ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 4 限界の灰色 -limit gray- ③

 芽依は戸惑っていた。彼女の作戦では、かなり単純な性格であるはずの末真和子は、自分の親友の彼氏と霧間凪が浮気している、と言われたら即座に怒り狂って、霧間凪に突っかかっていって、学校中が大騒ぎになる、と考えていたのだが──そうなると霧間凪はまた停学か、あるいは退学になるか、どちらにせよ大きなトラブルになって、芽依たちの予備校のことなどかまっている余裕がなくなるだろうとみていたのだが──どういうわけか、末真和子はこの前のディベートのときのような激高は見せずに、雨宮美津子に会うとか言い出している──目的がさっぱりわからない。


(まあ、話を信じたのは間違いなさそうだから、末真を利用すること自体は成功しつつある、ということでいいのかな)


 彼女は腑に落ちないものを感じつつ、いったん末真と別れて、そして雨宮美津子に連絡を取ろうと携帯端末を手にした。しかし、


(──ん?)


 応答がない。彼女は〝いつでも呼び出していいからね〟と専用の回線まで用意してくれていたのに、そこに反応がない。


(なんだ──急用か? こんなときに、いったいどこに──)



 雨宮美津子こと合成人間リミットは、病院で検査を受けている。

 むろん通常の病院ではない。統和機構によって管轄されている、山奥にある真っ白い墓標のような建物の、特別な研究施設である。


「相変わらずだな。特に変化はない」


 医者の男がつまらなさそうな口調で言う。雨宮は顔をしかめて、


「まるで変化があった方がいいみたいな言い方をするよね、くぎ博士はいつも」


 ぼやき気味に言うと、釘斗と呼ばれた男はニヤリとして、


「そりゃそうだろう──前にも言ったが、別におまえたち双子は合成人間に改造されたからと言って、本来のこうげんびようはまったく治っていないんだからな。ただ症状が出てないだけだ。中途半端な形で安定してしまっているから、治療するにも研究するにも、手の付けようがないんだよ。患者としては実に厄介な存在だよ。いっそ悪化してくれた方が助かるってものだ、ひひひ」


 この釘斗博士は亜麻色の髪を長く伸ばしていて、顎に生えている無精ひげも亜麻色で、そのせいで全体的に輪郭がぼやけている。世界の中で、彼だけがピントがずれているかのようだった。


(そう言えば、あの末真和子の綽名も〝博士〟だっけ──言われてみれば、二人はどこか似ているような気もする)


 もちろん根性曲がりで意地悪なことばかり言う釘斗博士と、気さくで優しげな末真和子とは印象自体は真逆に近いのだが──それでも共通するところがあるような感触がある。それはきっと、


(二人とも、自分が納得したことしか受け入れないし、納得するまでの熟考も惜しまない。そしてその際の判断基準は、他人には理解しがたいほどの高レベルなのだろう──)


 そこまで考えてから、雨宮は急に我に返って、


(なんだそりゃ──私は何を考えているんだ。統和機構から認められるほどの天才科学者と、ただの女子高生を比べてどうする──変な感じで意識しすぎてるぞ、まったく──)


