ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 7 激怒の闇色 -rage black- ④

 凪は激しく動揺していた。話していると、どんどん後ろめたい気分になってきて、神経を逆なでされて、どんどん苛立ちが増していくのを自覚する。

 そして微かに残っていた自制心が、百合原美奈子の名前が出てきたことで完全に切れてしまった。

 その名前は凪にとって呪いだ。それは彼女を完全に圧倒した邪悪であると同時に、その闇に、名も存在も社会的立場もなにもかも乗っ取られてしまって尊厳すら奪われてしまった、哀切この上ない犠牲者の名でもあったからだ。凪の無力さの象徴とすら言えた。そして──、


「きさま……!」


 凪は階段を飛ぶように駆け下りて、末真和子の襟首を摑んで、吊し上げた。


「よくもそんな──何様のつもりだ……!」


 首を絞められかけていても、末真の眼差しは真っ向から凪の眼を覗き込んできて、まったくれない。


「それはあなたの方よ、霧間さん」

「なに?」

「あなたは、自分が何様なのか、きちんとわかっていない。あなたは〈炎の魔女〉でしょう、霧間さん──わたしを救ってくれた。そして、みんなも守ってくれている」

「────」

「あなたは、そんな人じゃない──そんな風に怒り狂って見境なく、気に入らない相手を叩き潰していれば済むような、そんな乱暴者じゃない」

「────」

「あなたの炎は誇り高く透き通った炎。鮮やかに燃え上がって、余計なごみなど一切残さない。そういうもののはずでしょう?」

「おまえ──おまえに──おまえにオレの何がわかるっていうんだ……!」


 凪のその手に、さらに力が込められていく……その絶体絶命の危機の中で、末真和子は、すう、と息をかるく吸ってから──歌い出した。

 

 いのち短し、恋せよ乙女

 黒髪の色、褪せぬ間に

 心の炎、消えぬ間に

 今日はふたたび来ぬものを

 


「…………!」


 凪の顔色が、今度こそ決定的に変わった。蒼白から──仮面のように、硬質な表面が剝がれ落ちた。



 そう──わたしは以前に見たことがあった。

 霧間凪が、学校でめったに見せない素直な笑みを浮かべているところを。

 それは紙木城直子さんという人と、凪が校庭の隅で立ち話をしているときだった。わたしはそのときはまだ、二人ともまったく関心の外にある人たちだったので、何も感じずに遠目でちらりと見ただけだったが──後から考えると、二人はきっと強いきずなで結ばれた親友同士だったのだろう。

 その紙木城さんも、百合原美奈子と同様に、最近になって行方知れずになってしまっている。このふたつの失踪の原因が同じものなのか違うのか、それはわたしには判断できないことだったが──今の凪が、以前にわたしと話をした頃よりも、ずっと険しい表情になってしまっていることと、紙木城さんたちの消失が無関係とは、わたしには思えない。

 そして──紙木城さんは、ゆうの落ちかけている下校の道すがら、よく歌っているのを何度か見かけたこともある。

 だから──わたしも、その歌を口ずさんでみたのである。

 わたしの不器用で下手くそな歌を聴いて、凪は不思議な表情になった。親友のことを思い出したのは確かなんだろうけど、それだけとは思えないほどに、ぼうぜんしつ、というくらいに意志の抜けた顔になっていた。


「オレは──」


 彼女の手からも力が抜けて、わたしの襟を摑んでいたところも、押しつけるのではなく、ぶら下がっているような形になった。


「オレは──駄目だ……何もできない、誰も救えない……直子は……」


 言葉にならない言葉を重ねていきながら、凪は、その両眼からは涙がボロボロとこぼれ落ち始めていた。


「直子も……オレのせいだ……オレがもっと……直子は……あんなに……」


 そして凪は、その首はどんどん下がっていて、うつむいて、わたしの胸元に突っ伏すような形になった。

 しがみついて、泣き出した。わたしも彼女の肩に手を置いて、


「……あのさ、霧間さん……わたしもさ……わたしもとっても悲しかったんだよ。あなたにお礼を言えなくて、その話はやめてくれって言われて……だって、だってそうでしょう?」


