ブギーポップ・クルシファイ リミットグレイの妖精逆説
Color 7 激怒の闇色 -rage black- ⑥
「え? 何が」
「いきなり予備校をやめろ、みたいなことを言って。あれはもう大丈夫だ。問題はなくなったから」
「そ、そうなの?」
「府名井柚純ってヤツが、あの予備校の中でイタズラ半分に怪しげな〈お守り〉をばらまいていて、それがあちこちでトラブルの元になっていたんだが……それも終わった。府名井はもともと周囲との学力差がありすぎて、そのストレスでそんなことをしていたらしいんだが……どうやらもっとレベルの高い個人指導の勉強法に切り替えるらしくて、あの予備校はやめるそうだ。だからもう、心配はない」
凪の説明はよどみなく、なんの矛盾もないから、納得するしかない。
「ふーん……」
わたしが曖昧な相づちしか打てないでいると、凪は、
「それと──竹田啓司がオレと浮気してる、なんて話はデマだからな」
と言った。わたしが彼女を見つめると、凪は苦笑しながら、
「そもそもは、あんたと同じだよ──宮下藤花が予備校でひどい目に遭わされたって聞いたから、彼氏の竹田に思い当たる節はないかって尋問しに行っただけだ」
「あ、あー……なるほど。でも、尋問って──」
「竹田が原因かも知れないだろ。かなりキツく責めてやったよ。そもそもアイツが彼女のケアをしっかりしていなかったのも悪いしな」
「まあ──それは、そうかも」
わたしたちは見つめ合って、それからどちらからともなくクスクスと笑い出した。
「なんで竹田さんって、変な噂ばっかり立てられるのかしらね?」
「反感買いやすいよな。馬鹿正直すぎるんだろうな。でも宮下藤花は、ヤツのそういうところが好きなんだろうから、どうしようもないだろうな」
「でも、もう少ししっかりして欲しいって思うけど。端から見てると、あのカップル危なっかしすぎるんだもの」
「過剰だな、色々と」
「まったく──ヤキモキさせられっぱなしよ」
「そう言えば最近、正樹のヤツにもガールフレンドができたみたいなんだよな」
「えーっ、そうなの?」
「オレはその辺にはまったく疎いんで、義姉としてどういう風に接したらいいと思う?」
「うーん、そう言われても、わたしも全然なんで、その辺は」
わたしが首を
「なあ末真さん──あんた、親父の本を読んでいるんだろう? 何が良くて、読んでくれているんだ?」
と訊いてきた。
「────」
わたしは、少し息を吞んだ。それはわたしにとって、適当な軽口ですませていい話題ではなかった。真摯に答えなければならない。
すう、と息を吸って、それからわたしは一気に喋りだした。
「ええと、まず最初に断っておかなきゃならないんだけど、わたしは霧間誠一のことを全然難解な作家だと思っていないんだよね。だから何が良いのかとか、そういう話じゃなくて、とにかく物事を
……霧間凪は、末真和子が早口でべらべらまくし立てているのを、無言で聞き続けている。
(…………)
彼女は眩しそうに眼を細めて、博士と綽名されているその少女を見つめている。
雨宮美津子に言われたことが、凪の脳裏によみがえる。
〝ひとつ忠告してもいいかな。霧間凪、あんたはハッキリ言って、末真和子よりも弱い。私よりは強いけど、これはドングリの背比べみたいなもので、末真の方はスケールというか、次元が違う気がする──彼女の意志をどうこうできるなんて、自惚れない方がいいよ。彼女に仲良くなりたいって想われたら──逆らっても無駄だと思う〟
その意味を、今──凪はひしひしと実感させられていた。
(このひとは──まるで親父がまだ生きていて、その文章のことを、友達から昨日届いたばかりの手紙みたいに話すんだな……)
凪は遠い眼をして、末真の向こう側に原稿を書いていた父親の背中を幻視していた。末真がこう思ってくれている限り……彼もまた生きているのだ、と感じられた。
「…………」
彼女が万感の想いと共に見つめていると、その視線に末真の方も気づいて、少し口ごもって、
「……あれ? わたし、変なこと言ってたかな?」
きまり悪そうに言ったので、凪も、
「いや、変なこと書いてたのは親父の方だから──あんたは悪くないよ、末真」
「そ、そうかな──霧間さん、怒ってない?」
彼女の問いに、凪はきっぱりと、
「それはやめてくれ」
と言った。末真が眼を丸くすると、凪はうなずいて、
「さん付けはしないでくれ──凪、って呼び捨てでいい。オレの方も、あんたを末真って呼ぶからさ」
と微笑んだ。末真は少しのあいだ絶句していたが、すぐにぱっと顔を輝かせて、
「──うん! わかった、凪!」
と嬉しそうに声を上げた。
こうして──末真和子には二人の親友ができた。
どちらも負けず劣らずの変わり者だったが、そのことの意味を彼女はまだ知らない。



