ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 5 妖精の茜色 -fairy red- ②

 と顔を近づけながら告げる。竹田はドギマギしながら、う、うん、とうなずく。


「よし──なあ竹田さん、あんたは他人から余裕こいてるように見られるかも知れないが、苦労は人の何倍もしてるんだから、気にすることはないぜ、いいな?」

「──は?」

「予備校の方は、オレがなんとかする──あんたたち二人の、恋路の邪魔は誰にもさせないから」


 ぽん、と凪は竹田の胸をかるく拳で突いて、そして去って行った。


「…………」


 竹田は茫然とその後ろ姿を見送るしかなかった。



 凪の協力者であるばらけんろうによると、古嶋俊輝という男はかなり〝クロ〟であるらしい。


「どうも周辺の人間をそそのかして、色々とやらせることが多いんだな。うまくいっていることもあるが、失敗している例も多い。しかし自分ではその責任を取らずに、いつのまにか消えていて、トラブルになった現場からはとっくにいなくなっている──なあ凪、あんまりこいつには直に関わらない方がいいと思うんだが」


 健太郎が珍しく弱腰になっているので、凪は、


「そうだな──ヤツ本人には接触せずに、その周辺から当たることにするよ」


 と彼には言って、そして──その一時間後には、凪は予備校の駐車場にバイクを停めていた。

 予備校には事前に予約を取っている。受験生として予備校に在籍する考えがあり、かつ高額の寄付金をする用意もある、と。霧間凪の名前はこの辺ではそれなりに知られているので、それならば、と機会だけは設けられた。不良を更生させて大学に合格させた、という話になるなら予備校としてもメリットがあるからだ。

 しかし──もちろん凪は、そんな面接があるとは思っていない。

 あれだけ深陽学園で派手に目立った後で、情報が古嶋に届いていないとは思っていない。


(さて──何をしてくる、古嶋俊輝──)


 凪は革のつなぎを着ており、その中身は臨戦態勢──電磁ロッドをはじめとした各種の装備を隠し持っている。

 凪は慎重な足取りで、予備校の正面口から堂々と入っていく。

 そこで──彼女の視線が壁の方に向いた。

 一枚の絵が飾られている。

 荒野に大勢の人がいて、手を取り合って空を見上げている、という絵だった。その空は暗いような、光が差し込んでいるような、どちらとも取れる描き方をされている。

 題は『四月に降る雪』と記されていた。


「…………」


 凪がしばし、その絵を見つめていると、横から男が近づいてきて、


「この絵をどう思いますか?」


 と感想を求めてきた。凪はちら、と男に眼を向ける。

 白い服を着た男だった。まだ若く、凪とさほど年齢は離れていなさそうだった。穏やかな顔をしていて、ゆったりと微笑んでいる。その笑みを見て、凪は少し嫌な感触を受けた。その男本人にはなんら不審な点はなかった。しかし、凪は以前にもそういう笑い方をする少女と出会い、交流したことがあり、それは決して幸福な結末とはならなかった。苦いおもだった。

 ただただ〝笑う〟ということだけが抽出されたような、純粋な微笑み──あの少女に近いものが、その白い服の男にもあった。

 男の胸から下げられた入館証には〝飛鳥あすかじん〟と書かれている。肩書きは講師だ。


「嫌な絵だな」


 凪は即答していた。すると飛鳥井は、ふふっ、と苦笑して、


「これは手厳しい」


 と言った。凪が絵に眼を戻すと、その隅にはサインがしてあるのがわかった。


「あんたの絵か」

「そうです。よろしければ、何がお気に召さなかったのか、教えてくれませんか」

「あんた、自分でもこの絵の風景を信じていないだろ。絵空事だと割り切っている。でも未練もある。その迷いが線の微妙な乱れにつながってる──あんた自身はどうなんだ。この絵が好きか?」


 凪はぶっきらぼうに、しかし落ち着いた調子で切って捨てた。飛鳥井は少し顔を伏せて、


「いや、痛いところを突きますね──素晴らしい慧眼だ。確かに、私自身もこの絵を胸を張って自慢できるかと言われると、ためらってしまうところがあります。でも──好きになりたいとは思っていますよ」