 言いながら、わたしの眼からも涙があふれ出していた。


「とっても感謝しているのに、その気持ちを伝えることさえ許されないなんて、それはとってもとっても寂しいことだって……そう思わない?」

「オレは……オレも、直子に何も伝えられなかった……アイツがどれだけ、オレのことを救ってくれたか……どれだけ感謝していたのか……何も伝えられなかった……」

「駄目だよ、霧間さん……それはほんとうに駄目だよ……伝わってなかった、なんて思っちゃ──紙木城さんには、きっと伝わっていたはず……だから、だから──駄目なんて言っちゃ駄目だよ──」


 馬鹿みたいに、同じ言葉がぐるぐると何度も繰り返される。でもわたしは、そんなことはどうでもいいと思っていた。

 二人して立ち尽くして、わたしたちはめそめそと幼い子供のように無防備に泣き続けた。


「駄目だ……オレは……」

「だから、駄目じゃないって──」


 わたしは彼女の身体を抱きしめた。彼女をなぐさめているのか、それとも自分の言いたいことを言ってるだけなのか、その区別もできないままに、わたしは、


「霧間さん──あなたは……ぜったいに……」


 

 ……と言いかけたところで、末真和子の全身から力がいきなり抜けた。

 凪を抱きしめていた腕がゆるんで、そのまま下に落ちそうになる。膝がかくんと折れて、倒れそうになって……凪があわててその身体を逆に抱きとめた。


「──お、おい!」


 凪が抱き起こしたとき、末真和子は完全に気を失っていた。凪が焦って真顔になったところで──頭上から声が聞こえた。


「ああ、いや──それで当然。そもそもその娘が今の今まで気絶しなかった方が不思議だったから」


 凪が振り返ると──そこには雨宮美津子が立っていた。


「この建物にはまだ、古嶋俊輝の〈ヒス・バズ〉が染み込んだままだからね──人を気絶させる波動が残留している。いや、逆になんでここまでその末真和子が意識を保てていたのか、そっちの方が異常。でも──それも限界で、あんたと和解できたことで、緊張の糸が完全に切れたんでしょうね──」


 雨宮は、どこか投げやりな調子で言った。


「おまえ──」


 凪は鋭く彼女を睨むが、雨宮はうっすら微笑んで、


「ああ、もうわかってるよね──まだ戦う気だったら、とっくにやってた、ってことが。その通り。もう私には、あんたと戦う気はないのよね、炎の魔女さん。完全に降参。いや、まいったまいった」


 とあっさり負けを認めた。


「…………」

「しっかし──涙でぐしょぐしょなのに、拭いもしないんだね。恥ずかしいとか思わないんだ。そういう自意識は持ってないんだね」

「…………」

「あんたってどっか、ウチのせっちゃんに似てるかもね。だから、おっかなかったのかな。必要以上にビビりすぎてた──お互いに」

「…………」

「そう、最初から私たちって、戦う必要も理由もなかった。話し合いから始まっていたら、一分でトラブルは解決してた。もう把握してると思うけど、そこの府名井柚純──人の〝不安〟を感知して、それに干渉できるっていう能力があって、私が安全性を査定していた。今後は周辺に迷惑かけないように使わせるから、ここは勘弁してもらえないかな」

「──だから、最初は手加減していたのか」

「あらら、それも見抜かれてたのか。だったらそっちも、あんなに全開で来なくてもよくない?」


 雨宮は軽口を叩いたが、凪はそれには反応せずに、


「府名井はどうなる」

「とりあえず釘斗博士に預ける。アイツなら慎重に丁寧にやってくれるから」

「釘斗だと?」

「あら、知り合い?」

「オレの主治医だ」


 凪がそう言うと、雨宮はけらけら笑って、


「なあんだ──私たちっておんなじトコに通う〝患者仲間〟だったの? 向こうで会っていたら、話も早く済んだのに──あー、馬鹿らしい」


 と肩をすくめて見せた。そして凪に抱きかかえられている末真和子に目をやって、



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