扉の外

第1章 ⑨

 部屋ではほぼ全員の生徒がシートに横たわりヘルメットをかぶっている。映像や音の世界に身を投じて、この冷たい現実から目をらしている。

 これが宇宙船だというのは言い得てみようだと思った。皆、暗黒の宇宙空間を直視することを避けているのだ。この部屋の外は宇宙も同然なのだ。未知なるやみ。永遠に続く暗闇が広がっている。

 のりゆきはそんな生徒たちを横目に、何とか精神を保っていた。

 あの生活よりはマシだ。あの母親から管理を甘んじて受けていたあの生活。財布の小銭がなくなったと、ニヤニヤしている姉の前でなぐられる。テレビで犯罪のニュースが流れれば、これがおまえの未来の姿だととうされる。

 そんな欲求を満たす玩具オモチヤのように扱われるのもいたかたない。食事はしっかりとらしてもらっているし、屋根の下で寝かしてもらっている。嫌だったら出ていけばいいのだ。しかしそれができない自分は、甘んじてそれを受け止めるしかないと思っていた。

 あの母親を殴り倒して家を飛び出す現実はなかった。生活費も住居も持っていないのだ。バイトをして金をかせいだとしても、保証人すらない自分は住む場所すら確保できやしない。

 紀之が平常心を保っているのは、あの生活でられた感情と、ほんの少しの優越感だった。

 紀之はシートに横たわる生徒たちを見つめて、心を落ちつけた。やつらは、管理を受け入れている。生活の保証を受ける代わりに、くさりにつながれることを選択したのだ。

 自分は違う。自ら鎖を外し、自由に行動しているではないか。この国で、自由であるのは自分だけなのだ。紀之はそう思った。

 しかし、同時にそれは真実なのかとも思う。この立場はただの状態なのでは。意思のない行動の結果に過ぎない。もしも本当に自らの意思で鎖を外すならば、ドアの外に出るべきなのだ。

 そんなことを考えると、心臓が握り締められたかのように痛む。のどがぱりぱりにかわき、視界がぐるぐると回ってしまう。

 紀之は給水タンクから水を少しだけ飲んで息をつく。最近は飲食を控えるようにしていた。水や食料に薬が混ぜてある可能性がある。ぼうざい以外の薬がだ。

 紀之はクラスメイトを観察しながらそう判断したのだ。生徒たちの変化。この生活のストレスもあるだろうが、それ以外にも要因があるのではと思う。特に男子生徒はおとなしくなっている。

 例えば、精力減退の薬などが混ざっている可能性。この男女混合の密室での共同生活において、いまだに性的なトラブルは起こっていない。今の男子生徒は、そんな意思などないように感じる。

 あのシートのヘルメットから脳に作用しているのか、食品からかは分からない。ただ、確実に男子生徒は、きよせいされた競走馬のようにおだやかになっていた。

 しかし、この状態はシェルターとして正常といえるのか。

 健全な精神を保ちつつ、人間を守るシステムがシェルターには必要なのでは。例えこれが宇宙船だとしてもだ。だらだらとに食料やエネルギーを消費するこの光景が正常だといえるのか。

 このままでは、生徒たちの精神がほうかいしてしまわないか。ただ生活する以外に、何か必要な要素があるのではないだろうか。

 のりゆきが壁に寄りかかり立っているとブザーが鳴った。十二時になったのだ。

 そのブザーに反応して、生徒たちがシートから体を起こした。ヘルメットを外し、だるそうに体を伸ばす。そして、いつもと同じようにすべてクラブカードに替えて三十人に配る。

 カードを受け取った生徒は、販売機で食料に換えたりと行動を起こしている。このペースで食料が尽きることはないのだろうか。紀之はそんな疑問を感じながらも視線を向けた。

 生徒たちは、紀之の視線に気づきながらも目をらしたまま自分のシートに戻っていく。まるで紀之が存在しないかのように。

 この密室の中で、紀之の立場はじよじよに明確になった。紀之は、自分たちの資源を奪う存在だと認知され始めていたのだ。自らの意思で腕輪を外したのだと。それなのに、このクラスのおんけいにあずかってびていると。