「芸術家としちゃ真摯な姿勢だな。予備校講師なんてバイトは早くやめた方がいいぜ」

「なかなかそうもいきませんよ。戻ってきたばかりだし──」

「休暇でも取ってたのか。そのまま休んでいればよかったのに」

「まだやることがありますのでね。ところで──あなたはもしや、霧間凪さんではありませんか」

「そうだけど」

「やっぱり──あなたのお父上の著作は読ませていただいています。特に〈VSイマジネーター〉は名著ですね」


 飛鳥井にそう言われて、凪は顔をしかめる。


おやの話はしないでくれ。オレはその本だって読んでいないし」


 あからさまに不機嫌そうな凪を見て、飛鳥井はさらに微笑んで、


「そうですか。それは失礼しました。で──今日は何の用ですか。まさかこの予備校に入りたいという訳ではないでしょう?」

「あいにくそうなんだ。これから話を聞きにいくところだ」

「おやおや──噂に聞く〝炎の魔女〟とも思えない言葉ですね。ここに気になることでも見つけましたかね」

「あんた同様、こっちにも色々あるんだよ。じゃあな」


 凪は飛鳥井に背を向けて、受付の方に向かっていく。するとその背中に、飛鳥井が、


「霧間さん──ここに立ち入るなら、とりあえず〝耳鳴り〟には気をつけた方がいい」


 と声を掛けてきた。凪が振り向くと、飛鳥井は耳元をとんとん、と叩いて、


「気圧が乱れていますのでね──耳鳴りに気を取られると、注意力が散漫になりますよ」


 と奇妙な忠告をしてきた。凪が無言でいると、彼はかすかにしやくして、


「いずれまたいましょう──炎の魔女さん。そのときは力を貸しますよ」


 と言って、彼の方も背を向けて、玄関から外へと出て行った。白い服の男は一度も振り返らなかった。


「…………」


 凪は、しばし男が消えていった方角を見つめていたが、すぐに集中を取り戻し、受付に顔を出した。


「予約した霧間だが──」

「はい──二階の、第一面接室でお待ちください」


 ほとんど機械的に指示された。凪は言われた通りに、エレベーターに乗って上階へと向かった。



「あ、あの末真さん──別にそんなに急がなくても、雨宮先生に会うのは明日でもいいんじゃないかな」


 と焼津芽依が話しかけても、末真和子は聞く耳を持たずに、


「いや、明日はわたしと藤花の講義があるから──今日なら彼女、予備校に来ないから」


 と、ずかずかと早足で、予備校へと向かっていく。学校の授業が終わるなり、末真は芽依を引っ張るようにして連れてきたのである。彼女が何を考えて、雨宮美津子に会いたがっているのか、芽依には見当もつかない。


(どういうつもりなの、こいつ? 予想以上に無茶苦茶なんだけど──)


 雨宮美津子には連絡がつかない。今、どこで何をしているのか全然わからない。


(なんでこんなことになってるの? ええと、そもそも何が目的なんだったっけ──)


 芽依がすっかり混乱していると──その視界の隅でこそこそと蠢く影が囁いてきた。

 

〝おいおい、ヤバいぜこいつは〟

〝こんなバケモンを連れて行ったら、府名井柚純なんてひとたまりもないぜ〟

〝しょせんはニセモンだからな、あいつも〟

 

 芽依はぎょっとした。


(にせもの──って、どういうこと……この妖精たちは何を言っている?)


 彼女が動揺している間も、妖精たちは囁き続けている。

 

〝結局、真実に向き合う勇気なんざ、誰も持っちゃいないってことだな〟

〝噓と不条理で、自分にとって都合の良いイメージで塗りつぶすだけなんだよ〟

〝止めるなら今のうちなんだがな〟

 

 そう言って、芽依のことをチラチラと見てくる。

 芽依は訳がわからなかったが、しかし……この妖精たちの言うことの〝逆〟を選べば自分にとって良い方向に向かうはず、という確信までは揺らいでいないので、