ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 5 妖精の茜色 -fairy red- ④

 と立て板に水が流れるように、つらつらと考察を述べていた。ずっと気になっていたことを、発信する機会が与えられて高揚していた。

 少女はわたしを見つめてきて、


「あり得ないのかな」


 と訊いてきたので、わたしはうなずいて、


「どんな人間だって、死んだらそれまでで、どんな宝だって、どんな大金だって、どんな土地だって、どんな地位も名誉も、なんの役にも立たない──生きているから、それらに価値を見いだせるのだから」


 と言うと、少女はかすかに首を傾けて、


「それは少し人間を個別な存在と捉えすぎている発想かも。だって人は、他人から評価されないことを嘆いて、自ら生命を絶ってしまったりするでしょう?」


 と反論してきた。わたしもうなずいて、


「それで言うと、家族を助けるために自らの生命を投げ出す人もいるよね。その場合は、人間をひとつの存在ではなくて、ある程度以上の数をもつ集団として考えることになる。他人の心の中で、価値ある存在として認められたくて死んでしまうような人もそうで、自分自身よりも他人の評価の方に価値を感じていて、かつその他人は自分は死んでも生きているはずという仮定に立っている。けど──どちらにしても、生命とその継続に価値を見いだしている点で、生命と同じだけの価値あるもの、なんていう定義からは外れてしまう」

「確かに」

「あの予告状では、その辺は全部切り捨てられている。価値と言っているくせに、その重みを考えていないみたいに。というか──」


 わたしは話している途中で、やっとそのことに気づいた。


「──あれだと、生命の方が軽い。その何かを盗まれたら、それでその人が死んでしまう、って言っているみたい」

「その何かを、仮にキャビネッセンスと呼ぶとしましょう。博士は、そういうものが実際にあり得ると思う?」

「え? うーん……ないこともない、でしょうね。一部のコレクターみたいな人だったら、その──キャビネッセンス? に当たるモノがある可能性もある。これを手元から失うくらいだったら死んだ方がマシ、とか思っていて」

「それは生命の価値とは違うんじゃないかな。その場合はただの執着でしょう。本人があくまでも、その対象物の上に立って所有していることに固執するようなモノは、キャビネッセンスたり得ない。その場合、一番先にあらわれるのは〝奪われたら取り返したい〟という活力だと思うけど」


 少女に言われて、わたしも納得した。


「そうか。それはその通りだと思う。キャビネッセンスというのは本人の生命と同格であって、持ち主、というような特権性を発揮できない──だから価値として、平衡する。なくなったら死んでしまう──」


 わたしは言いながら、少しぶるるっ、と身震いした。背筋が寒くなる感覚があった。そうだ、形式こそ怪盗の予告状みたいだけど、実質的にあの文章は〝死刑宣告〟──殺意の結晶といってもいい内容なのだ。

 そんなわたしの怯えを見て取ったか、少女が、


「博士が思う、それに近いモノって何? ──そう、特定の物体とかに限らずに」


 と話の幅を広げてきた。わたしは少し気楽になって、


「いや、それで言ったら単純きわまりないけど〝熱〟じゃないかな?」

「ふむ」

「人が奪われて、即、死んでしまうものは体温だから。真夏にタオルを腹部に巻いていて、それが汗でれて、ちょっと昼寝している間に気化現象で体温が奪われて、亡くなってしまった人もいるくらいだし。別に冬山に行かなくても、人間は低体温症で死ぬ。熱をられたら、それでおしまい──」

「すべての生き物は、熱があるから活動しているものね」

「化学反応だからね、結局。どんなに抽象的な御託を並べてみても、その現実は変わらない。これは気持ちではどうにもならない」

「じゃあキャビネッセンスは〝熱〟の類似品ということになるのかな」


 少女に言われて、わたしは少しはっとして、


「そう──なのかな?」

「確か、こんな歌があるよね──

 

