ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 6 錯誤の紫色 -false purple- ①

あやまちを犯しても他人に押しつけることに成功してしまうと、次は他人に押しつけるための過ちをわざと犯すようになるだろう』

──霧間誠一〈十字架上のアイロニー〉


 霧間凪は指定された面接室に入ったが、そこには誰もいなかった。


「…………」


 凪はちら、と横目で天井の隅に監視カメラがあることを確認する。

 椅子があるが、座らずに立ったままでいる。多少は焦らされて様子見をされるかも、と思っていたが──彼女が入室してから二分と経たないうちに、予備校職員が三人入ってきた。古嶋俊輝はいない。


「ええと、霧間さん──どうぞ座ってください」


 職員はごく普通に促してきた。凪は無言で席に着く。それからは通り一遍の面談が始まった。凪は適当に答えていく。


(この職員たちは──何か仕込まれている訳ではなさそうだ。ただ仕事をしているだけだ。古嶋と接触したりもしていないようだが……ではこの時間はなんだ?)


 凪が考えを巡らせていると、職員の一人が書類に項目を書き込んでいたその手から……ペンが落ちた。

 カラカラカラ──と床に転がる。凪は拾おうと席から腰を浮かしかけて──そこで違和感を覚えた。

 身体が、妙に重い。


「あ──」


 そして、ペンを落とした職員も、半開きの口から弱い呻き声を漏らして、テーブルに突っ伏した。

 その横の職員の首も、がくん、と後ろに折れて、そのまま椅子ごと転倒した。

 その勢いに押された隣の職員も、弾かれて横転した。

 全員──倒れる前から意識を失っていた。


(な──)


 凪の身体も、どんどん傾いていく。そこで彼女は、うっすらと聞こえてくる、

 ぶーん……

 という音に、やっと気がついた。耳鳴りのような微細な音が、周囲に響いていたのだった。


(そうか──職員との会話は、この〝耳鳴り〟に気づかせないための──)


 凪は武器を取り出そうとしたが、その手も震えて、電磁ロッドを取り落としてしまう。そして彼女の身体も床に落下して──そのまま動かなくなる。

 しばらく静寂が続いたが──数十秒後、ドアが開いて一人の男が入ってきた。

 古嶋俊輝である。


「ふん──」


 室内の人間たちが全滅しているのは既に監視カメラ映像で確認済みなので、特に喜んだりはしない。

 この場にいた者たちに何が起こったのか──それは古嶋俊輝の〝能力〟に干渉された結果である。

 ほとんど寝たきりの難病に冒されていた子供の頃に、統和機構によって特殊な〝薬液〟を投与された結果、合成人間として生まれ変わった彼は、身体中の、特に手のひらの皮膚を振動させることで、特殊な波動を発生させることができるようになった。


〈オイフォン〉──それは合成人間としての彼のコードネームであると同時に、その特殊な能力の名称でもある。

 その波動は機械でもほとんど測定できないほどの微細なもので、物体に浸透すると、その表面もまた振動を始める。それは周囲の空気をも揺さぶり、聞き取ることも難しい音波となって、生きているものに浴びせかけられる。

 その〝音〟を直に感知することはかすかすぎてできない。ただうまく聞き取れないという不快感だけが積み上がっていって、耳鳴りという現象が生じることもある、というだけだ。しかしそんなものはこの能力のほんの前提でしかなく、真の効果は肉体の自律神経そのものに微細な不協和音を生じさせて、その機能を停止させてしまうところにある。様々なノイズが神経系の中でぶつかり合って、脳が処理できなくなってしまうのだ。身体にパニックを起こす──そういう表現が適切かも知れない。彼が直に相手に触れれば、逆にそこまでの効果は出せない。気分を悪くさせる、ぐらいの威力しかない。しかし壁などの硬くて大きな物体を間に挟むことで、その波動は大勢の人々を無差別に攻撃できるようになるのだ。

 この攻撃を〝ヒス・バズ〟と彼は呼んでいる。静かに広がる騒音、という意味で、彼の特殊能力を利用した、彼にしかできない攻撃法である。それは彼自身が子供の頃にずっと感じ続けてきた、気絶しそうになるほどの不快感を、他人にも浴びせかけることができるものである、ともいえるかも知れない。

