ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 3 妄想の青色 -delusional blue- ④

「あいつ──うちの高校では有名な不良なんですけど、昔あいつに絡まれたことがある同級生が、変なこと言っていたのを思いだしたんです。なんかトラブルがあったらしくて、霧間凪はその後で停学処分になって。それで私が彼女に〝大変だったね、災難だったね〟って言ったら、その娘──なんか困ったような顔になって。そして──〝いや、そうじゃないの。そういうんじゃないのよ本当は。あの人は私を助けてくれたの〟ってワケわかんないこと言いだして」

「助けた? そう言ったの?」

「はい。でも霧間凪は実際に停学になってるから、悪いことしてたのは間違いないんで、なんか勘違いしてんのかな、とも思ったんですけど、その娘はさらに〝焼津もさ、なにか困ったことがあったら、霧間さんに相談するといいよ。どうしようもなくなっても、あの人ならきっとなんとかしてくれるから〟って──すっかり丸め込まれてて。でもそれっきりなんです。その娘だってそれ以降、霧間凪と話してるところさえ見たことないし」

「ふうん? ……炎の魔女って誰かとつるんでいるの?」

「いや、いつぴきおおかみです。いつも一人で」

「仲間を増やしたいって感じでもないのか。じゃあなんで人助けなんてしてるの? 目的は?」

「それなんですけど……トラブルが好きなんじゃないかな、って気がするんです。いつもごとに自分から首を突っ込んでいるのは、そういうことが楽しいんじゃないか、って」

「なに? つまりその……刺激を欲しがってる猟奇趣味、みたいなこと?」

「そう考えるとつじつまが合うな、って。だって見返りもないのに誰かのために停学になるようなことまでしないでしょう、ふつう?」

「むむむ……」


 言われて、柚純はあの凪の異様な〝炎上〟の説明がつく気がしてきた。


「つまり──ヤツをおびき寄せるには、なんらかの目立つトラブルを起こせばいい、ということか」

「はい。おそらく」


 芽依は確信に満ちた表情をしていて、そこには発言内容に対する〝不安〟は微塵も感じられない。


(この娘──ここまで自信家だったっけ。ずいぶんと断定するけど、でも否定しきれない説得力があるのも事実……この方向で行っても問題はなさそうだ)


 柚純がそう思っているのを察したのか、芽依は胸に手を当てて、


「府名井さん……ここは私に任せてくれませんか?」


 と言い出した。


「どうする気?」

「私と霧間凪は高校が同じ、深陽学園です……ウチは今、色々とヤバい感じなんです。府名井さんもちょっとぐらいは知ってるでしょう? この予備校でも成績が一番だった、百合原美奈子ってヤツが突然に失踪したり」

「ああ──」


 その名前が出てきて、柚純は内心で、ひどく動揺していた。

 百合原美奈子のことは、ちょっと知ってる──ぐらいではすませられない。それは府名井柚純の人生そのものを変えてしまった出来事なのだった。



 能力に目覚める前、柚純は単純な世界観の中で生きていた。

 それは努力すれば報われて、勉強すればステージが上がって、みんなが褒めてくれる方を目指していけば、自然と人生の勝者になれるはずだ、というもので、実際、彼女はかなり成績が良かったから、それで何の問題もなかった。彼女の両親はそれほど高学歴の人というわけではなかったから、娘が学校で良い成績を出せば素直に喜んで、彼女が望む進学先などをそのまま受け入れてくれるようなタイプだった。ありふれた優等生少女の一人に過ぎなかった。

 だがそんな彼女に、これまたありふれた壁が立ちはだかった。

 高校に入り、さらに勉強をしようと予備校にも入り、そして──そこで出会った。

 百合原美奈子に。

 彼女は県下でも有数の進学校である深陽学園の中でも、さらにトップの成績の持ち主という噂の天才少女だった。

 柚純は何度か彼女と模試で対決したが、その度に敗れた。柚純としては目標の点数に到達しているのに、百合原美奈子はいつもそれを上回ってしまうのだ。とうとう我慢できなくなって、柚純は百合原に、直に訊ねてみた。


