ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 1 磔刑の黄色 -crucifixion yellow- ④

「あなた──霧間誠一とか、人前であんまり口に出さない方がいいと思う。ほんとうに」


 と告げてきて、そして今度こそ完全に去って行った。


「…………」


 わたしは絶句してしまって、その場に立ちすくんでしまっていた。するとそこで、またまた、


「す、末真さん!」


 という声がいきなり背後から聞こえてきたので、わたしは今度こそ、


「ひゃあっ!」


 と声を上げてしまった。驚いて振り向くと、そこには瞳をきらきらさせた一人の少女──宮下藤花が立っていた。


「末真さん、さっきはありがとうございました!」


 彼女の喜びではじけるような様子に、わたしはややされながら、


「あ、あの──宮下さん?」

「藤花でいいです! あの末真さん、さっきはホントに、ホントに格好良かったです! 私が助けてもらったから、だけじゃないです。もうホントに、あの場にいた誰よりもすごかったです。ホントに最高でした!」


 この娘は何回ホントって言うんだろう、と少しあきれながら、


「ええと、宮下さん──」

「藤花です」

「その、藤花さん──わたしは別に、あなたを助けたわけじゃなくて、あのディスカッション全体がおかしな方向に進んでいるのを直したかっただけなんで──」

「うん、ホント凄かったです。みんな末真さんに圧倒されてて、一気に雰囲気が変わって、ホントに」


 彼女は人の話を聞いているのかいないのか、変な相づちを打ってくる。わたしがちょっと強めの口調で、


「いや、だからね、あなたにありがとうって言われる筋合いはないの。わたしが勝手にやったことだから、あなたが何か負い目みたいなモノを感じなくてもいいんだって」


 と言うと、彼女は少しきょとんとした顔になって、しかしすぐに、真顔で、わたしをまっすぐに見つめながら、


「でも──末真さん。私はあなたに助けてもらって、とってもうれしかったし、とってもとってもありがたかったんです。この感謝の気持ちを伝えることもできなかったら、それはすごくすごく切なくて、さびしいことだと思うんです」


 と言った。その素朴な言葉に、わたしは、


(うっ──)


 と胸をかれた。

 その言葉を──わたしも心に秘めていたからだった。


(そうだ、わたしも──あの人に自分の感謝を全然伝えられていない──)


 生命いのちの恩人なのに、そのお礼さえも言えずに宙ぶらりんになっている相手が、わたしにも存在しているのだった。その切なさが、目の前の彼女に重なり、自分でも戸惑うくらいの〝わかるわかる〟という共感が押し寄せてきて、無意識のうちに彼女の手を取って、


「そうだね、ホントにそうだね!」


 と大きな声を出してしまった。すると彼女の方も一切の迷いなく、


「そうです、ホントにそうです!」


 と大きくうなずいて、そしてわたしたちは手を取り合いながら数秒見つめ合って、そしてそろってけらけらと底抜けに陽気な笑い声を上げた。

 これが──わたし末真和子と宮下藤花の友情の始まりだった。

 

 ……その二人の様子を、物陰から監視している者がいる。


(なんだ、あいつら──馬鹿みたいに笑って……)


 府名井柚純である。


(しかし、宮下藤花が邪魔だな──早くどっかに行ってしまえ──末真和子を一人にしろ……!)


 せっかくの統和機構上層部への〈入試〉の最中に要らぬ邪魔をした末真のことを、柚純は許すつもりはさらさらなかった。彼女の能力〈ローリング・アンザェティ〉を使って、再起不能にまで追い詰めてしまうつもりである。対人攻撃としては無敵だと自負している。

 ただし──一度に一人ずつしか相手にできない。影響は持続するから、最終的には軍団を結成できるのだが、あくまでも一度に一人ずつだ。


(だから、一人のところを狙うしかないが……いつまであのマヌケな宮下藤花はくっついているつもりだ?)