 生徒たちは、紀之を敵視しているのだ。今や会話すらほとんど交わしていない。

 サークルを作っているのだ。紀之以外の生徒たちというサークルを。そうてきこくを作ることで国内をまとめるように、この密室にも敵を作ったのだ。

 もしかしたら、生徒たちが精神状態を保っているのは、紀之の存在もあるかもしれない。集団から排除されている紀之を見て優越感を得ているのだ。

 販売機の前では、生徒たちが集まりなぐさめあっている姿があった。ときおり声を掛け合い、傷をめ合っている。そして、そのサークルに紀之が入ることは許されなかった。

 紀之は自分のシートへと戻り、部屋が沈黙するのを待つことにした。十二時を過ぎたばかりのこの時間帯は、生徒同士がシートで見た映画やゲームなどくだらないおしやべりについやされるのだ。

 紀之が目を閉じ続けていると、いつのまにか室内は静まっていた。沈黙の時間帯に突入していたのだ。

 紀之が薄暗い天井を見ながらシートに横たわっていると、だれかがおおかぶさってきた。

 紀之はその人影を抱きとめ唇を合わせた。半身の体勢で抱き合い、お互いの手足をからめる。紀之の顔の前には、ひとみをとろんとさせたの顔があった。

 亜美は紀之にキスを求めながら、紀之の手に食べ物を握らせた。

 亜美がこうして他の生徒の目をぬすんで、紀之のフォローをしてくれていた。

 紀之はお礼を言う代わりに、亜美の体を乱暴に抱きしめまさぐった。亜美と唇をぶつけ合っているうちに、昔の記憶がよみがえってくる。

 一年前にを抱いたことがあった。夏の校舎の屋上だった。

 のりゆきが屋上の物置のかげで寝ていた時、屋上への扉が開く音がした。その後、話し声が聞こえた。目を開け様子をうかがうと、男女が話をしていた。女子の方は亜美だった。

 亜美は上級生の男子生徒に告白をしていたのだ。

 五分後の屋上には、泣く亜美だけが残っていた。

 それからどうしたのかくわしくは覚えていない。その後のシーンが強烈すぎてぼやけているのだ。

 亜美は紀之の前で服を脱いでいた。

 今でもその時の亜美のたいは強烈に記憶に焼きついている。抱き合った屋上のコンクリートのゆかの冷たさや、亜美のはだの感触や髪のにおいや体温。

 亜美との関係はその一回だけだった。それから付き合ったわけでもなかった。

 紀之は亜美と抱き合いながらも、ふと人の気配を感じた。抱き合った状態のまま、視線だけをさ迷わせると、画面の前に人影があることに気づいた。

 その細い体のシルエットは和泉いずみのものだった。

 こちらを見ているわけではなかった。画面の方向を向いている。和泉はただひとり、ぼんやりと立ち尽くしていた。

 紀之は亜美と抱き合いながらも、和泉から視線を外せなかった。


 最初に変化に気づいたのは紀之だった。

 だれも注意を向けなくなっていたあのマップに変化があったのだ。

 紀之は画面の前に立って考えをめぐらせていた。密室の沈黙の時間帯。静まりかえる部屋で、紀之はじっと画面を見る。

 スペードマークが増えていたのだ。マップに存在するマークは、この場所を表現する丸とスペードが二つだけだったはず。しかし、現在マップにスペードは三つある。

 二つ並んだ青いスペード。そして、三つ目はマップの端で黄色く光っていた。

 これは何を意味するのだ?

 カラーの違うスペード。黄色いスペードの意味は。

 紀之がじっと画面を見つめていると、部屋の後方で扉の開く音がした。視線を向けると、そこにはタオルで髪をぬぐいながら和泉が立っていた。シャワー室を利用していたようだ。