ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説
Color 2 幻影の銀色 -phantom silver- ①
『人間は真実に到達していても、そのことの意味を、その場では決して気づくことができない』
──霧間誠一〈十字架上のアイロニー〉
「しかし、あなたほどの大物の方が来られるとは思っていませんでしたよ」
予備校の一室で、古嶋俊輝は雨宮美津子と話している。
「…………」
雨宮は憮然とした顔をしている。冷たい無表情の中に、
「アレは何なの、古嶋──あの〈ローリング・アンザェティ〉ってのは。不安定すぎる……どういうつもりであんなものを推薦した?」
そう言いながら、雨宮はテーブルの上に小さな物体を投げ出した。いびつな金属の塊は、さっき暴れ出した生徒が持っていたカッターの刃だった。
先刻は、雨宮が『ゴムだ』と言ってかるく指先で丸めて見せたそれは、
歴然とした凶器を、危険ではないという演技で周囲を欺いていたのだった。曲げると折れてしまうはずの刃を丸めるという、常識ではあり得ないパワーなど、誰にも気づかせることなく。
「まあまあ、リミット様──彼女も少し緊張していたようですから。ためらいなく行動を誘発できる、ということは証明できたでしょう?」
古嶋の言葉に、雨宮は眉をひそめて、
「その呼び方はやめろ──おまえのことも、ここでは〈オイフォン〉とは呼ばないからね」
と鋭く注意した。古嶋はうっすら笑いながら
「
と訊ねると、雨宮は憮然としたまま、
「これは──例の〈お守り〉ですか。ああ、既に末真和子から回収しておられたのですね。さすがです」
古嶋の追従にも雨宮は反応せず、
「そいつは──どういうこと?」
と厳しく問う。古嶋は封を開いて、中身を確認する。
〝これを見た者の、生命と同じだけの価値あるものを盗む〟
「──ああ、こいつが入ってましたか。ええ。もちろん僕が書いたモノです。
古嶋は涼しい顔である。
「ほとんどの〈お守り〉には、府名井柚純が書いた、どうでも
「何のために?」
「謎を解く手掛かりになるかと思いまして。統和機構でも対応に苦慮している〈ペイパーカット〉現象を、我々の手で解明できるかも知れないのですよ?」
古嶋はうっすらと
「おまえ──偽物をばらまいて〝元凶〟をおびき寄せるつもりか。それがどれだけ危険なのか、わかっているの?」
と鋭く問うが、古嶋は平然と、
「ですから──府名井柚純がやっていることにしてあるんですよ」
そう応えた。雨宮はため息をついて、
「そんなに手柄が欲しいか──何を焦っている? この辺りの地域管理が
「あいつは関係ないでしょう──それにヤツの〈クロース・トゥ・エッジ〉は完全にイカサマの能力じゃないですか。何のパワーもなくて。口先だけですよ、あいつなんて」
顔をしかめて、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てるように言う。雨宮はそんな彼を冷たい眼で見つめながら、
「噓か本当か、そんなものは大して意味はない。実用に耐えるかどうかだけ──少なくとも、統和機構のトップはそう思っている」
と言った。その氷のような響きに、古嶋が
いつのまにか、右腕がまったく動かなくなっている。
腕の周り全体が、見えないコンクリートで固められたかのように、びくともしなくなっている。
そして──そのコンクリートが流砂となって、じわじわと彼の腕を勝手に動かしていく。逆らうことはできない。圧倒的なパワーが彼の周囲をすべて埋め尽くしている。
(こ、こいつは──)
古嶋は目の前の女性を見る。彼女は冷たい眼でこっちを見つめている。
その間に、彼の腕は勝手に伸びていく。その先にあるのは、卓上に置かれていた丸まったカッターの刃だ。
そいつも動いている。
不自然に変形していた金属が、じわじわと
そして……自らの喉元に向かって突き立てようと肘が曲がっていく。
(こいつが……この能力が……)
古嶋は戦慄しつつ、眼前の落ち着き払った女を見つめ返していた。無表情であり、そこには何の強い感情もないようだった。
(これが──合成人間リミットの〈エアー・バッグ〉か……! 統和機構ナンバー2のカレイドスコープにも匹敵するという噂の……)
彼が焦燥している間にも、その指先に挟まれた凶器が、急所の
全身を押し潰していた異様な圧力のすべてが一瞬で消失し、カッターの刃は指から滑り落ちて、テーブルに落ちて軽く跳ねた。
「うわっ──」
と思わず声を漏らして、そこで古嶋は初めて、今の今までまったく声が出せなくなっていたことに気づいた。
「今のも──実は〝噓〟だ。私の能力というのは、八割はハッタリと見せかけだけ──しかしおまえを殺すのには充分なんだよ。わかったか? わかったなら──」
と淡々と脅しつけていく。しかし、その表情は途中で訝しげなものに変わる。
彼女は古嶋の、その眼が歓喜に打ち震えているのを確認していた。彼は彼女の話をろくに聞いておらずに、小声でぶつぶつ、
「……素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい……!」
と呟き続けていた。雨宮美津子の能力、そのパワーに圧倒されすぎて、感動すらしてしまっていた。
震え続ける指先を見つめ続けながら、彼の口元は釣り上がっていた。これまで他人に見せたことがないであろう底の抜けた表情で、いびつに笑っていた。彼の心の奥に潜んでいる他者を
ふう、と雨宮はため息をついた。彼女は古嶋を説得するのをここで放棄して、
「いいか、査定は続けるが──余計なことはこれ以上するなよ。私を巻き込むな」
と突き放した調子で言うと、はっ、と古嶋は我に返って、
「い、いや──ここでの成果は、リミット様に献上させていただくつもりでして──あなたの高い地位にふさわしい功績としても、ご満足いただけるレベルのものだと思いますが?」
と焦った口調で言ってきたが、雨宮は無視して、
「しかし──いつまで大学受験
と忌々しそうに言った。古嶋は困惑した顔で、
「ですが……過去に、あの作家に影響されて覚醒したと
と弁解するように言う。彼にとって、この予備校での役目のひとつを軽んじられるようなことを言われては反論せずにはいられない。だが雨宮美津子は、
「────」
と、古嶋のくどくど続けられている抗議など完全に放置して、ちら、と窓の外を見る。
(でも──あの末真和子という少女……あの娘は、もしかしたら……)



