扉の外

第1章 ④

 紀之は思った。マップはさらに広いのではと。この見えている範囲は、配置したスペードのさくてき範囲なのだ。だから、今はこのエリアしか見えていない。だから、何だということはないが。


「ねえ、君。あなたブレスレットは?」


 振り向くと、和泉いずみがじっと紀之の左腕を見つめていた。暗がりの中、画面の光を反射し二つのひとみてんめつしているように見える。


「別に」


 紀之は画面に視線を戻した。


「ブレスレットはどうしたの。おかしいと思っていたの。このクラスは三十一人のはずなのに、ソフィアは三十人だと言っていた。画面のハートマークの下の数値も三十だわ。ねえ、ブレスレットはどうしたの?」

「外した」


 和泉のかいにゆうにうんざりとして紀之は返答した。


何故なぜ? ほかの皆は着けているわ」

「着けている必要があるのか?」

「こんな特異な状況で、何故足並みを乱すの?」

「おまえは、さっきちょっとしたイベントみたいなこと言ってなかったか?」


 紀之は横目で和泉を見た。


「ちょっとしたイベントのわけないわ。こんな大掛かりなシステムを作って。何かが起こっている。それが戦争だかなんだかは分からないけど。こんな状況にそうぐうしたら、宇宙船の可能性だって考える」


 和泉は声のトーンを落として言った。


「宇宙に来たっていうのか。夢のある話だな」

「私は現実を見ているわ。夢を見ているのはあなたのほうよ。すぐにこの状況から抜け出せるとは限らないじゃない」

「だとしてもおまえに関係あるのか。おれが、腕輪を着けているか外すかに」


 のりゆき和泉いずみに向き直りにらみつけた。関係ないではないか。人は人、自分は自分で判断すればいいのだ。勝手に二年四組というサークルとしてくくられているようで気分が悪い。


かんちがいしないでね。私は本当はあなたと口も利きたくないのよ」


 和泉は周囲をちらちらとうかがいながら、制御したような口調で言う。


君は、いつもそうだったわ。合唱コンクールの練習にもこなかったし、ホームルームの話し合いにも意見を言うこともなく、ただ、クラスの足並みを乱していた」

「そんな学校生活のさいな出来事が、今関係あるのか? こんな時に言うなよ。その時に文句言えばいいじゃんか。こんな時でも優等生クラス委員長かよ」

「こんな時だから言うのよ。あなたがクラスの足並みを乱しても、私はどうでもよかったわ。かかわりあう必要がなかったもの。でもこの状況は違う。密室にクラスメイトが閉じ込められている状況よ」

「何が言いたいんだ?」

「ここは閉ざされた小さな国。そんな中で、足並みを乱す人間がいたら、皆が困るということよ。すでに勝手な行動を取っているあなたは、このコミュニティーのバグだわ」

「おまえ、いいかげんにしろよ」


 紀之は和泉と睨み合った。


「なんだよ、雰囲気悪いな」


 けんあくな二人の空気を察したむろが割り込んでくる。見ると、いつのまにか周囲の生徒が、じっといを見つめていた。


「どうした千葉」

「何でもないよ。これが突っかかってきやがって」


 紀之は肩をすくめた。


「よそうぜ、こんな時にさ。どうせ、もしかしたら俺たちの行動をテレビカメラで観察して、教師が今ごろ点数をつけてるかもしれない。和泉さんも成績に響くぞ」


 氷室がにやにや笑いながら言った。


「そうよね。ごめんなさい」


 和泉は素直に謝り、部屋の中央付近のシートに腰を下ろした。


「珍しいな、千葉と和泉が会話してるなんて」


 氷室が耳打ちをしてきた。


「あっちから突っかかってきたのは本当なんだよ」


 のりゆきは生徒の視線を避けるよう画面を見ながら答えた。


「何で? あの子、そんなキャラだったっけ?」


 むろもじっと目の前の画面を見ている。

 隣に立つ氷室の体はがっしりとしており、スポーツマンらしく髪も短く刈っていた。紀之と氷室は同じ中学で、クラスは違ったが三年間陸上部でいつしよに活動をしていた。なので、クラス内で氷室との会話は多いほうだ。


「これにいちゃもんをつけてきた」


 紀之は左腕を見せた。


「腕輪は?」

「外した。気味悪いコンピューターに従ってられるかよ」

「外したのか」


 氷室は顔をしかめた。


「そんなの外せよ」


 紀之は氷室の手首の腕輪を見た。


「でもなあ」

「何だよ、おまえまでこの話を信じてるのか?」

「あまりにじんじようじゃない設備だからなあ」


 氷室はにがい表情で室内を見まわした。氷室はいつのまにか、室内の設備を確認していたようだ。

 この状態の説明がつかなかった初期とは違い、生徒たちは表情はかたいものの周囲を観察するゆうが出てきている。鹿げた宇宙船説でも、何も説明がないよりはマシなようだ。

 紀之はそんな生徒をクールに見つめていた。自己判断力の欠ける人間たち。テンプレート通りにしか行動できない。プリントを渡され、それをただめることしかできやしない。だから、この状況でもただ流れに身を任せる。それだけしかできないのだ。確かにこんな人間たちだったら、密室でも管理できるかもしれない。


おれはこんなところから出ていってやる」


 紀之はそう言い、改めて室内を観察することにした。

 目の前には画面があり、その左横には自動販売機。右横には水飲みタンクのようなものが二つある。片方のタンクのペダルを押してみると水が出た。飲めるか分からないので口はつけない。

 もうひとつのタンクはじやぐちがついており、ひねるとどろりとしたゼリー状の物が垂れ落ちた。受け口に穴が空いており、ゼリー状の物体はそのまま流れていく。口に入れてよい物なのだろうか。

 左側の壁には三十センチ四方の取っ手付きのふたが三つ並んでいる。その蓋にはダストシュートとプレートがられていた。

 のりゆきは逆サイドの壁際に移動した。この壁には出口らしき扉があるのだ。冷たい鉄の扉に、丸いハンドルのようなものがくくりつけてある。ハンドルをさわってみたが、今は全く動かない。

 紀之は息をいて部屋に視線を戻した。黒いカラーのリクライニング式のシートがずらりと並んでいる。横に八個が四列、合計三十二個のシートがある。クラスメイトは何グループかに分かれて固まっている。この状況についての会話をしているようだが、結論がでることはないだろう。


「外に出ないほうがいいだろ。何があるか分からないしさ」


 むろはそう言った。


おれらは閉じ込められてるんだな。シェルターになんさせたと言葉を変えているだけで、実際は密室に押し込まれているだけだ」


 紀之は自分で言って、とつじよに襲われた。この密室に閉じ込められている現実がもたれたのだ。


「それは言っちゃだ」


 同じく不快な気分になったらしい氷室が首を振った。おりの中にいるか外にいるか。これは目をらしたほうがよい現実だ。


「トイレに行ってくる」


 紀之は氷室に言い、壁際を移動し部屋の後方へと向かった。

 後には扉が二つある。この扉は開くのだ。

 片方を開けると、こぢんまりとしたシャワー室がある。シャワーが三つばかり並んでいるのだが、じやぐちをひねっても水もお湯も出てこなかった。

 もう片方の扉の中はトイレだった。男性用の小用便器が一つあり、その奥に個室が二つある。

 紀之は小用便器で用を足してからボタンを押して水を流す。薬でも混じっているのか、塩っぽいにおいがした。

 紀之はトイレから出て一息ついた。改めて見ると、本当にシェルターだ。