ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説
Color 7 激怒の闇色 -rage black- ②
〝たす──〟
〝た──〟
〝──〟
妖精たちの悲鳴はみるみる鳥の
鳥たちは、攻撃対象を失うと──その衝動を支えていた『型』も失って、元の野生の習慣を取り戻して、繁華街のどこかへと飛び去っていった。
「…………」
黒帽子はゆらゆら揺れながら、街を見おろしている。
その視線の先に、ちょろちょろと逃げていく、一匹だけ生き残った妖精の姿があった。人混みの足下をすり抜けながら、目立たないようにこそこそ隠れているが、黒帽子の眼はその動きを完璧に追跡していた。そう──同類の気配は感知できる、とでもいうかのように。
「…………」
びょう、と強めの冷たい風が吹いて、そしてそれが吹き抜けたとき、黒帽子の姿もまた夕暮れ空から消えていた。
*
府名井柚純は、予備校の階段を上りながら、
(しかし──これで統和機構に入れるのは確実になったみたいだけど……)
と彼女を引っ張っていく雨宮美津子の背中を見ながら、戸惑いを抑えきれない。
(なんだって? 私が霧間凪を倒せ、って──どういう状況になっているの? この雨宮って、確か機構の中でも相当に強い合成人間とかなんでしょ? それがあんな不良に負けたっていうの? しかも古嶋俊輝の加勢もあった上での話のようだし──)
まったく事態が読めない。柚純自体も邪魔者の霧間凪の対処には困っていたところだし、もはや隠れてコソコソする必要がないのなら直接対決するのはやぶさかではないが──しかし前に見た、ヤツの圧倒的なまでに巨大な〝不安〟の前にはためらいもある。制御できるのか、予測がつかない面は否定できない。だが──
(やるしかないのは事実だ──私がこれまで控えめにやっていたことを、全力でやるのを試すいい機会かも知れないし──)
柚純があれこれ考えているところに、雨宮がいきなり立ち停まって、
「おい──おまえ、霧間凪の位置は感知できるか?」
と訊いてきた。
「え?」
「おまえは人の〝不安〟を感じ取れるんだろう──今、この予備校の人間はほとんど気絶しているから、霧間凪以外に意識があるヤツはいないはず──わかるか?」
言われて、柚純はちょっと集中してみた……すると、すぐにそれらしい感触が察知できた。
「うん──ヤツの位置は確かにバレバレよ。この上の階にいる……建物の端の方に」
「よし……空調室の辺りだな。そうか、私がまずシャボン玉を消すだろうと、そこで待ち構えているんだな──なるほど……」
雨宮は、
「府名井おまえ……能力は相手と正対しないと使えないのか?」
「いや、それは相手に催眠を掛けて洗脳する必要があるときだけ。その場合は一対一でないと無理だけど、ただ動きを停めるだけなら、相手がこっちを認識している必要はない──ただ〝火〟を熾すだけだから」
「細かいことはどうでもいい──とにかく、不意打ちできるなら、ヤツの死角から攻めるべきだな──下の階から貫通して仕掛けられるか?」
「やったことないけど──まあ、なんとか」
「ようし──」
雨宮は柚純を引っ張って、空調室の下の階の廊下を進み始めた。
──そして、その様子は霧間凪の持っている携帯端末に映像として映し出されている。凪は先刻の戦いの際に、あちこちに小型監視カメラを貼り付けておいたのである。これも雨宮美津子の油断に付け込んだ戦法で、リミットは防御力が高すぎるので、周囲へのそういった警戒は薄いだろうという読みだ。はたして二人は自分たちが相手から丸見えになっていることにも気づかず、無造作に廊下を進んでいく。
(二人──二人か。あれは──府名井柚純という女子だな。この予備校トップの成績らしいが……そうか)
凪にもこの事態の全貌がおぼろげに摑め始めた。
(府名井が、リミットの〝とっておき〟ならば……それなりの秘密がありそうだが……)
