扉の外

第1章 ⑤

 前方の時計を確認すると、四時を過ぎたばかりだ。紀之は目の前のシートを見る。シートの背もたれの裏側の網には、ビニールに入ったコップや歯ブラシ、タオルがある。紀之はそれを手に取り、中のタオルを手にとってからシートに座った。

 背もたれはリクライニングができ、クッションは意外に心地よかった。このまま目を閉じ眠りにつき、目覚めた時はいつもの自宅のベッドにいるかもしれない。

 しかし、紀之はそう望んでいるわけではなかった。同じだ。あの家で管理されて生活を送るのも、こうして密室で管理されるのも全く同じなのだ。

 この状況は、いつもとおりだ。

 紀之は目を閉じ、いつのまにか眠りについていた。


「さて、十二時になりましたね」


 のりゆきは部屋の一番後ろ端のシートの上で目を覚ました。状況は変わってはいなかった。同じ場所で同じ状況だ。

 前方を見ると、画面にソフィアが表示されている。あの目と口だけのキャラクターが声を出したのだ。

 生徒たちは、変わらず数組に分かれて固まり、画面のソフィアをぎようしている。まるでソフィアを待っていたかのようだ。指示を待っているのだ。この状況で、だれかが指示をくれることを望んでいる。


「画面を見てください。収入がありましたね」


 画面にはマップとトランプマークが変わらず表示されていたが、数値に変化があった。ダイヤマークの数値が三十となっている。十二時になったので、ハートの数だけダイヤが支給された、という表現でよいのだろうか。


「ダイヤはお金です。何に使うかはあなた方の自由です。使い方を説明しておきましょう」


 画面いっぱいにクラブのマークが表示され、フェードアウトした。その後、大量の文字列がスクロールしていく。それらは横の自動販売機の商品名と、購入に必要なカードの枚数だった。


「クラブは食料や生活用品などを表現しています。もちろんダイヤで購入可能です。購入の際は、画面のクラブマークを直接タッチして購入数を決定します。ダイヤ一ポイントにつき、クラブはカードとして人数分支給されます。そのカードは左横の販売機、またシャワー室で使うことができます」


 カードとは、このシェルターにおける金のようなものなのか。紀之は体を起こして、じっとソフィアの言葉を聞いた。


「カードを何に使うかは各自の自由です。ただ、カードを使用しなくても、最低限の水と食料は得ることが可能です。右横の二つのタンクには、飲料水とカロリーゼリーが入っています。一日の使用制限はありますが、普通に使えばなくなる心配はありません」


 紀之は横の二つのタンクを見た。先ほどのどろりとしたゼリー状の物体は食料だったのだ。


「ダイヤでもうひとつ購入可能なものがあります。それはスペードです。スペードは十ポイントで一つ購入が可能です」


 画面にはスペードのマークが表示された。ブルーカラーのスペードは数を増やし画面をくしていく。それは紀之の目に、ぞうしよくするウイルスのように映り不快感を覚えた。

 スペードとはマップの上に表示されたマークのことだ。あれはいまだに使い方を理解しきれていない。スペードを中心に五マスを確認することができる。分かっているのはそれだけだ。すでに一つあるので、それだけで充分なのではないか。

 紀之はぱりぱりに乾いていた唇をゆがめて笑った。いつの間にかソフィアに従い、今後の行動を考える自分がいる。人間とは、支配されたい生き物なのではと思う。冷たい宇宙空間に存在する自分から目をらすために、他の存在の支配を受け入れる。

 だから、家族というサークルが構成され、それが町というサークルになり、国となり、世界となる。

 ここも、ひとつの国である。のりゆきは薄暗い室内を見て感じた。


「スペードはマップ上で直接タッチをして動かすことができます。十二時になるごとに、すべてのスペードを一回ずつ動かせます。動かさなくてもかまいません」


 ささくれのような違和感を覚える。

 ソフィアは妙にスペードの説明に時間をいている。実際、スペードはなくてもよいのではと思う。マップさえも、何のためにあるのか分からない。それなのに、何故なぜここまでスペードをていねいにフォローするのだろうか。