 いのち短し、恋せよ乙女

 あかき唇、せぬ間に

 熱き血潮の、冷えぬ間に

 明日の月日のないものを

 

 ──これも〝熱〟の話になるかもね。生きていることの意味、理由、価値──それって要するに、すべてはその人の内部にしかない〝熱〟──つまり火を熾して、それを守ることに掛かっている。その火が消えるとき、生命も終わる」

「…………」


 わたしは、彼女が歌っているのを聞き入ってしまった。言葉もなく、感無量になっていた。心奪われた、そんな表現がふさわしくて──そして、我に返る。


「キャビネッセンス、って──それを奪ったとして……何の意味があるの?」

「…………」

「だって、そうでしょう──その人にしかない〝熱〟を奪ったって、何の得にもならないでしょう。だって、その〝熱〟はその人にしか価値がないんだから。だったらそれを奪われた人は、ただの無駄死にしかならない──何の意味もない……似ているものがあるとすれば、それは……」

「それは?」

「それは……そう、小さな子供が、カマキリの首をもいだり、ありの巣に水を流し込んだりするのと同じ……面白半分に、イタズラ感覚で、さつりくするのとなんの違いもない──」

「どうして、その子供はカマキリの首をもぎ取るのかしら」

「それは──」

「それは?」

「それは──好奇心……こんなことしちゃったらどうなるんだろう、っていう、ただそれだけの気持ち……」

「そのときの〝知りたい〟という気持ちに根拠はないよね。それはもう、人間というのはそういう風にできている、という以外に理由はない。いや、そもそも生命そのものが、未知の領域に侵食していくことを指向している。それがどんなに薄い可能性であっても、あると知ったら、そこに向かって突き進むのをやめられない。確率が数百万分の一でしかないと知りながら、ギャンブラーが生活費をつぎ込んでまで、起死回生で一発逆転に賭けることをやめられないように。百万の敗者の中の、たったひとりの勝者というせきを目指すことを、生きる目的にして──そうやってこの星は、生命であふれかえることになったのだから。数千億の無駄の中の、気まぐれな奇蹟に賭け続けて、今に至っている。犠牲などいっさい顧みない。そこに何のも、道理も理由もない」

「好奇心に、理由はない……それじゃあ、人間が生きていることそれ自体にも、実は意味はないのかも知れない」


 わたしがぼそりと呟くと、少女はうなずいて、


「でも、意味を求めて人は生きている。そこにはどうしようもない断絶というか、理不尽がある。あなたはそれを知っている人でしょう、博士」

「……わたしは」


 わたしが今、こうして生きていることには根拠がない。わたしは殺人鬼佐々木政則の気まぐれで、ただ生き延びているだけだ。仮に、わたしにキャビネッセンスがあるとして、そんな宝物に生命を仮託できるほどの価値自体が、わたしの中には存在しないかも知れない……そんなことをぼんやりと思っていると、少女は、


「博士には、キャビネッセンスの問いは無駄にしかならないでしょうね。あなたの〝熱〟は今、ここにはないから」


 と不思議なことを言った。


「え?」

「自分では過去に囚われている、と思っている。生命の意味も、錯乱した昔に置いてけぼりになっている、と信じている。でも……それはきっと逆。あなたが陥っている逆説。博士の〝熱〟は──もっと先に、未来にあるから」


 少女はずっと、わたしのことをまっすぐに見つめている。ヘアピンの、その銀色の光ばかりがわたしの眼の中に突き刺さってくる。


(ああ──)


 この娘──どこかで見たことがある、と思ったのは勘違いではなかった。会ったことはない、あるはずがない。しかしそれでもわたしはこの娘の顔を知っていたのだった。写真でしか見たことはない。だがその顔を忘れることなんてできるはずがない。それは……、


(この人は──わたしの前に、佐々木政則に殺された少女──その人が、もしも生きていたら、成長していたら、きっとこういう顔になっていたはずの、その姿──)



刊行シリーズ

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