ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 5 妖精の茜色 -fairy red- ③

(府名井柚純はにせもの──そして、この末真和子は、ばけもの──止めるなら今のうち……逆に、止めなければ──それは……)


 芽依の胸のうちで、むくむくとどす黒い感情が湧き上がっていく。

 そんな芽依の内面など、当然認識できない末真は予備校へと急いでいたが……その寸前、予備校横の駐車場が視界に入ったところで、その足が一瞬、停まった。

 そこには一台のオフロードバイクが置かれていた。別にそれだけなら、なんということもない。駐車場にバイクがある、当然のことだった。

 そのはずなのだが……末真はそのバイクを見て、言いようのない違和感を覚えていた。

 


(なんでだろう……なにか、ひどく嫌な感覚がある……)


 わたしは、自分でも不思議なくらいに、そのバイクに引っかかっていた。

 今、ここに近づいてはいけないのではないか、という気がして仕方がない。別にそのバイクに見覚えがあるとか、危険な兆候があるということなどまったくないのだが、それでも心の底から〝すぐに離れるべき〟という気がしてしょうがない。


(でも──)


 わたしは今、自分の安全のためにここに来ているのではない。藤花のために、わたしは雨宮美津子に会わなければならないのだ。彼女にどうしても確認しなければならないことがあるのだ。


(ええい──こんな感覚は、ただの弱気で、気の迷いだ……!)


 わたしは自分に言い聞かせて、駐車場の前を通り過ぎて、予備校の中に入っていった。

 しかし、受付に訊いたら雨宮先生はまだ来ていないという。予定では三十分くらい後にならないと出勤してこないらしかった。


「しょうがない、待つか──」


 私は自習室の申請をして、そこで待つことにした。すると芽依が、


「あの、末真さん──先に行ってて。私、ちょっと人を呼んでくるから」


 と言ってきた。


「え? 誰を?」

「府名井柚純さん。彼女にも手伝ってもらえると思うから。ほら、こないだのディベートのときにも後ろで見ていたし」


 そう説明されて、わたしも、ああ、と理解した。確かにあのとき、この予備校でトップの成績を誇る府名井さんも出席していたっけ──事情は把握しているだろう。


「いいけど──府名井さんもその、知ってるのかな。ほら、妖精とか」

「大丈夫です。じゃ、後で──」


 芽依はわたしの不安を理解しているのかいないのか、早足で予備校の階段を上って行ってしまった。


(うーん……あんまり事を大きくしたくないんだけど……)


 しかし、そもそも府名井柚純みたいなエリート優等生がこんな話に乗ってくれる可能性も低いから、無視されて終わりってことも充分あるので、とりあえずは考えないことにして、わたしは自習室に入った。広いフロアが開放されていて、いつもなら大勢の生徒たちがもくもくと勉強しているのだが……なぜかこの日は、がらん、と空っぽになっていた。

 誰もいないのかな、とわたしは室内に一歩足を踏み入れると、席のひとつに腰を下ろした。

 ただぼーっとしているのも間が持たないので、わたしは誰かが入ってきたときに不審がられないように、机の上にノートを広げた。

 特に書くこともないので、頭に浮かんでくることを適当に記していく。わたしが今、気になっていること──それは、

 

〝これを見た者の、生命と同じだけの価値あるものを盗む〟

 

 ──という一文である。わたしが持っていたのを、雨宮美津子が妙な執着と共に持っていった、あの紙切れに書かれていた文言。

 あらためて書き起こしてみると、どういう意味なのか全然わからない。これはなんなのだろう──とわたしが思っていると、ふいに横から、


「生命と同じだけの価値、って──なんなのかしらね?」


 という声がした。わたしが顔を向けると、そこには一人の少女が座っていた。


(あれ──この娘、どこかで──)


 わたしがぼんやりとしていると、少女はうなずいて、


「あなたなら、その答えがわかるのかも。ねえ、博士」


 と話しかけてきた。わたしはここでやっと、はっ、と我に返った。

 驚きはなかった。ただ少女が隅に座っていたのを、ぼーっとしていたわたしが気づかなかっただけで、いつまにかそこに湧いて出た──なんてことはないのは、さすがに理解できる。