見る限りでは、雨宮が強引に彼女を引っ張っているようだ。そして柚純はちらちらと天井を見ているが、その視線から推測されることは、
(オレのいる位置だな──府名井にはオレのことが感知できているようだ。彼女から隠れることはできないのなら、やれることは──)
凪はもう決断し、行動に移っている。
……その迷いのなさこそが、これから自分を追い詰めることになるとは、このときの彼女には思いも寄らないことだった。
(しかし──相変わらず霧間凪の〝不安〟の
柚純はそれに近づいて行くにつれ、彼女自身の恐れまで大きくなってきそうだった。
(普通の人間だったら、もうこの時点で意識停止状態になっていてもおかしくないんだよね──)
それと、あまりにも反応が大きすぎて、実のところその正確な位置までは感知できていない。なんとなくぼんやりと感じる球状の気配の、たぶん中心にいるんじゃないか、ぐらいであって、拳銃で狙え、と言われたら絶対に外すぐらいの精度しかない。
(しかし、それを雨宮にいちいち言うのも面倒そうだし──このまま押し切るしかないだろうな──)
彼女がそんなことを考えながら進んでいくと──目の前をシャボン玉が飛んでいった。何気なくそっちに目を向けると、窓の外へと流れ出していくところだった。さっきと同じだ。すぐに視線を戻して──そこで気づく。
(いや──なんで窓が開いてる? さっきは焼津芽依に換気した空気を吸わせるためにわざわざ開けたんだぞ? こんな上の階の窓が、なんで開けられてんの?)
そして彼女が再び振り向いたときには──もう遅かった。
上の階から凪が、ロープにぶら下がって、振り子のように勢いを付けて飛び込んでくるところだった。
凪は容赦なく、まだ回復しきっていない雨宮美津子の方を蹴り飛ばした。
不意打ちに空気制御が間に合わず、雨宮は攻撃をもろに喰らって壁に叩きつけられた。
そして凪は、柚純の方を向いて、
「おい、おまえは──」
と呼びかけようとした。
だが──そのときにはもう、柚純は能力を全開にして〝不安〟を爆発させる〝火熾し〟を敢行していた。
奇襲に驚いて反射的に、とっさにやってしまっていた。
凪の身体が、ぐらり、と傾く──。
*
〈ローリング・アンザェティ〉──府名井柚純のその能力は、自分でもその性質を完全に理解できているとは言いがたい。
彼女が〝不安〟として定義しているものは、実際はただ、能力が発現したときに彼女自身が強い強い不安に支配されていたので、その認識が反映されたものに過ぎず、正確な把握ではない。
彼女が〝焦げくささ〟として感知し、制御していると思い込んでいる〝火〟というのが精神的なものなのか、それとも生命という複雑怪奇な化学反応に付随する物理的なものなのか、それさえも区別はついていない。
だから──根本的なところで間違いに気づいていない。
柚純が相手の精神を〝停めた〟と思っていることは、実はただ〝煮詰めている〟だけなのだ、ということを。圧力鍋の蓋を閉じて、中を見えなくしたところでその膨張はさらに加速されるだけなのに。だから焼津芽依は、存在しなかったはずの妖精を現実のものとして出現させるまでに〝進化〟してしまったし、生徒の中には正気を失って暴れ出してしまう者まで現れてしまっていた。
そしてその作用は、常人離れした精神力があると思われている霧間凪においては、それは如何なる形で発現することになるのか──大して考えることもなく、柚純はそれを使ってしまった。
それは霧間凪があまりにも躊躇なく、素速く決断し行動しすぎたせいでもあった。雨宮美津子や柚純に対して、あれこれ考えさせる隙を与えなさすぎた。
だから──やるしかなかった。
もしかしたらそれは、柚純にも想像を絶するほどの高い次元における〝流れ〟に飲まれた結果による必然に従わされただけなのかも知れないが──いずれにせよ、柚純はこの世で初めて霧間凪の〝魔女の鍋の底〟を覗き込んだ人間となった。



