ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説
Color 3 妄想の青色 -delusional blue- ③
……そして、現在──芽依はまたしても不思議な印象を持つ女性に決断を促されている。
雨宮美津子に。
「焼津芽依さん。私はあなたの力になりたいの。上からの立場じゃなくて、あなたのお手伝いがしたいのよ。そう、あなたが今、府名井柚純さんにしているように、ね──」
雨宮は彼女にそう囁いてくる。それを聞いていると、芽依は確かに、一度は消すことに成功したはずの、心の中の迷いがちらちらと湧きかけてくるのを感じる。不安が見え隠れする。
(でも、どうしてだろう──)
今の芽依にはその不安が、ちっとも不快ではなく──むしろ魅惑的にさえ感じられるのだった。
*
もちろん、焼津芽依に見せた妖精プルハ・メルハは幻覚に過ぎない。府名井柚純の能力〈ローリング・アンザェティ〉の作用によるものである。
では、その能力とはいったいどういうものなのか。
芽依を、古嶋俊輝とサクラ役の生徒を使って誘導した自習室の中で、ほんとうは何が起きていたのか。
芽依が誘導されるままに部屋に入ってきたところで、柚純はさっそく、
(ああ──もう、焦げくさいな)
と感じている。
焼津芽依が感じている〝不安〟を、柚純は嗅覚に似た感覚で、直感として感知できる。それはじりじりと
そんな芽依に、柚純は適当に、
「あなたの悩みって、無駄よ」
と話しかける。すると芽依の焦げくささが微妙に変化する。混乱と不安が混じり合って、不快感が増していく。
柚純がいい加減に、それっぽいだけでほとんど意味のない言葉を重ねていく度に、芽依の混乱はどんどん強くなっていく。焦げの感触がひたすらに濃くなっていく。
(そろそろだな──)
柚純は芝居がかった手さばきで、裏返したカードを机の上に広げる。そして芽依がそれを手に取ろうと接近してきたところで、柚純は、
〝ふうっ──〟
と彼女に息を吐きかける。いや、実際に呼気を当てている訳ではない。あくまでそういうイメージを想起しているだけだ。ここで吹きかけられているのは〝能力〟である。
すると──その息がちょうど〝火吹き棒〟で吹きかけられる酸素と同じような作用をして、それまではただ焦げくさいで済んでいた芽依が一瞬にして──炎上する。
〝不安〟が一気に巨大に膨れあがり、青白い炎が彼女の全身を覆い尽くしてしまって──そこで、静止する。
まるでマネキン人形のように、焼津芽依の身体は微動だにしなくなっている。
まるで時間が停まっているかのよう──いや、芽依にとっては実際にそうなのだった。
(私の〈ローリング・アンザェティ〉は──他人の不安を極度に拡大させることで、そいつの〝体感時間〟をほとんどゼロにしてしまう。大きすぎる指示を与えられたコンピュータがその巨大なデータを処理できずにフリーズしてしまうように、不安がそいつのあらゆる認識を消し飛ばしてしまうのだ──そして、その停止したところに)
柚純は席から立ち上がる。そして芽依の背後に待機していた古嶋俊輝は、外から誰かが入ってこないように扉の前に立って警戒する。
柚純は芽依の耳元に唇を近づけて、そして囁く。
「……妖精がおまえの悪口を言っている。いつでもそいつらはおまえにつきまとってきて、おまえがちょっとでも不安に思ったことを読み取って、こそこそ悪口を言っては笑っている……」
何度も何度も、同じ言葉を呪文のように繰り返す。
そう──これは〝催眠暗示〟なのだった。妖精というのはあくまでも、この催眠術を掛けられた相手の脳内で形成された〝妄想〟にすぎないのだ。説明してしまえば単純きわまりない仕掛けで、故にこの〝攻撃〟を相手に仕掛けるときには、事情を知っている古嶋俊輝のような協力者以外は近くにいないことが必須──一対一の状況でないと発動させても単に相手が静止するだけで催眠までは掛けられないのだった。
五分以上もたっぷりと暗示を刷り込んだ後で、やっと柚純は芽依から身を離した。
「おい──」
と古嶋に向かって顎をしゃくる。彼もうなずき、扉の前から元の位置に戻る。
柚純が席に戻って、すう、と小さく息を吸う。
〝能力〟を吸い込んで、消す。
すると──目の前でカードに手を伸ばしかけていた体勢の芽依が、びくっ、と驚いて横を向く。
彼女の脳裏に映っているはずの妖精たちのことは、もちろん柚純と古嶋には見えない。そんなものは実在しないからだ。だが柚純は平然とした調子で、
「そいつらは〈プルハ・メルハ〉っていうの。人間の〝弱気〟に寄ってきて〝ツキ〟を吸い取ってしまう実に忌々しい存在よ。あなたに混乱をもたらしている元凶」
と、やはりもっともらしい説明をする。
これで──またひとり新たな〝手札〟が、府名井柚純の
このようにして、彼女はこの予備校にその支配圏を確実に拡大させている。
彼女がこの予備校に来て、最初に目を付けた相手が古嶋俊輝であったのは幸運だった。なにか他の者と違う気配を感じて、様子をうかがっていると、向こうの方から、
「もしかして、君には常人にはない、特別な才能があるんじゃないか? 実は僕は、そういうものと関わる〈機構〉に属しているんだがね──」
と打ち明けてきたのだ。最初は疑ったが、〈オイフォン〉という異名を持つ彼の〝ヒス・バズ〟と称する特殊能力を見せられて、信用するしかなくなった。彼によると特別な才能を持っている者は危険な存在とされ、抹殺される可能性が高いということだが、
「僕が君を推薦すれば、その心配はなくなる。そして僕の方も強力な味方を増やしたということで〈機構〉での立場が良くなる。良いことずくめだ。そうだろ?」
とも説明されて、断る理由はなくなった。それから半月ほどが
(炎の魔女、霧間凪──)
あの女が、彼女が順調に増やしている配下たちを次々と襲撃して、彼女から引き離し続けている。凪に脅された者たちは予備校から去って行き、さらに勧誘しようとしたところにも介入してきて邪魔をしている。
(ヤツは何者だ? 何が目的なんだ? しかも──)
遠距離から、ちらっ、と見ただけだが──あの女には異様な〝におい〟を感じた。
(私が〝火
あんな感触は初めてだった。それこそ雨宮美津子や古嶋俊輝などは他の人間と大して変わらないから、機構の合成人間以上のなにか、ということになる。
(霧間凪、あいつには私の能力が効かない可能性が高い──直に会うのはまずい。といって放置するわけにもいかない。どうする──?)
と柚純がひとり、予備校講義の合間に自習室で悩んでいた、そのときだった。
こんこん、とノックの音が響いた。
はっ、と柚純は我に返った。つい物思いに
すぐに集中を取り戻す──ドアの外にいる気配は既に知っている。
「どうぞ、焼津さん」
そう呼びかけると、芽依がおそるおそる、という感じで恐縮しながら入ってきた。
「し、失礼します──」
この娘は、柚純の支配下にある者たちの中でも、かなりの優良児だ。暗示もとてもうまくいったし、命令への理解度も高く、忠実に実行してくれる。
「どうかしたの?」
そう訊ねると、芽依はうなずいて、
「あの──炎の魔女について、言っておかなきゃいけないことがある、と思って」
と切羽詰まった口調で切り出した。
「なんだって?」
柚純も身を乗り出す。芽依は顔を強張らせながら、



