ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 3 妄想の青色 -delusional blue- ①

『隠し事をしない者は存在しないが、それを隠し通せる者もまた存在しない』

──霧間誠一〈十字架上のアイロニー〉


 雨宮美津子は、ずっと感じている。

 この世界には、自分のための居場所がない、と。

 彼女は双子の姉妹としてこの世に生を受けたが、二人とも生まれつき身体がとても弱かった。親にも半ば見捨てられて、そして──統和機構に拾われた。特殊な〝薬液〟を投与されて、双子はそれぞれ違う能力を持つ、強力な合成人間として生まれ変わった。彼女たち自身にはあずかり知らぬ理由で、それまで無力な病人に過ぎなかった少女たちが、世界を裏から支配しているシステムの重要人物となったのだ。


(私たちがそれを望んだことなんて、一度もない。私たちはずっと、自分の意思を持つことを禁止されて、縛り付けられて生きてきた……)


 かつてはいつでもどこでも一緒に行動していた双子は、彼女たちが自分の選択で動こうとしたら、たちまち引き離されて、別々の部門に配置されてしまった。美津子はもう数年、自分の姉妹に会っていない。向こうが今、どういう考え方をしているのかは知らないし、あるいは統和機構の忠実なる下僕となっていて、極めて優秀な〝殺し屋〟になっている可能性もある。実際、聞こえてくる噂ではそういう感じだ。そして美津子本人は、


(私は……この〝壁〟を破りたい)


 ずっとそう思っている。身体に力が入らず、ろくに歩くこともできなかった幼児の頃の、あの病室の白くて無機質な壁に取り囲まれていたあの感覚が、今でも消えていない。自分の周りには壁が張り巡らされていて、どこにも逃げ場がない、と感じ続けている。


(なにが〝リミット〟だ……私はこの名前が大っ嫌いだ。こんな〝限界〟なんて認めてたまるものか……!)


 だが、統和機構による世界の監視と管理はあまりにも根深く、とてもつけいる隙など無いように思える。世界を転覆させる可能性があるMPLSたちも皆、機構の合成人間たちによって始末されてきたのを彼女は何度も見てきたし、自分でも倒してきた。


(私にやられる程度の奴では、どうせ機構に勝つことなどできるはずがない。連中は弱かった。ただそれだけだ。病室の中で助からなかった私たちのようなものだ……結局、どうにもならなかったろう)


 人間にはどうしようもない〝限界〟がある、と雨宮美津子は考えている。既にできあがってしまっているシステムだとか長年の慣習だとかを個人では崩せない、という現実があり、その理由はそもそも人間の人格や精神の形を決めるのがその慣習にるものだからだ。自分を創ったものを変えようとすることは、自分を変えるということであり、そしてほとんどの人間は、


(自分を守るためにあらがうのであって、自分を壊すために生きることなど不可能……そもそも矛盾している。ここが、人間の限界……だったら)


 その限界を突破できるものがあるとしたら、それは現時点ではまったくの理解不能の〝異物〟しかないのではなかろうか。

 たとえば、そう……

 

〝これを見た者の、生命と同じだけの価値あるものを盗む〟

 

 などという奇妙れつな文言の書かれている紙切れが落ちていて、そしてその横で、死因がまったく特定できない死体が転がっていた、というような事態──理解不能の奇怪な事実、それだけが存在している、その違和感こそが、なんらかのきっかけとなるかも知れない。

 数年前から、あちこちで散発しているこの異様な現象は、統和機構の中でも扱いに困惑している様子がある。仮に〈ペイパーカット〉と呼ばれているが、これは単に〝紙切れ〟が現場付近に残っているからそう言っているだけでしかない。

 その死んだ者が、具体的になにかを盗まれているのか、それも今ひとつ不明である。確かに、紛失しているモノが確認できるときもあるが、その中にはただの市販品の、使いかけのボールペン一本、などということもあって、常識で考えたら、どうしたってそんなモノが生命と同じだけの価値があるとは思えないし、そもそもモノが盗まれても、人は死なない。あらゆるところで、この〈ペイパーカット〉はおかしいのだった。


