扉の外

第1章 ⑧

 紀之は販売機の生理用品のボタンを指差した。


「最低ね」


 和泉いずみはむっとした様子で自分のシートへと戻っていった。

 のりゆきはそんな和泉を横目に思った。同じクラス委員長でもこうも違うものなのかと。

 頭に思い描いたのはセーラー服の女子の姿。ゆるやかにウエーブして垂れるくりいろの髪。どう色のひとみに、小さなピンクの唇。表情は柔らかくも整っている。

 まさまな。彼女は二年一組の女子生徒でクラス委員長をやっている。一年の時は紀之と同じクラスだった。彼女は強烈な光を放っていた。光に目がくらみ、いまだ盲目状態の男子生徒も大量に存在するはずだ。

 愛美はやさしくも正義感にあふれる、かんぺきな女神だった。彼女がここにいたら、こんな状況の紀之に笑顔で救いの手を差し伸べてくれたに違いない。

 彼女は今どうしているだろうか。この状況におちいった四組の生徒を心配しているか、それとも、ソフィアの言うことを信じるなら、核戦争の始まった世界にいるのか。彼女の傷つく姿は想像したくなかった。世界のこうはいが真実なら、愛美もこのシェルターに入るべきだった。

 そこまで考え、紀之ははっとした。果たして、このシェルターに存在するのは、この二年四組だけなのかと。別のグループもいる可能性があるのでは。この整備されたシステムが、ひとつのクラスだけのためにあるとは考えにくい。

 紀之は考えをめぐらせた。何か今の考えにリンクするべき事項があったはずだ。しかし、頭に浮かんでしまった愛美の顔に思考はストップした。

 紀之はシートに戻り、頭に焼きついた愛美の笑顔にもんもんとしながら眠りについた。


 かくされた室内での生活はたんたんと流れていった。

 あの時計が地球の時計と同じスピードで時刻を刻んでいると信じるなら、すでに四日が過ぎた計算になる。

 混乱は起きていない。いうなら安定していた。

 室内の生徒たちは、安定した生活を送っている。記号化された生活だった。

 食料を食べ、ひたすらシートに寝て時間をつぶす。じよじよに生徒同士の会話は減っていた。疑問を口にすることもなく、ただ生活をこなしている。単調な生活で、思考さえも停止してしまったのかもしれない。

 紀之は昼だか夜だか分からないこの空間で、必死に自分を保っていた。ひまな時間は空いたスペースで筋トレをするか、シートの上で思考を回転させていた。

 紀之は給水タンクで水を飲み、そのまま顔も洗った。このところ、生徒たちが分けてくれる食料は減っていた。

 この生活はいつまで続くのか。

 紀之はため息をきながら自分のシートへと戻った。周囲のシートは、ヘルメットをかぶった生徒が寝ている。映像を見ているのかゲームをしているのか。

 ふと思う。を与えなければ筋肉が落ちるように、この状態では、人間の思考能力も落ちるのではと。考えることを止め、ただシートに横になり映像などを見る生活。

 もしかしたらソフィアはそれが目的なのかもしれない。このように人間に考えることをやめさせ、管理しやすくするのだ。

 思った。それはすでに現実の世界で実行されていたのかもしれない。ネットワークなどは世界の生活を進化させ便利にする代わりに、人間から様々なものを奪った。コミュニケーション能力や思考能力など。それらの能力はなくても、コンピューターが代わりにやってくれるではないか。

 のりゆきがそんな思考を垂れ流していると、とつじよブザーが鳴った。

 時計の針が十二時を指したのだ。

 周囲の生徒はその合図で体を起こした。すぐに生徒のひとりが画面へと進み、ダイヤをクラブカードへと代えた。そのカードは三十人で平等に分けている。

 カードを受け取ったが、隣のシートに腰をかけ小さくため息をいた。


「大丈夫かよ」

「うん、ずっとロールプレイングゲームをやってる」


 亜美は暗い笑顔を作って答えた。

 そんないんうつな雰囲気の室内で声が響く。


「ねえ、みんな少し話し合いましょう。映画やゲームばかりしていないで」


 和泉いずみが画面の前に立って声を出していた。しかし、生徒たちの反応は薄い。


「ただ時間をつぶしていないで、これからのこととか、前向きなことを議論すべきだと思うの」


 部屋は和泉の言葉に重々しい沈黙が流れた。


「これからのことって?」


 前の方に座っていた生徒が、重い声で返答した。


「……今後どう生活していくかとか、議題はたくさんあると思うの」

「なあ、やめようぜ。無理に話し合ってもしょうがない」


 販売機の前にいたむろが答えた。氷室は、疲労の濃い生徒たちに気をつかっているようだ。

 紀之は思った。皆現実に気づき始めているのだ。このいつ終わるか分からないシェルター生活に。それを考えないようにするため、シートに横になりヘルメットをかぶり現実からとうする。そんな生活は、さらに頭にもやをかける。思考ストップへのスパイラルだ。


「今後って、ずっとこれが続くのかな」


 亜美がそんなやり取りを見ながらつぶやいた。部屋の前方では、だ和泉と数人がやり取りをしている。


「考える必要ないって。亜美は経験値を上げてボスを倒すことだけ考えていればいい」


 はヘルメットをかぶり、ずっと右手のコントローラーを操作し続けていた。仮想世界バーチヤルの中に身を投じていたのだ。


は大丈夫なの? ゲームも映画も見れないでしょ。カードを入れなくても、ヘルメットを被れば、チカチカ光がてんめつして気分がよくなるよ」

「腕輪がないとだ」


 のりゆきが座っても、シートは全く反応しないのだ。


「そっか。いつしよにゲームできればいいんだけどね」


 亜美は自分のシートを調べるぐさをした。


「ねえ、一緒に寝れば大丈夫じゃないかな。映像とか見えるかもしれないよ」


 亜美が手招きをした。


「それに頭は二つも入らないだろ」


 紀之は言いながらも、亜美のシートへと移動する。


「二人で横向きになってさ、頭は入らなくても、映像とか音が聞こえるかもしれないじゃん」


 紀之はシートに横になりポジションを工夫する。亜美も紀之と向かい合うように体を横向きに動かした。


「ちょっと無理だな」

「そうだね」


 ふたりは体を密着させながらにがわらいをした。

 鼻先にある亜美の髪からは、塩っぽさに混じってかすかに甘いにおいがした。

 亜美はもぞもぞと体を動かし紀之の胸に頭をつけた。

 紀之は亜美の背中に手を回して抱きしめる。バスケット部のわりにはきやしやな亜美の体だ。

 胸の中の亜美が視線を向けている。紀之は引き寄せられるように亜美の唇にキスをした。お互いの歯がぶつかりカチッと音をたてた。亜美は小さく声をらす。

 室内では、和泉いずみの声などが聞こえていた。しかし、そんな声ははるか遠いしおさいのように耳を通り抜けていった。

 紀之の耳には、亜美のいきづかいだけが届いていた。


 死という概念がある人間は何事も区切りたがる。

 目標を定め、それに向かって突き進み、また別の目標に向かって突き進む。

 しかし、このいつ終わりが来るか分からない状態は、きりの中のようなくらやみの中のような。いつ霧が晴れるのか、そんな現実に向かい合うと精神はほうかいする。

 だから、こんな状態なのだ。ただばくぜんと無気力に管理を受け入れるこの状態。

 紀之は静まり返った部屋を見つめていた。この生活が始まってから一週間ぐらいっただろうか。正確には分からない。頭がずっとぼやけている。