 そして、メモするときにわたしは、ぶつぶつとその内容を呟いていたのだろう。だから彼女にも聞こえたのだ。うん、きっとそうだ。それだけのことだ。

 とにかく──その少女を見ていると、なんだかあらゆる動揺がせていって、焦る気がしなくなってくるのだった。

 見た目はごく普通の女の子で、前髪をとめている金属のヘアピンが、なんだかやけにきらきらと光って見える。

 銀色が、目につく──。



 つん──と焦げくさい感触が府名井柚純を包み込んだ。


(なんだ──?)


 彼女の能力〈ローリング・アンザェティ〉が異変を告げていた。周囲の〝不安〟を察知できる彼女の感覚が、今──この予備校に濃密で巨大な〝不安〟が生じつつあると警報を発していた。


(これは……一人や二人の規模じゃないぞ──どういうことだ?)


 彼女が戦慄していると、個別自習室のドアをノックする音が響いた。

 びくっ、と身をすくめたところに、外から、

〝柚純さん、芽依です──至急、お伝えしなきゃいけないことが〟

 という声が聞こえてきて、そして返事をする前に、焼津芽依が焦って飛び込んできた。


「な、な──」


 啞然としている柚純に、芽依は、


「なんか変な感じになりまして──末真和子が今、一人でここに来ています」


 と切羽詰まった口調で言ってくる。


「は? 何の話?」

「とにかく──あいつは一人きりで、連れの宮下藤花はいません。今なら柚純さんが、あいつを支配下に置けますよ」

「どういうこと? 末真がなんだって? あの娘のことなんか、もうどうでもいいんだけど──」

「とにかく急いだ方がいいです。末真はなんか知らないけど、雨宮美津子と会いたがっていて、何かたくらんでるみたいです」


 芽依の言うことは要領を得ず、柚純はひたすらに混乱したが、


(こいつの前で、私がアタフタするのは良くない──常に自信満々の態度でいなきゃ──ええい、なんでこんなときに限って、古嶋俊輝のヤツは近くにいないんだろう?)


 彼女は眉間に皺を寄せつつ、席から立ち上がり、


「まあ──よくわかんないけど、とにかく末真和子をどうにかすればいいんでしょ」


 と芽依にうなずいて見せた。

 焦げくささは、どんどんひどくなっていく──しかし、このときの柚純は、目の前の芽依からは〝不安〟がまったく感じ取れないことには気づいていなかった。



「えと──その」


 わたしがおずおずと話しかけると、銀色のヘアピンを付けた少女はにっこりと微笑んで、


「変な紙切れが出回っているらしいよね。あなたもそれを見つけたのでしょう、博士」


 と言った。わたしはうなずいて、


「うん、そうなの。それが気になっちゃって」

「誰がなんのために、というのもあるけど、そもそも意味がわからない、って感じかな、博士は」

「えと、そうね──そうかも」

「まず前提として、生命に価値ってあるのかな」


 少女はいきなり本質的な指摘をしてきた。わたしはとっさに、


「それは話が逆なんじゃないかな。生命あるものにしか認識という現象はないのだから、生命以外に〝価値〟というものを規定することはできないでしょう」


 と口走ってしまっていた。いつもの友人たちとの会話ではまず、やらない持って回った言い回しをしてしまっていた。

 少女はわたしの難解な口ぶりにも、まったく戸惑うことなく、


「価値を決められるのが生命だけなら、それと同じだけの価値あるものというのは、なんなのかしらね」


 と完全に内容を把握した上で訊き返してきた。わたしもつられて、


「そこなのよね。生命と同じだけ、って言い方から、それはすなわち〝生命ではない〟という意味だから。もの、とも言ってることから、生命反応のない物体、という限定がこの言葉には入っている──でも実際、人間にとって生命よりも重要な物体なんて、あり得ないし」



刊行シリーズ

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