(統和機構の、どんな優秀な分析官でも、最強の存在でも、この〝不思議〟を前にしてはすべてが今、お手上げの状態──)


 人が死んでいるときに、その周囲の監視カメラは別に異常はなく、出入りしている者の姿もいくらでも捉えられている。しかし──それと周辺の目撃情報が一致しない。データを付き合わせると、どう考えても同じ人物のはずなのに、目撃者Aは〝小柄な老人だった〟と言い、目撃者Bは〝太った女性だった〟と言い、そして監視カメラに映っているのはまだ小学生ぐらいの子供だったりするのだ。後から検証しようとするなら、監視カメラしか正解といえないことになるが、だがその姿は、その映像データを最初に確認した者の、子供時代の友人の姿に似ているような、という得体の知れない証言が加わることで一気に信頼性を失うのだった。そういう事例がいくつも重なっていて、そして一致したことは一度もない。全員が別人ならば、かなりの人数の集団ということになるし、人に正体を知られない能力があるなら、たった一人しかいない可能性もある。

 どこかが、我々の知っている現実の規範からズレている。

 なによりも対応しづらいのは、そうやって死んでいく者たちは、社会の中での不審死の数に比べたら圧倒的に少なく、そして害もないという事実があるからだ。殺人が、なんらかの対立の結果なら、その後始末をしなければならないが〈ペイパーカット〉では、ただ──死んでいるだけだ。誰も巻き込まず、誰にも迷惑を掛けず、ただひとり、ひっそりと、そいつが死んでいる──生命と同じだけの価値あるものを盗まれて。そいつ以外にはなんの価値も見いだせない〝なにか〟を。

 世界にとって、あまりにもささやかな影響しかないが、どこかで決定的な急所を突いているような感触もある……。


(この現象には、はたして統和機構を引っ繰り返すだけの秘密があるんだろうか。古嶋俊輝は、単なる出世欲だけであれに手を出そうとしているけれど……そう、もしもこれが単なるMPLSの仕業というレベルの話ではないのだとしたら……これではまだ〝仕込み〟が足りないかも知れない──もう少し、規模を拡大してやる必要があるかも──)


 雨宮美津子は、ぶるるっ、と少し身震いした。

 

 ……目の前で、その予備校教師が急に、ぶるるっ、と身震いしたので、焼津芽依は驚いてしまった。


「──ああ、ごめんなさいね、焼津さん。ちょっと寒気がして。冷え性なのよ。困ったものね」


 と、その雨宮という講師は笑いかけながら、固まっている芽依に近づいてきて、


「急に呼び出しちゃって大丈夫だったかな。でも、あなたにどうしてもしなきゃいけない話があって」


 と、馴れ馴れしく肩に手を掛けてきた。


「い、いえ──自習してただけですから」

「あなた、この前のグループディスカッションで積極的に発言していたけど、でもあなたの志望には、推薦入学資格の取得はないみたいだけど、どうしてあの模擬試験を受けようと思ったのかな?」

「え? な、なんでそんなこといちいち訊くんですか?」


 芽依が動揺していると、そこまでニコニコしていた雨宮は、真顔になって、


「もしかして、あなたはお友達の手伝いで、あれに参加したんじゃないかな。そう──府名井柚純さんの」


 と深刻な調子で告げる。

 ぎくっ、と芽依の身体が強張った。雨宮はうなずいて、


「あなたにも、例の妖精──プルハ・メルハだっけ、そいつらが視えるんでしょ。すごいよね、残念ながら、私には視えないんだけど」


 と、さらに言葉を重ねる。芽依が驚いて雨宮の顔をまじまじと見ると、相手も見つめ返してきて、


「実はね、この前のあの面接模試って、あなたたちの方を試していたんじゃなくて、私のことをテストしていたんだよね──府名井さんの狙いは私の価値を見極めることにあったの。私と、その背後にいる〝システム〟が、彼女の力を振るう場所としてふさわしいかどうか、ってね──」


 と奇妙なことを言い出した。



刊行シリーズ

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