ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 1 磔刑の黄色 -crucifixion yellow- ①

『他人を攻撃するのに理由は要らない。ただ先に声を上げた者の揚げ足を取れば良いだけだ』

──霧間誠一〈十字架上のアイロニー〉


 やいも、最初からみやしたとうを嫌っていたわけではない。その予備校で同じコースを受講することになったときに、明確に嫌いになった──嫌いにさせられた。

 あの情け容赦ない、いじわるな妖精プルハ・メルハに。



「えーと、このグループディスカッションは実際の入試で採用されているものに準じていますので、重視されるのは状況の把握、他人の発言の内容の理解、そして自分の意見を明確に伝えることです。相手を論破することではありません。そのことに気をつけながら、まずやってみましょう。慣れるのが第一ですから」


 若い女性の講師が、慣れた口調ですらすらと説明して、そのディベートは開始された。


「テーマは〝私たちに足りないものは何か〟です。それでは右側の人から意見を述べていってください。まずは──宮下藤花さん」


 その名が呼ばれて、芽依は思わず奥歯をみしめた。いよいよだ。いよいよ〝儀式〟を始めなければならないときが来たのだ。芽依だけでなく、他の参加者もみな一様に緊張している。

 そんなこととはつゆ知らぬ、ひとり能天気な宮下藤花は、


「はい。私は思いやりが足りないかなあ、って思います」


 と真面目ぶった調子で言った。そこで芽依はすかさず、


「それはあまりにも子供っぽい発想だと思います!」


 と強い口調で割り込んだ。藤花が驚いてこっちを見ているのには一切反応せずに、芽依はさらに、


「具体的な姿勢が何もないのにただ、思いやりとか、どうとでも受け取れる言葉を使うのは、自分には意見なんかありません、と言っているのと同じです。中身がなさ過ぎます! 安直です!」


 とたたみかけた。藤花がぜんとしているところに、芽依の隣に座っている男子も、


「足りないものは何か、って問いなのに、思いやりがないって言うのは、じゃあ今までは何も考えていなかったのか、ってことになるわけで、どうにも怠惰さが目につきますよね」


 と嫌みったらしく追従する。さらにその隣の生徒も、


「そもそも向上心に欠けると思うんですよね。自分がどうしたいか、って問いのはずなのに、思いやりを持つとかって、結局は判断基準を外に押しつけているだけで、評価をまかせにしているんじゃないかなあ、って感じます」


 と批判の上乗せをする。総攻撃である。宮下藤花以外の全員が、彼女に対してネガティブな評価を下し続けている。

 宮下藤花はすっかり啞然としてしまって、口をぱくぱく、とさせていて、反論が出てこない。そこに芽依がさらに、


「だいたい──」


 と言いつのろうとしたところで、彼女の視界の隅にちら、と〝そいつ〟が見えた。

 

〝いっひひひ、いひひひ。見ろよこいつの泣きそうなツラを〟

 

 宮下藤花の肩につかまって、妖精が下卑た笑いを漏らしている。カブトムシぐらいの大きさで、一匹だけでなく、はっきりしないが四、五体はいるようだった。

 

〝ざまあないねえ、いい気になってるから、こんな風に足をすくわれるんだぜ〟

〝甘ったれなんだよな。みんなが自分の味方だとでも自惚うぬぼれていたのかね〟

 

 口々に、宮下藤花に向かって雑言を浴びせている。藤花の方はその存在にまったく気づいておらずひたすら、あうあう、と動揺し続けているだけだ。

 もちろん幻覚に決まっている──しかし芽依には、このおぞましい妖精たちがえてしまう。


『そいつらは〈プルハ・メルハ〉っていうの。人間の〝弱気〟に寄ってきて〝ツキ〟を吸い取ってしまう実にいまいましい存在よ』


 と教えてくれた人がいる。今もこの模擬面接に使われている会議室の後方に座って、試験を受けている芽依たちを見守っている。

 

 彼女はこの予備校のみならず、在籍している名門私立高校でもトップを維持している天才少女である。模試の成績でナンバーワンにならなかったのは過去に一度だけで、その生徒は家庭の事情で引っ越ししていなくなってしまったと聞くので、今では彼女に追いつける者は誰もいない。そんな府名井が注目してくる視線を背中に感じながら、芽依は、


「──宮下さんには緊張感が欠けていると思います。足りないのではなく、欠けているのです」


 とディベートを進行させる。彼女に他に選択肢はない。なにしろ、


『そう〈プルハ・メルハ〉は退治することができない──誰かに押しつけなければならない』


 というのだから。


(そうよ、やらなきゃ、私が──)


 芽依の手の中には小さな包みが握られている。

 中には一枚の紙切れが入っているその〝お守り〟が、それだけが今、あふれ出しそうな不安から焼津芽依の精神を守っているのだった。

 


(──少しビビってはいるけど、一応はなんとかやってるみたいだな)


 宮下藤花に罵声を浴びせている焼津芽依の小刻みに震えている背中を見ながら、柚純は心の中で呟く。


(そうそう、頑張りなさい、焼津さん──そうしないと今度はあなたがプルハ・メルハに取り憑かれちゃうよ──ってね。まぬけな娘、そんなものは実在しないのに。ただ私の〈ローリング・アンザェティ〉によって見せられている幻覚に過ぎないのに──)


 この集団ディベートによる面接模試には隠された目的がある。どこかからここの様子を観察しているはずの〝監察官〟に常人とは異なる〝能力〟を持っている府名井柚純を〝売り込む〟のが真のテーマなのだ。彼女によって操られた学生たちが、ひとりの罪のない一般生徒をよってたかって責め立てて制圧してしまう様を見せつけて、人間社会における〝戦闘力〟を証明するデモンストレーションなのである。

 統和機構──そういう存在が、世界の裏側には存在している、という。

 そいつらは、常人を超越した特殊な才能を持つ者たちを、現在の人類の敵になるモノとして、ひそかに狩ってしまっているらしい。人間の、新しい存在に自分たちが乗っ取られてしまうのではないか、という恐怖心の具現化であり、集合的無意識の現実化でもある不可視のシステム──世界を裏から管理しているその機構に、府名井柚純は今、廃棄物として扱われるか、幹部として迎え入れられるか──その判定のぎわに立たされているのだった。

 柚純の隣には、その統和機構と接点のある男子生徒のじましゆんもいる。彼はこの模試会場の中の誰が統和機構のエージェントなのか知っているはずだが、彼女は教えてもらっていない。生徒の中にいるのか、講師たちの誰かなのか……しかし、


(まあ、知る必要もない──どこから見ていようと、状況は歴然……哀れな宮下藤花は何も反論できずにおろおろするだけ──)


 藤花をターゲットに選んだのには、大した理由はない。ただ彼女が県立しんよう学園に在校しているから、というだけである。だったらこの娘でいいんじゃないか、と古嶋に言われたからそうしただけで、深い意味などない。


可哀かわいそうだけど、仕方ないのよね──はらと同じ学校だったのを悔やむことね……)


 柚純が見守る間も、誘導された芽依たちの藤花に対する攻撃は続いている。


「宮下さんに緊張感がないのは、私生活の面で節度に欠けているからじゃないんですか?」


 言われて藤花は戸惑いを隠せず、あたふたと動揺しながら、


「な、なにが?」


 とき返すと、周囲の者たちはいっせいに、


「ふだんから交際している人に問題があって、その人から良くない影響を受けているんじゃないか」

「思いやりがあればそれでいい、みたいな甘やかされた発想は、自分がぬるま湯みたいな環境にあるから安直に出てきてしまうんだと思う」