ソードアート・オンライン オルタナティブ ギャンブラーズ・オナー

一 カラーアップ・パーティー ②

 アミュスフィア本体の引換券、それにいくつかの周辺機器らしいものを手渡される。啓司は特に確認もせずに受け取った。どうせ見てもわからない類いのものである。


「ちゃんとした説明は後でしてあげるけど、おじさん的にはどういう種族になりたいとかあるの? 戦いが得意だったり、音楽が得意だったり、物作りが得意だったり色々あるけど」

「っていわれてもなぁ、ゲームのこともよくわかってないし……」


 帽子の鍔を指先で触って数秒悩んでから、答える。


「ああ、一番勢力が大きくて、人数が多い種族がいいな」


 遥からの返事は大きなため息だった。


「はぁ……。おじさんさぁ、それ、いっちばんツマンナイ答えだよ」


 

 オクトーバーは東京の下町にある、当代の店主で三代目を数えるたこ焼き屋だ。

 地元民に愛される老舗は、同時に蓬田彼方と遥の生家でもある。一階部分を店舗、二階以上を住居とするその三階建ての建築を啓司は『古き良き』、遥は『古臭い』と表現する。


「ただいまー」

「お邪魔します」


 荷物を抱えた啓司に先んじて、遥が扉を開けてくれる。住居部分に直結している裏口は、中学の頃から何度となく使ってきたものだ。

 店舗の方から流れてくるたこ焼きの香りと、壁に染みついた生活のにおい。古い壁掛け時計が大げさなくらいに作動音を響かせ、通りを行き交う人々の活気ある声がかすかに聞こえてくる。この家はいつだって変わらずそんな場所だった。


「ああ、帰ったのか」


 声をかけてきたのはオクトーバーの店主である宗佑だ。つまり啓司にとっては上司に当たり、遥にとっては父親ということになる。

 どうやらちょうど休憩時間だったらしい。引き締まった体つきと撫でつけられた七三は、たこ焼き屋の店主というよりは証券マンか何かに見えた。

 並んで帰ってきた啓司と遥を見て、宗佑は軽く首を振った。


「遥、啓司をあまり振り回すなよ。うちの貴重な店員だぞ」

「店員が休みになにするかは自由でしょ! おじさんは好きで僕の手伝いをしてるの!」


 そうとだけいって遥は階段を上っていく。

 宗佑はその背中を見送ってから啓司の方を向いた。


「だそうだが、好きでやっているのか?」

「まぁ、そういうことになっています」


 そこで宗佑は彼が手に抱えているものに気づいたらしい。

 買ってきたばかりのアミュスフィアの箱に。


「……あれか。遥がやってるゲームだな?」


 他人の表情を窺うのは、ギャンブラーとして生活する中で啓司の習慣となった技術だ。いつもほとんど無意識に、他人の表情と内心のギャップを探ってしまう。

 今、宗佑の顔にはなんの感情も見えなかったが、啓司の目にはそれが取り繕われた無表情であることは明白だった。その内にあるのは警戒と恐怖だ。

 啓司はなるべく柔らかに笑ってみせる。


「大丈夫ですよ。ゲームに熱中して仕事をサボるようなことはしませんから」

「……ならいいんだがよ」


 お辞儀をして宗佑とすれ違い、二階へ。

 遥を追って彼女の部屋に入ると、彼女はどっかりとベッドに腰を下ろすところだった。無造作にあぐらを組んで、啓司に向かって顎をしゃくってみせる。


「ほら、おじさん! さっさと箱開けて! 準備するよ!」


 部屋の様子は昔から変わらない。本棚や机の上はどうしようもないくらいにぐちゃぐちゃだが、床やベッドの上には全くものが落ちていない。おもちゃがゲームや小物になって、絵本が教科書や漫画に変わっていっても、気質だけはずっと同じだ。


