ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説

Color 7 激怒の闇色 -rage black- ⑤

「そっちのゴタゴタも、私がうまく片付けておくから、あんたはそろそろ消えた方がいいよ。後でめたら面倒でしょ?」

「この娘は──」

「言っとくけど、たぶん今のあんたたちの会話って──末真の方は思い出せないはずよ」

「────」

「能力を喰らっているからね。前後二、三十分の記憶は定着できないのよ。交通事故の直後のことを覚えていない被害者がいる、みたいな話ね」

「……その方がいいだろう」


 凪は末真の身体を優しく床の上に下ろした。そこに雨宮は、


「あのさあ、ひとつ忠告してもいいかな」


 と声を掛けた。

 凪は顔を上げて、二人はしばし見つめ合う……。



 ……たぶん、夢なんだと思う。

 

 わたしがぼーっと立っていると、少し離れたところから、小さな妖精が一匹、こっちに向かってトテトテと走ってくる。

 必死になって、なにかから逃げているようだった。まるで絶望的な差がある鬼ごっこを無理矢理させられているかのような、悲壮感ただよう逃げ方で、その大げさな様子は少し滑稽にも見えたが──次の瞬間、妖精は突然、どこからともなく降ってきた黒い影に踏み潰されて「ぷぎゃっ」という悲鳴と共に、消えてしまった。

 わたしが啞然としてその様子を見ていると、黒い影は──なんだか人というよりも地面から柱が伸びているようなシルエットで、マントに身を包み、黒い筒のような帽子を被っていて、顔だけがやたらと真っ白く、唇には黒いルージュが引かれていた。

 なんだか──どこかで会ったような気が、すごくする。


「えーと……あなたは」


 とわたしが訊くと、その黒帽子は呆れているような、感心しているような、曰く言いがたい左右非対称の表情になって、


「ぼくが誰なのか、君はもう知っていると思うけど」


 とぼけた口調でそう言った。そして、


「そんなことより──そろそろ起きないと、頰に跡がつくかも知れないけど、大丈夫かい?」


 と悪戯っぽくウインクしてきた。わたしはどきりとして──

 


「──えま、すえま、末真ってば」


 と──肩を揺られているのを自覚すると、次の瞬間──はっ、とわたしは目をましていた。


「わっ!」


 声を上げて、立ち上がってしまう……周囲は、見慣れた予備校の集団自習室だった。いつもの場所であり、いつもの相手だった。


「えーと……藤花?」


 わたしを起こしたのは宮下藤花だった。彼女とはいつもここで一緒に自習をしているから……いや、そうじゃなくて。


「ひどいよ末真、なんで私も誘ってくれなかったの?」


 藤花はぷりぷりと怒っている。


「新刻さんに訊いたらさあ、焼津さんと一緒に帰ったとか言われてさあ。だったら予備校だろうと思って来てみたら、二人して居眠りしてんだから」

「え?」


 と、わたしの横の席を見ると……そこには焼津芽依が机に突っ伏して、すうすうと寝息を立てていたが……ううん、と呻くと、彼女も目を開けて、すくっ、と身体を起こした。


「あーっ……よく寝た。なーんか、すっごく長くて、悪い夢を見ていた気がする……」


 と、やけにすっきりした表情をしながら、背を伸ばしたりしている。そして目の前の藤花の存在に気づいて、


「あーっ、宮下さん! そうそう、そうだったそうだった! 私、宮下さんに謝らなきゃ、って思ってて!」


 と、いきなり大きな声を上げた。


「は? なに?」


 藤花がきょとんとするのにもかまわず、芽依は、


「いや、こないだのディベート模試よ。あのときはホントにひどいことしちゃったって思って。みんなで宮下さんを責め立てるような真似をして。あれはまずかった。うん、ホントに──ごめんなさい!」


