

「ちゃっかりしすぎだろ! ……いいよ、また今度な」

「わーい! 棚から高級ぼた餅ですっ!」

「で、話戻していいか? 高校まで四〇分掛かるのにあと二五分でどうするんだよ」

「わたしにお任せあれっ! まずはこの道を左に走ってくださいっ!」


 しぶしぶ言われたとおりに、カナエは歩道を駆け出そうとして、足が止まる。


「いやちょっと待て。これ反対方向じゃねえか、右だろ?」

「いいえっ、左です!」


 カナエは後ろを振り向く。


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