ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 1 磔刑の黄色 -crucifixion yellow- ③

「ねえねえ、末真さん──あなただったら、思いやりが足りなかったら、どうすればいいと思う?」


 と屈託のない調子で訊いてきた。それはもう討論ではなく、ただの先生への質問になっていたが、彼女はまったく気にしていないようだった。

 そのまま討論は、それ以上の無駄な対立が深まることもなく、特に建設的なものは何も生み出さず、下手なことを言って自分がプルハ・メルハに取り憑かれないように、と皆がちゆうはんなことばかりを言うだけで進んでいき、そろそろ終了時間が近づいてきた。割り込んできた末真和子も、宮下藤花への攻撃が収まってからはもう、ほとんど意見を言わなくなった。


(ど、どうなるんだろ、これから──)


 焼津芽依はちら、と見学席の府名井柚純の方を見た。彼女はどこかぜんとした顔になっていた。不満そうだ。それはそうだろう、彼女の指示には結局、みんな今ひとつ従えなかったのだから。しかし柚純は吐息をついて、それから芽依に向かってうなずきかけてきた。

 心配するな、という感じだったので、芽依はひとまずホッとした。

 だが──次の瞬間、彼女の顔はこわる。

 プルハ・メルハの一匹が──床の上を滑るように移動していき、そして男子生徒の一人の首元まで一気に駆け上がっていった。


「わ、わっ──わわっ!」


 男子はパニックに陥って、手をぶんぶんと大きく振り回した。すると──その手の中に握られていた小さな包み──お守りが吹っ飛んでしまった。


(あっ、馬鹿──)


 芽依は思わず叫びそうになってしまって、代わりに自分の手の中にもあるお守りをぎゅっ、と握りしめた。

 男子はあわててお守りを拾おうとして、しかしその間にプルハ・メルハがそいつの首筋にまで到達し、耳を摑んで、なにやらささやきかけた。

 そのとたん、そいつの身体からだが、びいん、と直立し〝気をつけ〟の姿勢になったかと思うと、いきなり大声で、


「──いや、認められない!」


 と絶叫した。


「思いやりが大事なんて世界は間違っている! 他人の顔色ばかりうかがって、自分の思考の範囲をひたすらに狭めるだけだ! そんなことを言うヤツ、それをつけあがらせる詐欺師に大きい顔をさせておくわけにはいかない!」


 そう怒鳴りながら、そいつは宮下藤花と末真和子の方に振り向くと、カッターナイフを振りかざして彼女たちに襲いかかろうとした──その直後。

 

 ──きん、

 