「いったいどういう勉強をすれば、あなたみたいな成績が出せるようになるの?」


 それはかなり屈辱の質問だったが、やむにやまれぬ気持ちから出た行動だった。だがこれに百合原美奈子は一瞬、むっ、として、そして眉をひそめて、


「別に私は、なりたくて一番になってる訳じゃないよ。他にすることがないから、勉強してるだけ」


 と突き放すように言った。柚純は虚を突かれて、ぽかん、となってしまったが、すぐに、


「い、いやだから、そのやり方を知りたいのよ」


 と追いすがる。だがこれにも百合原は、


「あなた、一番になりたいの?」


 と訊き返してきた。柚純はムキになって、


「そりゃそうでしょ。誰だってそうでしょ。あなただって二番になったら悔しいでしょう?」


 と当然の抗弁をした。しかし百合原は、


「でも、しょせん受験勉強なんて、あと二年で終わりでしょ。後にはほとんど役に立たないことをやってるだけなのに、そんなにムキになってもしょうがない気がするけど」

「役に立たない、って──いい大学に入れるでしょ?」

「入ってどうするの? そこでも真面目にお勉強? 何のために? いい企業に入るため? それはなんで? 高給取りになりたいから? でもどんな会社だって倒産するかもよ。勉強していればその保障はされるのかな。一生安泰で、安全だって──」


 彼女は淡々とした口調で、しかしどこか確実に不機嫌そうに言う。その表情はとても整って見えて、まるで彫刻のように調和が取れていて、そして──


れい──)


 と、柚純は自然にそう感じてしまっていた。ぽーっとしている彼女に、百合原はうっすらと笑って、


「いや──ごめんなさい。別にあなたを責めてもしょうがないよね。でも、ちょっと羨ましい気がして」


 とびてきた。柚純は動揺して、


「ど、どうしてあなたが謝るの?」


 と訊き返した。百合原はうなずいて、


「いや、あなたには一生懸命に勉強しようって意欲があるから。そんな風に打ち込めることがあるのって、私にはまぶしく感じるから。でも──そうね」


 彼女はちょっと首を横に傾けて、


「勉強のコツだったよね。あなたに向いてるかどうかはわからないけど──私にとっては、受験って暇つぶしだから。少しでも空白の時間があるのが怖いから、やってるだけ──とにかく、そんな感じ。だから人生ぜんぶ暇つぶしだって思えば、勉強がつらいとかどうでもいい気になるよ。だって──生きてることそのものの方が正直、もっともっとしんどいんだから」


 と投げやりに、しかしどこか決定的に、真摯に、誠実に告げた。


「…………」


 柚純は絶句してしまって、二の句が継げなかった。

 百合原はそのまま柚純の反応を待たずに、立ち去っていった。

 

 それからしばらく柚純は、ぼーっとして百合原美奈子のことを考えるようになってしまった。講義中でも彼女が前の席に座っていると、その背中ばかり見つめてしまって集中できなくなったりした。その度に柚純はあわてて、


(いけないいけない──成績が落ちたら、百合原さんと同じクラスにいられなくなっちゃう──)


 努力の方向性が完全に変わってしまっていたが、そのことに自分では気づいていなかった。

 百合原美奈子が何を考えているのか、それを理解したいような、したくないような、ずっと憧れていたいような、近くにまで到達したいような、矛盾した心がふたつ、並んで存在している。常にモヤモヤとした気持ちが続いているが、それが不快ではない。不安といえばそうなのだが、他の不安とは明らかに違う好ましい感情がずっと消えない。


(なんだかな──受験、終わんなきゃいいのにな。そしたらずっと百合原さんの背中を見ていられるのに……)


 そんなことまで考えてしまうのだった。

 だが……そんなある日、百合原美奈子が唐突に、予備校の模試に出てこなかった。いつもだったらあの整った無表情で、余裕で最高得点をたたき出しても顔色一つ変えないはずなのに、理由もなく欠席した。