 と言って席を立って、藤花に深々と頭を下げた。

 藤花は苦笑しながら、


「いや、別にあれは、ただのテストだし。お互いに罵り合えって内容だし。みんなのこと恨んだりとかしてないよ」


 と応えたが、芽依はなおも、


「いや、あれはなんというか、みんながおかしくて。宮下さんは仲間外れだから責めなきゃ、みたいな空気があって」

「仲間外れ?」

「そうそう──そうなの。最近、この予備校では奇妙な流行があって──妖精が悪さをしているから、近寄らせないように〝お守り〟を持とうって」


 と芽依は懐に手を伸ばすと、そこからひとつの小さな包みを取り出した。


「持ってないでしょ、これ。宮下さんは」

「うん」

「いや、ホントに今となってはくだらないんだけどさ──」


 と芽依は包みを開けて、中から一枚の紙切れを取りだした。

 そこには『美しいだけの世界は、君には向いていない』と書かれていた。


「こんなものに頼れば、それで悪い邪気をはらえるって思い込んじゃってたのよね──」


 と言いながら、彼女は──紙切れをびりびりに破ってしまった。

 わたしは──あっ、と思った。なにか決定的なことが起きた、と感じたが──その根拠の方は、いまひとつ思い出せなかった。


「妖精なんて本気で信じてて、ホント馬鹿みたいだったわ、私は」

「どうして、今は信じてないの?」

「そりゃあ──」


 と芽依は、わたしの方に視線を移してきた。


「末真さんのおかげよ!」

「は?」


 わたしがぽかん、とすると、芽依は、


「こないだの末真さんの、あのディベート模試のときの格好良さっていったら! 誰に何を言われても一切ひるまず、堂々と、下手な屁理屈や揚げ足取りに走ることなく、正面から、ばーん! と論破する、あのしい姿! あれを見て、私はすっかり自分が情けなくなっちゃってね──」


 それを聞いて、藤花の方も目を輝かせて、


「そうそう! そうなんだよね! あのときの末真ってホントに素敵だったよね! わかるわあ──」

「でしょでしょ?」


 二人はなぜか、すっかり意気投合して、きゃっきゃっとはしゃいでいる。


(…………)


 わたしはモヤモヤとした気持ちを抱えながら、その光景を見ていた。

 今──焼津芽依は噓をついている。

 でもきっと、彼女は自分が噓をついていることに気づいていないだろう。

 彼女が面接模試の後、どんな様子だったかということは、わたしは明確に覚えている。わたしの議論に感心している様子なんて、全然なかった。でも今では、あのときに感銘を受けたということが、彼女の中では事実となっているのだ。

 あやふやになって、もはや確かめようもなくなってしまった過去に対して、人は──今、目の前にある状況の中から、最も都合のいい辻褄合わせを、その人にとっての真実にしてしまう。

 藤花と芽依の間には、かなり深刻なトラブルがあって、そして──それはもう、どうでもいいことになった。目の前にあるのはその現実しかない。だから──あれこれ悩んでも、きっともう意味はないのだろう。

 ただ──わたしがモヤモヤし続けるだけだ。ずっと。


「…………」


 わたしが無言でいると、藤花が心配そうに、


「あれ? 末真、なんか顔色悪いよ。大丈夫?」


 と訊いてきたが、わたしは、


「まだ眠いだけよ──ちょっとぼんやりしてるだけ」


 と少し投げやりに言った。



 ……それからわたしたちは、少しの間一緒に自習をした。なんだか外の方ではがやがやと騒がしい気配があったけど、すぐに収まった。後でちょっと訊いてみたら、授業時間が短くないか、いや時間通りだ、とか、なんか色々とすれ違いがあったみたいだったけど、それも片付いたらしい。

 焼津芽依とは予備校の前で別れて、藤花とはいつもの帰り道を辿たどって、また明日ね、と普段のように挨拶してさよならした。どうということのない日常だ。何も変わらない。


「…………」


 わたしは、ひとり道をとぼとぼと歩いていく。

 するとその脇を一台のバイクが追い抜いていって……そして少し前で停車した。

 降りてきたのは、霧間凪だった。


「あ……」


 わたしが驚いていると、凪は「よう」と声を掛けてきて、


「ちょっと話したいんだが……いいかな」


 と言った。わたしが「う、うん」とうなずくと、彼女はバイクを押しながら、わたしと一緒に歩き始めた。


「この前は悪かったな」


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