 と苦い表情になった。すると釘斗博士が、


「どうした、なにか気に掛かることでもあるのか」


 とすかさず訊いてきた。微細な変化も見逃してくれない。

 雨宮は少し沈黙してから、思い切って、


「あのさあ──博士はこれ知ってる?」


 と言って、懐にしまったままだった例の〝予告状〟めいた紙切れを取り出して、渡した。

 すると釘斗博士は、ちら、といちべつしただけで、雨宮を上目遣いに見て、


「本物か? いいや、そんなはずはないな、レプリカか」


 と紙切れを返してきた。


「どうしてニセモノだってわかる?」

「その質問には答えられないな。守秘義務がある。おまえにどれくらいの情報閲覧権限があるのか、私は知らないし」


 よどみなく、回答を拒否される。


「博士は、ペイパーカットの謎についても研究しているの?」

「それも答えられないが、しかし、正直に言うと、あまり興味が湧かない対象ではあるな。別に私は、生命の価値などには関心がないし」

「じゃあ、何に惹かれるの?」


 そう訊いたが、博士はこれには返事をせずに、


「価値の有無などというのは、それぞれバラバラな個々人の利己的で偏った視点の集積からなる中位数にすぎない。具体的な誰かが責任を持っているわけですらない幻影だ。そんなものに引っ張られて思考が歪められるのは愚かなことだ。だから私としてはその紙切れの文章は〝気に食わない〟し〝人を馬鹿にしている〟ようにしか思えない。対象を分析する者として、私は不適格だろうな」


 とひたすらに自分の見解を表明するだけだった。雨宮は吐息をついて、


「ごけいがんの通りに、こいつはニセモノよ。今やってる仕事で、こいつをバラいてる馬鹿と関係していて」

「おまえが好きそうな話だな?」


 ニヤニヤ笑いながら言われて、雨宮はますます苦い顔になって、


「どういう意味?」

「おまえはいつだって、世の中がひっくり返りそうな事件が大好きだろう。他の者が尻込みするようなところでも平気で首を突っ込むし、事件とは思えないような状況の中から破綻を見つけ出すのがうまい。だから統和機構から信頼されていると同時に、警戒もされている──」

「この検査も義務づけられてるしね」


 雨宮が投げやりに肯定すると、釘斗博士はうなずいて、


「そうだな。この半年に一回の定期検診はおまえの健康のためだけではない。危険な存在になったと判断されたら、毒でも盛られて始末されることになるだろうな」

「……いや、自分で言う? そういうこと」

「いやあ、そんなつまらない仕事のときは私は関与しないから、別のヤツが出てくるさ」


 実にさばさばとした口調である。しかし雨宮はこういうきわどい軽口をたたくこの博士が嫌いではない。


「私が博士を始末するように言われたら、素直に従うけどね」


 そう言い返すと、博士は真顔になって、


「いいや。おまえはそんなことはしないね」


 と否定した。


「そうかしら。私は冷徹な人間よ」

「だからだよ──おまえはそんなことになったら、こっそり私を味方に引き入れて統和機構に対する秘密の手駒の一つにするだろう。表向きは死んだことにして、な。冷静に的確に、徹底して事態に当たるなら、それが最善だと判断して、な」

「…………」


 雨宮も真顔になる。しかしすぐに頭をかるく振って、


「まあ、今はどっちもその心配はなさそうだけどね。それに私がそうなったら間違いなく、せっちゃんが殺しに来るでしょうから」

「リセットか。彼女も興味深いんだがな。おまえたちの検査は一緒にはさせられないことになっているらしく、私も会えないんだよな」


 釘斗博士もうんうん、とうなずいて、それから明るい顔で、


「しかし、どんな気分なんだ? 双子の妹が自分を殺しに来るかも知れないって気分は。子供の頃には誰よりも親しかった相手が死神になるというのは?」


 と無邪気に訊いてきた。雨宮は少し苦笑いを浮かべつつ、


「死神って──変なうわさばなしでもあるまいに」


 と呟いた。ブギーポップの話は、彼女もあちこちの女子高生たちから耳にしたことがある。


「でも、そうね──せっちゃんだったらいいかな、って思っているのが本音ね。統和機構の、他のつまらない連中だったら絶対に認めないけど、せっちゃんだったら──殺されても文句は言わない」

「ずいぶんと愛情が深いんだな?」

「だから──私がリセットを殺せ、と言われたら、きっと逃げるわ」


 口にしてから、雨宮は少し後悔する。うかつに言いすぎかも知れない。この部屋の会話も当然、録音され監視されているはずだった。

 しかしこれに釘斗博士の方が、


「ははは、そんなに偽装するな。わざと自分の弱味を出して、統和機構につけいる隙を与えるようなをしたところで、おまえの警戒レベルはこれ以上下がらんよ」


 と笑って冗談にしてしまった。そして続いて、