 殺傷能力はないが、しかし制圧用としては極めて強力なものであり、統和機構からも使用には慎重な判断を要求されている。

 しかし──今回は問題ないはずだ。正式な任務の途中での必要な作業だからである。


(さて──こいつが霧間凪か。焼津芽依が報告していた、正体不明の邪魔者……焼津の提案で、学校内で騒ぎを起こさせて停学に追い込む、みたいな作戦だったが、ここに直に来たのなら、話が早い……もっと事を大きくして、いっそ警察沙汰にすればいい)


 俊輝の前で、今……四人の人間が倒れている。三人は予備校の職員で、事情も何も知らない、罪のない一般人だ。


(こいつらを、これから殴って負傷させる……その犯人は当然、この有名な不良少女だ。面接中に逆上して、いきなり職員に襲いかかった──ということにしても、本人以外は信じるに決まっている)


 俊輝は床に目をやる。そこには凪がさっき取り落としたロッドが転がっている。


(こんな警棒を普段から持ち歩いているようなヤツは、怪しまれて当然──ごうとくだ)


 彼はその金属製の棒に手を伸ばした。これで職員たちを殴りつけて、彼女の手に握らせたところで警察を呼べば、すべて片付く──と腰をかがめた、その瞬間だった。

 手首を、がしっ、と摑まれた。

 いきなりすぎて、驚くことも忘れて、彼はそっちを見た。

 霧間凪が、油断しきっていた古嶋俊輝の腕を摑んでいた。

 その眼が、彼のことを睨みつけている──気絶していない。


「わ──わっ?!」


 俊輝はとっさに、能力を放っていた。摑まれた手首を通して、波動が凪に直に伝達する──だが、これでは威力がない。

 しかしそれでも、凪の握力がわずかに緩んだ。俊輝はあわてて凪の手を強引に振り払って、そしてその場から逃げ出した。

 凪も、ロッドを拾いつつすぐに立ち上がる。追ってくる。


(な、ななな──なんだ、どういうことだ? なんであいつは意識を保っているんだ? ええい──こうなったら)


 俊輝は、壁に手を当てて──全開で能力を解放した。波動は振動となって、予備校のビル全体を揺らした。さっきの室内だけでなく、建物全体を攻撃した。ここで──屋内にいたすべての人間が〝ヒス・バズ〟攻撃を食らって、それぞれの場所で気を失って倒れていった。


(──どうだ! これなら──)


 と俊輝が後ろを振り返ったとき──凪も立ち停まって、そして奇妙な動作をしているところだった。

 手にしている電磁ロッド──それを、自らの首筋に当てている。ぱちっ、という通電音が俊輝の耳にも届く。


「──っ!」


 きようがくする俊輝に、凪はうなずきながら、


「そうだ──古嶋俊輝。どうやらおまえの能力は、耳鳴りを起こさせて、人間の肉体をパニック状態に陥らせるものらしいな──だから、こうやって先に、身体をわざと異常な状態にしてしまえば、影響を軽減させることもできる──ってわけだ」


 と落ち着いた声で言った。電気ショックをらった直後とは思えない冷静さだった。


「な、なな──」

「おまえも小さい頃、自分の身体の不調を見つめ続けてきて、それでこの境地にも達したんだろうが──その辺は、オレも同様なんでな」


 凪はぶるるっ、と身震いして、ショックから立ち直ると、ふたたび俊輝に向かって迫ってきた。


「あ、ああ──」


 俊輝が思わずへたり込んでしまった、そのときだった。

 ここまで俊輝から一切、目を離さなかった凪が──ふいに横を向いた。

 そして、両腕を顔の前で交差させて、身をすくめる──次の瞬間、彼女の身体は吹っ飛んでいた。

 廊下を突き抜けて、そのまま階段を下へと突き落とされる──凪は身体を固めたまま、見えない力に逆らえずにその場から追いやられた。


「え──」


 茫然としている俊輝の前に、反対側の廊下から駆け寄ってくる人影があった。


「おい──何をしている!」