 柚純はじかに二人を見ていない。廊下のメッキ処理された柱に映っている歪んだシルエット越しに見ているだけだ。視覚にはそれほど依存せず、能力で気配を感じている方が情報収集の比重が高い。

 その、あまり注視していない方の視覚の、その隅で──ちら、と宮下藤花がこっちを見たような気がした。鏡像の中の歪んだ姿の、その視線がまっすぐ柚純を貫いた──ような気がした。


(──なに?)


 はっ、としたが……慎重に観察しても、宮下藤花の注意はこっちに向いていない。それは確実だった。


(ちょっとした見間違い、か──あせっているのかな、私は──落ち着け落ち着け。まだ統和機構の〈テスト〉は終わっていないんだぞ)


 柚純が気持ちを入れ替えたところで、末真和子たちは連れだって歩き出した。どうやら一緒に帰るつもりらしい。


(ちっ──どうする、ここは見逃すか……いや、追ってみるか)


 彼女はちら、と後ろを向く。

 そこにはかたわらに控えさせていた、既に精神制圧済みの手駒の一つ……焼津芽依が待っていた。


「あ、あの──府名井さん、私は」


 不安そうな芽依に、柚純はうなずきかけて、


「焼津──少しの間、一緒に来てもらうけど、いいよね」


 と当然のように言った。



「でも末真さん、さっき講師の人に変なこと言われてましたね。作家の名前を口にするな、とかなんとか」

「いや、さん付けとか敬語とか、そういうのやめてよ。わたしたち同学年でしょ」

「うん、わかった。じゃあ私のことも呼び捨てにしてよ。いいよね、末真」

「うん、藤花。……で、今の話だけど。あれって変なんだよね」


 わたしはため息をついた。すると藤花は興味しんしん、という顔で私の眼を覗き込んできて、


「なになに? どういうこと?」


 と訊いてきた。わたしたちは同じ高校の生徒ということもあり、帰り道は同じなので並んで歩いている。


「あのさあ──あのディスカッション形式の面接試験って、ごく一部の大学の、それも推薦入試の選抜にしか使われていないヤツで、そもそもこの予備校にそのための模試があるのさえ珍しいんだけどさ──ぶっちゃけ、わたしってその本番自体は受けられないのよね。学校の推薦受けられなくて」

「えーっ、そうなの?」

「藤花は? なんで受けようって思ったの」

「いや別に理由とかなくて、なんとなく。申し込み期限が迫ってる、とか張り紙が出てたから、釣られて。なんか最近、なんでも受けてみるかって気分だったから。──そっか、推薦限定だったんだ。じゃあ失敗しても大したことなかったね、えへへ」


 彼女は能天気なことを言う。わたしはその開けっぴろげな率直さに少し感銘を受けながら、説明を続ける。


「まあ、そうね──で、そもそもなんであの試験にわたしがかれたかって言うと、ある大学の試験項目に『霧間誠一について』語り合おうっていうヤツがあったからなのよね」

「ああ、その作家をテーマにして」

「そうなの、で──だからさっきのディベートでも名前出したんだけど、あの講師の人はそれをマズいって言うから、ん? って思って」

「そっか、そりゃ変だね、確かに。あいつ、よくわかってなかったんじゃないの、その試験のこと。大して詳しくもないくせに、生徒が偉そうなこと言ってる、とか勝手にムカついて、いるよね、そういう大人。末真が気にすることないよ」


 藤花はわたしの代わりにぷりぷり怒ってくれる。自分ではそんなに単純に割り切れるものでもないことでも、彼女はすっきりと整理してくれて、爽快感がある。


(うわ──わたし、この娘のことが相当に好きになってるんだけど……)


 自分でも不思議なくらいに、彼女に対して警戒感が薄れていくのがわかる。だから彼女が、


「でも末真、その作家のことがホントに好きなんだね。その試験があるってだけで、その大学を受けたくなるくらいに」


 という質問をしたときも、素直に、


「そうそう、そうなの。でも身近には全然読んでる人がいなくてね──」