「最後に、ひとつだけ。ここではあなた方は平等で自由です。あなた方は、ここに閉じ込められているわけではありません。出たければ、外に出ることは可能です」


 画面は、ソフィアの顔に戻った。紀之はその言葉に反応して画面をぎようする。


「外への扉は右手にあるハンドルつきのものです。出るには、二重の扉を抜けなければいけません。最初の扉を開け小部屋に入り、開けた扉をロックします。でなければ、前方の扉は開きません」


 画面には出口の見取り図が表示されている。


「ただし、外には何もありません。宇宙船のロビーがあるだけなのです。そこには生活ができるスペースなどは存在しません。そこから宇宙船の外に出られはしますが、そこは宇宙空間です」


 宇宙空間。それだけは信じることができない。この状況のただの設定なのではないか。


「この部屋から外に出る条件もあります。それはブレスレットを外すことです。ここにいるという仕事をほうするということになるからです。もうひとつ注意点もあります。外に出た場合、ドアは外からは開きません。外から開けることはできないので、くれぐれもご注意ください」


 紀之はどきりとした。外に出た場合、自分の意思で中に戻れないのだ。


「説明はここまでです。私はひとまず引っ込みますが、ずっとここで見守っていますよ」


 ソフィアはそう言い消えた。画面は通常の待機画面、あのマップとトランプマークの並ぶ画面に戻った。

 室内は夜の海のように静かだった。ソフィアのありがたい言葉を聞きらさないようにじっとしていたのだ。紀之がシートに座ってそんなクラスメイトの様子を見ていると、やはりひとりの生徒が立ちあがった。

 和泉いずみれいは画面の前へと進み、こちら側に向き直る。


「ソフィアの説明は終わったようだけど、どうする? とにかく私は行動してみたいと思うのだけど」


 和泉いずみは生徒たちを見まわして口を開いた。彼女の口調は全く変化がなかった。同じなのだ。クラスの席替え方法はどうする? 四組のクラス目標を募集します。同じだった。

 ホームルームの時のクラスの様子を覚えている。雰囲気のかんした午後の時間。クラス委員の和泉の言葉など皆聞き流し、それぞれ隣の席の友達と雑談をしたり、漫画マンガを読んだり。

 しかし今は違った。びんともいえるほどに、和泉の言葉に反応して前方に集まっていく。この状況で生まれたクラスの一体感。ここはひとつの国なのです。我々は運命共同体なのです。


「私、少しいじってみていいかしら」


 周囲の生徒たちは、うやむやにうなずき、和泉はその反応をイエスと受け取り画面に向き直った。

 のりゆきも画面に近づき、一番前のシートに腰掛け様子をうかがった。他の生徒は、画面の前の空いたスペースに腰を下ろしている。

 現在の画面。ハートの下には30。これはクラスの腕輪をはめた人数。ダイヤの下には30。十二時を回り配給された金という意味だろう。スペードの下には1。マップ上のスペードの数だ。

 和泉はまず、クラブをタッチした。

 クラブのマークがぼうちようするように広がり、クラブ配給画面と表示された。0から9のナンバーが並んでいる。そのタッチパネルで、数字を打ち込むのだろう。

 和泉は画面のクリアーをタッチし、再び通常画面に戻す。続いてスペードをタッチ。

 スペード購入画面と表示された。画面には同じく数字のパネルが出現する。その上には、レートダイヤ10と表示があった。確かソフィアは、ダイヤ十で、スペードがひとつ購入できると言っていた。レートとはそんな意味だろう。

 和泉は再びクリアーをタッチした。


「クラブ……私は、クラブに使ってみたいと思うのだけど。何か意見はあるかしら」