「別に初期設定くらい自分でできると思うんだけどな」

「嘘だぁ。おじさん、電子機器に弱々じゃん。アミュスフィアを初めて使うならセットアップとかキャリブレーションとか色々やることあるけど、ほんとにわかんの?」

「改めて聞かれると自信なくなってくる」

「それにVR酔いとかもあるらしいし、一人よりは僕が近くにいた方が安心でしょ? まー、今はユーザーの異変を検知するとアミュスフィアが自動ログアウトするけどさ」

「そんなこといって、寝てる間にイタズラする気じゃないだろうな」

「えー、おじさん、そんなこと考えてたの? やらしー。僕がそんなひどいことするわけないじゃん!」


 そういう遥の顔にはニマニマとした笑みがいっぱいに広がっている。


「……信用してるからな、本当に」


 クッションを今日も借りて床に腰を下ろし、買ってきたばかりの箱を開ける。中から出てくるのはアミュスフィア――見慣れないデザインをした円盤状の機械だ。

 説明書や遥の話を聞きながら、啓司は一つ一つの作業をゆっくりと進めていく。啓司がVR機器に触れるのはこれが初めてのことだ。慣れない単語ばかりの説明はどうにも頭に入ってきづらくて、これは確かに慣れた人の解説があるのはありがたかった。

 個人認証、初期設定、初期セッティングと順に進めていく。

 キャリブレーションのために体のあちこちを触ったり、立ったまま足をぶらぶらとさせてみたりしながら啓司は問いかけた。


「それで、結局俺は何をしにいくんだっけ?」

「仕方ないなー。改めて説明するから、ちゃんと聞いてね」


 遥は自分でも持っているだろうに、ALOのパッケージをまじまじと眺めながら答える。


「今、ALOの中ではイベントが行われているの。といっても公式のやつじゃなくて、ユーザー主導で行われているやつだけどね」

「つまり……あんまり大きなイベントではないのか」

「ユーザー主導イベントにしてはかなり大きいかな。カジノでのイベントってあんまりないし、目新しさもあって結構注目は集まってるよ」

「そのゲーム内のどっかにあるカジノに行って、アイテムを取ってくると」

「その通り! ALOの中にはアインクラッドっていう巨大なお城があるの。そこのカジノでのイベントで今、僕が欲しいアイテムが景品になってる」


 事前の作業が一段落したのでアミュスフィアを頭から外し、手の中で一度くるりと回す。ゲームのことはまだ全然わからないが、遥の気質的に想像がつくことは一つあった。


「当ててみせようか。君が欲しがってるの、きっと武器でしょ」

「あれ? なんでわかったの? そうだよ。すごく特別な武器なんだ」


 違う世界を眺めるみたいに、遥の視線が少し遠くへと焦点を結ぶ。

 彼女はその名前をひどく大切そうに、どこか寂しげに口にした。


「その武器の名前はね、≪タイタンズ・ネイル≫っていうの」


 

 初めての仮想世界へのダイブは、文字通りに海に潜るみたいに感じられた。

 痛みのない衝撃とともに感覚が失われ、痺れが取れるような緩やかさで徐々に戻ってくる。それはまるで高所から水面に叩きつけられた時のようだった。物理的な飛び込みとの違いは、喪失と復調が触覚だけではなくあらゆる五感で順に行われたことだろうか。

 不快ではないが、なんとも混乱する体験だ。

 その混乱も冷めやらぬままにアカウント情報の登録を求められ、促されるままに情報を入れていき、息つく暇もなく落下が始まり――

 そして気がついた時にはゲームの世界に立っていた。


「……おお」


 漏れ出た感嘆の声は小さかったが、内心で受けた衝撃はそれ以上のものだった。

 肌を撫でていく砂混じりの乾いた風。巻き上げられた砂によって空は覆われ、日差しも遮られているが、それでも肌を焼くような強さが感じられる。

 おそらくは城塞都市なのだろう。建物は暖かな色をしたレンガで構成され、目を凝らせばざらざらとしたその質感までもが見て取れる。