ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 6 錯誤の紫色 -false purple- ②

 怒声をあげる、それは合成人間リミット──雨宮美津子だった。

 今、霧間凪を吹っ飛ばした見えないパワーこそ、彼女の特殊能力〈エアー・バッグ〉の作用である。


「い、いやその──」


 おどおどするしかない俊輝に、雨宮は彼の腕を乱暴に摑んで、


「とにかく──この場を離れるぞ!」


 彼女が手を軽く振ると、横にある窓がひとりでに開放されて、そして──雨宮は外へと飛び降りた。

 落下──はしない。

 逆に、見えないトランポリンに弾かれるように、二人の身体は大きく上へと跳び上がっていった。



 凪は階段を転げ落ちながら、同時に、


(しかし──圧力に鋭利さがないな)


 と見切っていた。


(空気──それ自体が動いている。衝撃波のようなものはないし、貫通する銃弾の性質もない──)


 彼女がこれまで、又聞きの曖昧な情報でしか聞いたことのない相手であるリミットの、その本質を理解していた。


(基本は〝防御〟だ──こっちから攻撃するのを、ひたすらに無効化する方が、あっちから攻めるよりも遙かに得意──)


 凪は結局、地下二階の倉庫フロアまで落とされてしまったが、体勢を丸くしていたために、さほどのダメージは受けずに済んだ。


(せいぜい、打撲程度だな──十二箇所ほどあざになるか)


 途中からは圧力もなくなり、ただ勢いで転落していたことも、凪は察している。


(射程距離はかなりありそうだが──それより、向こうも移動したようだな。間合いを取った──つまり、事態を把握する必要があるんだろう)


 古嶋俊輝と雨宮美津子の間に、作戦の共有はできていなかった、と見るべきだった。相手にあまり猶予を与えてはならない。


(すぐに追撃する方が、いったん逃走するよりも良い──)


 凪は立ち上がって、自分だったらどこに向かうだろう、と雨宮たちの動向を予想しようとして──そこで、視線を感じた。


「──っ!」


 彼女は上を見た。そこは天井の隅であり、監視カメラなどもない。しかし──確かに見られているような感触があった。それに──


(何かコソコソと呟いていたような──そう〝逃げろ〟〝逃げた方がいい〟とかなんとか──幻聴にしては変にエコーが掛かっていて──)


 凪は一瞬だけちゆうちよしたが、しかしすぐに気持ちを切り替えて、階段を駆け上がっていく。

 

〝……おいおい、なんだアイツ〟

〝今……確実にこっちの方を見たぞ〟

〝とっさに隠れなきゃ見つかっていたな〟

〝あの魔女──〈お守り〉も持ってないくせに、我々プルハ・メルハが見えるっつーのかよ?〟

〝妖精の領域に、人間の分際で干渉できるってのか?〟

〝魔女だから、フツーの人間じゃないのかもな〟

〝しかも、こっちが逃げろって言ったのに、逆のことをしやがって──生意気だな〟

〝生意気だな〟

〝生意気だな〟

〝こいつは懲らしめてやらねーとなぁ?〟

 

 妖精たちは、ひひひひ、と笑いながら、その場から消えると、次は建物の屋上に現れた。

 そこには逃れてきた雨宮美津子と古嶋俊輝がいた。深刻な顔をして、なにやら話している。そこに妖精たちは、ニヤニヤしながら語りかけていく。

 

〝話し合いなんか無駄だって〟

〝アレコレ考えたって意味なんかないって〟

〝やるかやられるか、それっきゃねーって〟

〝どうせ答えなんか出ないんだから……〟

 


(……うう──なんか、頭がモヤモヤするな)


 雨宮美津子は、頭を働かせなければならない事態の最中だというのに、耳元でわいわい言われているときのような不快感に襲われていた。


(しかし、そんなこと気にしてる場合じゃない──)


 彼女は険しい顔で、古嶋俊輝の襟を摑んで、


「おい──あの女はなんだ! おまえ、禁止されてる能力まで使ったな──どういうつもりだ?」


 と責め立てた。俊輝はろうばいしながら、


「あ、あれは霧間凪です。炎の魔女です──」


 と言うと、雨宮はぎょっとした。


「なんだって? 今、なんて言った?」

「だ、だから──僕らのことを前から探っているヤツがいるって言ったでしょう。アイツがそうなんです。霧間凪といって、この辺じゃ有名な不良なんですが──それは表向きで、どうやら隠れて何か企んでるらしい、って──無力化しようとしたんですが、失敗しました」

「なにい──〈ヒス・バズ〉攻撃が効かなかったのか?」

「対策されました……只者じゃないです」

「名前は──ほんとうに霧間凪なのか?」

「は、はい。県立深陽学園の生徒です」

「むう──」


 合成人間リミットとしてではなく、読書家の雨宮美津子として、彼女はその名に憶えがある。


(凪、というのは──霧間誠一の一人娘の名だ……確かにあの辺の年齢のはずだが……しかしどうして作家の娘が、スパイもどきの活動なんかしているんだ? それに……炎の魔女、って──)


 そっちの綽名にも、実は聞き覚えがあるのだった。

 彼女が一目置いている統和機構メンバーの〈レイン・オン・フライディ〉という少女が、その名を口にしていたことがあるのだった。ほとんど戦闘力がないのにいつも大胆不敵なレインに、あんたには怖い相手がいないのかと訊いてみたら、彼女は少し考えてから、ニヤリとして、


『ああ、ひとりだけいるかもね──炎の魔女ってヤツ。まあ、怖いっつーよりも、アイツに負けてられるか、って感じだけど』


 といたずらっぽく言われたことがある。ただの偶然の一致なのか。それとも──


(なんだなんだなんだ──何がなんだか、まるでわからない──)


 彼女が混乱していると、下から、かんかんかん、という微かな足音が響いてきた。

 誰かが階段を駆け上がって、屋上に向かってきている──。


「ぬ……?!」


 雨宮は戦慄した。まさか──いや、このタイミングで来られる者は今、予備校の中で一人しかいない。あとは全員、気絶してしまっているはずだからだ。


(あれこれ悩んでいる猶予はない──)


 雨宮は、古嶋俊輝から突き飛ばすように手を離すと、身をひるがえして階下につながる階段のドアを開けて、そこにつながる空間の大気を、いっせいに固めた。

 空気そのものが瞬時に泥になり、そしてコンクリートになる──飛んでいる羽虫ですら落ちることがなくなる〈エアー・バッグ〉の攻撃だ。


(とりあえず──霧間凪を拘束するのが先だ。彼女を殺すのは、さすがに──)


 と彼女が考えつつ、次の動作に移ろうとして──そこで顔が強張る。


(いや──気配がないぞ……足音を確認してから攻撃したはずなのに、私が操作した空間の中に、すでに凪はいない……!)


 背筋に冷汗が流れるのを感じる。彼女はちら、と後ろを振り向いて、啞然としている古嶋俊輝に向かって、


「いいか……おまえはここでじっとしていろ。隠れて、指示があるまで動くな」


 とドスの利いた声で命じると、空間の固定を解いて、自ら階段を下へと降りていった。

 


「…………」


 雨宮美津子が去って行く後ろ姿を見送りながら、古嶋俊輝はかんした無表情になっている。

 そして……その口元がわずかに、だが確かにがる。