 とかすかな音を立てて、カッターの刃が根元から折れて、宙に舞っていた。

 それとほとんど同時に、そいつの身体がいきなり見えない腕に突き飛ばされたかのように仰向けに倒れ込んだ。


「…………?!」

「…………?!」


 周辺の者たちが、なにがなんだかわからず絶句して硬直してしまっている中──雨宮美津子がひとりふらり、と立ち上がって、倒れている男子のところに歩み寄り、そして、


「あー……ちょっと熱が入り過ぎちゃったね。そこまでディベートに入れ込まなくても良かったのに。たかが模試なんだし」


 と薄笑いを浮かべながら言った。


「あ、雨宮先生? これはいったい──」

「いや、救急車を呼んでください。彼、興奮しすぎて卒倒してしまったみたいです」

「し、しかし、今の──」

「いや、暴力事件とまでは言えないんじゃないですか。だって、ほら」


 と彼女は折れて床に落ちていたカッターの刃を手に取ると、それを指先で挟んで──ぐにゃり、と曲げて見せた。


「これってゴムのオモチャですよ。ただちょっとおどかそうとしただけです。ディベートのテクニックをなんか勘違いしちゃってたのかな?」


 そう言いながら彼女は、他の生徒たちに向き直って、


「まあ、そういうことだから、今回の試験はいったん中止ということで──たぶん料金も返金されると思うから、そのへんは心配しないで」


 と説明しながら、ウインクして見せた。それから急に真顔になり、


「まあ、この辺でやめとけ──ってこと。いいよね」


 と一人の少女をまっすぐに見つめながら言った。

 その相手は、府名井柚純だった。


「…………」


 柚純は返事をしない。その肩をそっ、と摑んだのは、彼女の隣に座っていた古嶋俊輝で、彼は彼女の耳元に、


「……今回はここまでだね」


 と囁いた。統和機構のテストも中断、ということらしい。


「────」


 柚純は雨宮美津子を見つめ続けていたが、相手の方はさっさと視線を外して、手をぱんぱんと打ち鳴らして、


「はい、解散! すぐにこの部屋から全員出てください!」


 と有無を言わさぬ口調で宣告した。

 

 もう、プルハ・メルハは見えなかった。どこかに行ってしまったのか、それとも自分たちが緊張していないと見えないのか……焼津芽依は考えながらも、さらに手の中のお守りを握りしめる。


(でも、どうなるんだろう……さっき末真和子の方に妖精たちが集っていくのが見えたけど……でも)


 そう、その後で彼女は見たのだった。あの暴れ出した少年が取り落としたお守り……吹っ飛んだそれは、今……


(あれを、末真和子が拾った……確かにあいつが手に取って、そして……)


 彼女は、ぞろぞろと外に出されていく生徒に混じって、一緒に退出していく。その手は微妙に握られている。


(そのままネコババする気? あいつはアレの価値を知っているの? いや、それより……)


 確かに妖精に取り憑かれたはずの末真和子が、その上でさらにお守りも手にしているということは……どうなるのだろう?



 いや、わたしだって別に、そのお守りをそのまま盗んでしまおうと思ったわけではない。

 ただ、すぐに生徒たちが外に出されてしまったので、返すタイミングを失ってしまっただけだったのだが、


(でも、これって──何?)


 という関心はどうしても湧いてしまう。他の生徒たちが釈然としない感じで散り散りになっていく中で、わたしはちょっとその場に立ちまって、その小さな包みをまじまじと見つめた。


(お守り、みたいだけど──別に神社の表記とかはないし、布地もそれほど高級なものでもない……ひもで閉じられているけど、それも半ば緩んでいて、中に何かが入っているのが見える。


(なんだろう、これ……カード──?)


 わたしは好奇心に負けて、その中身を手のひらの上に出した。ぽろん、と何の抵抗もなく滑り出てきたそれは何の装飾もない一枚の紙切れで、そこにはこんなことが書かれていた。

 

〝これを見た者の、生命と同じだけの価値あるものを盗む〟

 

 それしか文字はなく、後は真っ白だった。なんの説明も補足もない。


(どういう意味──? まるで〝予告状〟みたいな文だけど──)


 なんでこんな訳のわからない紙切れを、有り難がって包みに入れて持ち歩いているんだろう……とわたしがぼうぜんと立ちすくんでしまっていると、背後から、


「──末真さん」


 と突然に声を掛けられて、びっくりしてちょっと跳び上がってしまった。声を上げそうになるのを必死でこらえつつ、振り返ると、そこに立っていたのは──さっきの女性講師の、


(雨宮美津子──)


 彼女は冷ややかな眼で、わたしの手元を見おろしつつ、


「どうしたの、それ」


 と訊いてきた。わたしはあわてて、紙切れを包みに戻しつつ、


「い、いやその、さっきの彼が落としたのを、踏みそうになったのを拾って──」


 と、たどたどしく弁解した。雨宮はじっ、とわたしのことを見つめて、数秒、無言だったが、やがて手を前に出してきて、


「では、私が責任を持って、彼に返しておきますから」


 と命じてきた。わたしは少しホッとしながら、指示通りに彼女に包みを渡した。こんな訳のわからないものを持たされていては落ち着かないので、良かった、と思った。

 雨宮は包みをすぐにポケットにしまって、きびすを返して立ち去る。


「────」


 わたしも帰ろう、と階段の方に向かおうとしたところで、また、


「末真さん」


 と声がした。見ると、雨宮美津子がこっちを見つめながら、